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中国の思想は曹操孟徳の作戦か?
- 中国国内での尖閣問題における党政府の対応は、曹操孟徳の策略に似ている。
- 中国は日本国内で日本人や日本の店を悪用し、国民の怒りをあおりながら、党政府は日本に対して注意を促している。
- このような戦術で中国は国内の不満を鎮めつつ、日本に対して怒りを向け続けている可能性がある。
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質問者が選んだベストアンサー
大きくなりすぎた魏の曹操を討つのは不可能。そして三代にわたって発展してきた呉を奪うこともまた不可能。ならば、そのどちらにも属していない荊州と益州(えきしゅう のちの蜀)に勢力を興し国を三つにわけ、その後、曹操の野心を砕く。_ 大量破壊兵器と、人権が模索される現代において、大きくなり過ぎたものの変革は不可能、ならば、第三の計、NEW天下三分の計とでもいきたいところでは?
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- Streseman
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すいません・・史実ではない歴史事実で論じられても困るのです つまり、虚偽を前提にした質問に回答するのは困難です 駆虎呑狼 の計にも該当しません
- rikukoro2
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その質問は三国志演義が有名だからでしょうか? >その昔、曹操は、食糧危機に直面していまして、そのうめき怒りの矛先を変えるために って演技にはありますけど、三国志正史にそんな記述ってありましたけっけ? 三国志演技の作者は不明ですが、今伝わる三国志演義は元末・明初の作品で そーゆー細かい所は殆どが後年のフィクションです それに『駆虎呑狼 の計』の場合(演技では) まず荀彧が袁術に手紙を送り「劉備が天子に奏請して南陽を攻めようとしている」と伝える。同時に劉備にも天子の詔で袁術を討つべしと命じた。劉備と袁術が戦えば、徐州の守りが手薄になる。豹に虎をけしかけて、虎の穴が留守になった所を狼に襲わせるという策ですよね 実際荀彧の策は的中し天子の詔を奏じて袁術を攻めた劉備の留守を狙って、呂布は徐州を乗っ取った。 厳密にその実際の策を考えたのは荀彧だし、使い方がまちがっとりゃしませんか? 質問者は三国志の魏の曹操を知ってるから持ち出してきたんでしょうけど そーゆーのは三国より前の時代からあります 殷(商)の時代は資料が少なく周の時代は封神演義など物語風になってますけど 基本的にそのような策の多くの基本は春秋戦国時代に完成されてます。 質問者が曹操、という部分も孫子にありませんでしたっけ?