こんにちは。
本未生流師範です。
ま、若かりし頃の話で、今は趣味程度ですが。
自然妊娠するも流産ばかり、
治療は、タイミング法からAIH,IVFまで試みましたが、撃沈。
歳もそのころは42~3歳でしてね。
あらゆる検査にて、原因不明。
途方にくれましたね。本当に辛かったですね。
「生きている意味がない」自分ではそう思っていました。
一切の治療をあきらめ、自己タイミングでがんばること、
2年2か月くらい経った後、また自然妊娠。
それが出産できたのが46歳でした。
「無駄な事は何一つない」
その言葉を今私は多くの人に言っています。
結局は自然妊娠できたのだから、じゃ~今までにかけた不妊治療台の高額は無駄か?
いいえ、そうは思いませんでした。
棘の檻の中にいる自分と向き合い、辛くてどん底でどうしょうもなかったけれど、
不妊治療は楽しくて仕方がなかったです。
お薬一錠、注射一本が妊娠するために役立って居るのだと思えば、
無駄な事なんて何一つなかった。
あの治療時代があったからこそ、その年になってもなおも、
諦めずに頑張り続けられる、強い志が固められた。
生んでからそう思ったんじゃないですよ。
治療を一切諦めたとき、その治療時代のことが何一つ無駄がなくて、
治療なしでも頑張れるだけの知識と勇気と、希望と、意志をくれていたのです。
思えば、今昔を振り返ると、無駄な事がなかったことに気付かされました。
カエルの卵を取ってきて、オタマジャクシに孵化させて、カエルに成長させて飼っていたことも、
カブトムシを飼って卵を産ませて、のちの様子を見ていたことも、
どんぐり拾いやひまわりの種を植えていたことも。
好奇心から精子を飼って観察していたことも。
すべてが、後の何回妊娠しても流産した時の悲しみを自然界の理屈、摂理で納得できました。
流産を妙に悲しむだけでなく、希望に変えた力は、カブトムシを飼ったり、
どんぐり拾いをしていたからです。
流産とカブトムシ。一見変に思われるでしょうね。
ですが、あれもこれもすべてのことが何一つ無駄がなかったと思えます。
あなたが活けるお花の花びら一つ、葉っぱの先端まで
どう活けたらこの花は一番美しく見え、かつ長生きができるだろうか?
花弁と葉っぱの命は実は違う。茎と葉っぱの命は実は違う。
そんなことに気が付いたなら、あなたの活けるお花は光り輝くでしょうね。
苦労しなくても子供ができた人には、不妊治療している人の気持ちはイメージでしか解らない。
貴女にもしもできたなら、あなたが苦労された軌跡が糧になる。
無駄じゃない、無駄にしない、知恵と志で生きていくこと。
赤ちゃんのから視るもの聞くもの、そのすべてを活かして、懸命に生きようとしています。
あなたもそうだったのですよ。
いつしか、これは必要、これは不必要と勝手に価値観が増えていきましたが、
実は本当は無駄な事なんて何ひとつないのです。
無駄にするか、しないか、その生きる姿勢にもよります。
あなたは、お花を埋けてるのでない、活けているのです。
「生ける」ともいうその心は、「自分を活かす」と言う精神でもあります。
次回、お花の先生が、「あれ?今日は何か違うわね!」とあなたの活けたお花を見て
そう言ってくださったらいいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 私も皆さんのお話を聞いていて、解釈の違いだと思いました。「無駄」という言葉一つでも受け取り方が違うようです。 一人の先生の言葉にこだわることはなかったと、気付きました。