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殴られた時に相手を殴れない

私が感じたのは、多くはその人自身を表していないのが不満でした。 誰かのせいにしている。行動を取るならば自分自身であってほしいものです。 後で聴かされる言葉は、守っているならば自分自身であって欲しいと思います。 私の考え方がおかしいと思う人に書いて欲しく思います。 いつもの通り例外も認めます。 よろしくおねがします。

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  • Nannette
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回答No.1

 ご質問の文章からは、何を言いたいのかが正しく読み取れませんでしたので、タイトルの「殴られた時に相手を殴れない」についてお答えさせて頂きます。  殴る…という行為は反社会的な行為であり、また非日常的でもあります。理由はともかく、殴りかかられたとなったら、多くの人にとっては不慣れながら、なにかしらの防護、あるいは防戦が必要になります。  しかし、殴られたから、すぐ相手に殴りかかる…というのでは、悲しいかな、こちらもまた殴りかかった相手と大差ない、低いレベルの人格であることを暴露してしまいます。  だからこそ、殴られた時に相手を殴れない…という結果が生じるのです。でも、それでいいのではありませんか。殴りかかる者は短絡的で、判断力も常識も社会性も欠けたまま、ただ激情に支配されて手を出しただけ…。  しかし、殴られた方は、理由はともかく、殴り返さなかった、そこには、瞬時の判断で冷静に思い出すに至った常識と社会性、そしてプライド…、もうこれだけあれば、相手に比べて格段にレベルの高い人格を表現したことになります。  とにかく、美空ひばりさんの歌じゃないけれど、馬鹿を相手のときじゃない…のです、まさに負けるが勝ちなのです。たとえ一時的に死ぬほど悔しかろうと、それが立派な大人の姿勢なのです。  それでもなお、執拗に相手が攻撃してくるなら、その時はしかたがありません。わたしなら相手の急所にしっかり全力で一撃を加えます。この反撃は必要な最小限の防衛行動であり、殴られたから殴り返す…といった馬鹿が選ぶ対処とはまったく別のものです。  

noname#161658
質問者

お礼

まさしく思いの通りです。 ご回答ありがとうございました。

noname#161658
質問者

補足

相手の周辺の人間関係が気に成りますね。 御回答ありがとうございました。

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