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南京虐殺紀念館の遺骨について
- 南京大虐殺紀念館には大量の遺骨が展示されており、真偽を追及する意味で調査が必要であると感じる。
- 日本刀での斬殺について興味があり、調査が行われたのかについて疑問を持っている。
- 旧社会党や資金提供者にも関与があった可能性があり、この問題に対する関心が高まっている。
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日本の民族系団体が、調査を申し入れたことが あったそうですが、30万で決まっていますから、と 断られたそうです。 ソースは朝生です。 また、あの遺骨には天安門事件の遺骨が大量に 混じっている、という噂が流れたことがありました。 こういうのは、専門家が科学的に調べれば、判明 することだと思うんですけどね。 まあ、中国政府ですから。 〇日中戦争死傷者数 終戦時 132万 GHQ調査・発表 国民革命軍のみ 終戦時 132万 国民党政府調査・発表 国民革命軍のみ 1948年 438万 国民党政府報告書 1950年代 1000万 共産党政権発表 1970年 1800万 共産党政権発表 1985年 2100万 共産党政権発表(抗日勝利40周年) これ以後 博物館や教科書で公式数字となる 1998年 3500万 江沢民発表 江沢民氏の演説で発言後、南京大虐殺記念館での公式数字となる 2005年 5000万 卞修躍博士発表(抗日勝利60周年) 当初は死傷者だったのが、いつの間にやら死者に。 死者数が2100万から3500万に増えたとき、 日本政府がその根拠について説明を求めたが、中国からの 返事はなかった、とあります。
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- ycan
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私は10年ほど前に、南京の虐殺記念館に行ったことがあります。 閑散としていて、中国人には興味のない場所のようでした。一緒に旅行していた中国の友人は、私が彼の地に行きたいといったところ、いやいやながら連れて行ってくれたように思えました。 中国でデモなどをしているのは共産党関係の動員者だと思います。一般の中国人は政治には興味がありません。また過去の歴史にもあまり興味がありません。あるのは将来のことであり、生活の向上です。(そのためには共産党の指示を受け、自分の将来のためにデモへ行きます。中国人の処世術です。) しかし南京事件は確かにあったと言えます。蒋介石は、背後を揚子江で閉ざされた南京に、自分の軍隊を放置してしまったため、日本軍に追われ、逃げ場を失った兵士は市内に逃げ込み、民間人になりすましました。日本軍は民間人か敵かわからずに、多くの人を殺害したようです。また攻め込んだ勢いで、酒に酔った兵士が夜間に民家へ行って、女性に乱暴したといわれています。 ドイツ人のラーベという人がそのことを書き記していますが、ヒットラーはそのことを隠すよう命じました。南京事件は蒋介石に捨てられた兵士と、上海の戦い以来疲れ切った日本軍との間の、異常な雰囲気の中で起こった事件と言えます。 何人の人が殺害されたかは不明ですが、事件はあったと言えます。
お礼
回答ありがとうございます。 現地に行かれたのですか!!それはまた貴重な体験をなさいましたね。ご友人の中国人がいやいやだったというのが、なんだか微笑ましいというか、反日教育を熱烈に受けていない年代なのかと推測されますね。今や中国の子どもたちの修学旅行先の一つなんだそうですが、回答者様が行かれた時は修学旅行のオフシーズンだったのかもしれませんね。 中国の人は理想の政治は「御上なんているんだかいないんだか分からないまま庶民が暮らしている」状態なんだそうで、要はその時その時で不満の無い生活が送れるかどうかが重要なんだと思います。共産党に動員されて暴れている人たちは、お金の有る無しに関わらずそれぞれに不満があるそうで、それを反日デモの形で爆発させているようです。共産党から言われて処世術として暴れて、同じ理由でデモをやめている姿一つとっても、中国人というのは上から下までしたたかだと実感しますね。 それにしても蒋介石ヒドイ。軍事については一定の才能があったようですが、もうちょっと何とかならなかったものか。背水の陣を覆すには神がかりな才能と気迫がないと無理なのは分かりますが、軍隊を放置するって……。わざと放置して、窮地に陥った兵士に大暴れさせる作戦だったんでしょうか。真相は闇の中です。占領した兵士が悪さをするのは古今東西どこにでもあることです。それこそ中国では悪しき伝統と言えます。見せしめに処罰される兵士がいて、それでようやく悪行がやむというお国柄なので、もしかしたらその女性暴行すら放置された中国人兵士が起こしたものも混ざっているのではないでしょうか。襲われた方には「日本人と言っとけ」という入れ知恵をしたのかもしれません。柄の悪い人間もまたどこにでもいますから、日本人兵士が誰一人としてやらなかったとは言いませんがね。 大量の日中の兵士がぶつかりあって、民間人も巻き込まれたことを考えても、多数の死者が出たことは想像に難くないことです。南京攻防戦の混乱とそれによって巻き起こった民間人に対する被害を指して「事件」とするのは分かります。それでも、戦争の全てを「虐殺」と定義して、平和について考えるというならともかく、一都市の攻防戦を指して「虐殺はあった」と、ちょっと調べれば偽造と分かる証拠を使って喧伝して回るのは違うと思います。
- makocyan
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数年前だったと思いますが、日本の民間団体がその遺骨の年代測定をさせろと申し入れたところ、当時の主席が「疑うこと自体がけしからん、こちらには確たる証拠を出す用意がある」といって断ったという話を聞きました。同じようなことを考えた人はいたということになりますね。 その後「確たる証拠」が出されたという話は聞きませんけれど。 さて、かの国でははるか昔から、都市を攻略すると軍民もろとも皆殺しにして生めるという方法が多くとられていたそうです。たとえば春秋戦国時代、秦の昭王が趙に壊滅的打撃を与えた「長平の戦い」では「敵兵を40万人坑殺」なんて話があります。かの国では数字を過大に記載することが多いので40万人はアレとしても、相当の規模での坑殺(生き埋めか殺して埋めるか)は珍しいことではなかった、したがって多数の遺骨が集積する「万人坑」は旧都市遺跡には多く見られるということは、容易に推定できると思います。 年代測定を嫌がるのは道理かと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 やっぱり同じこと考える人たちっていたんですね。良かったです。だっておかしいですものね、一都市の攻防戦での死者が倍々ゲーム的に増えているって。現在5000万人ほどだそうです。「確たる証拠」は出せないでしょうね。5000万人の名簿とその5000万人が南京市にいたという証拠、ねつ造するにも時間がかかる分量です。あちらにおいては口約束は約束しないのと同じなので、きっと永遠に出てこないでしょう(笑)。 司馬遼太郎氏の「項羽と劉邦」によりますと、項羽は降伏した百万単位の秦兵を夜中にパニックに陥れて崖から落としたという場面が出てきます。こののちも自分に逆らった民衆を穴埋めにしたりします。その前にも秦の始皇帝の「坑儒」がありますし、ちょっと深く掘れば色々な年代の遺骨がゴロゴロ出てくるでしょう。南京は春秋時代に出来上がった都市のようですし、古来より重要な都市とされていたため、戦乱が激しいころには争奪戦が幾度となくあったようです。共産党支配下になってから、南京市の開発等で出てきた古い遺骨は一つの穴にまとめて、その上にでっかい建物建てちゃったということなんでしょうか。他の回答者様によりますと、日中戦争以降の遺骨も混ざっているとか。古いものはともかく、新しいものなんか出てきたら世界中に白い目で見られるでしょうから、年代測定は断固拒否するでしょうね。
- shigeooka
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こんにちは。 私は記念館に行ったことはないのですが、そうとう大規模で、現地の修学旅行などに組み込まれていて、子供に反日を植え付けるのにたいへん役立つ施設と聞いています。 遺骨の死因の調査はともあれ、日本軍がかなりの人数を殺害したのは事実のようです。ただし、それは「民間人の殺戮」ではなく、「ゲリラを殺害」したものだと体験者(複数の退役日本軍人)に聴きました。 軍服を着用せず、民間人に紛れて戦う者を「ゲリラ」と呼びます。世界的に「ゲリラ」や「スパイ」は見つかったら死刑です。軍人は「捕虜」として扱われますがゲリラがそうでないのは、ひきょうだからです。 ところが中国には、この「ゲリラ」が伝統的にたくさんいまして「便衣隊(べんいたい)」と呼ばれています。今回の反日デモでも、デモ隊を先導したのは民間人の格好をした軍人や警察官だったと、現地ネットでは顔写真や名前までさらされていますね。 便衣隊は民間人に紛れていますので、本当は違うのに処刑されたのは濡れ衣だった人もいたと思います。 ずらりと並べたゲリラを処刑した様子を遠くから見れば、民間人の殺戮に見えるでしょうね。 ご質問の「私の他にも…」ですが、たくさんおいでだと思います。でも政府が場当たり・及び腰・臭いものにはふた、でなにもできないのです。尖閣にしても竹島にしても同じです。 このあたりを記憶が風化しないうちに公式にまとめて記録しておかない政府って、なんだ、と思います。 体験者がほとんどいなくなってから、やっぱり先方は悶着つけてきたじゃないですか。目先のもめごとを回避しすぎですね。
お礼
回答ありがとうございます。 多感な年ごろに大量の骨を見せつけられて、「これは日本がみんなやったんだ!」なんて繰り返し教えられたら、間違いなく多少を問わず歪みますよね。その結果大きくなってからもあんな雑なデモでエキサイトしてしまうのでしょう。踊る反日、見る反日、同じ反日なら「どうするぅ!?」っていう感じなんでしょうか。 退役日本軍人の方からお話を聴けたとは、すごいですね。この方々もいろいろあって、口にしたくもない時期もあったでしょうに、よくぞお話し下さいました。ありがたいことです。おっしゃる通り、当事者の証言は非常に重要です。日本の立場を主張するためだけでなく、およそ戦場に立たされたことのない日本人の想像力では決して補いえない実体験の記録を残すということに意味があると考えます。今が最後のチャンスとも言えます。政府には死線を越えて帰国した退役軍人の方々に、敬意を持って記録を取るよう行動していただきたいものです。
- rikukoro2
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>確かな調査がなされたことはあるのでしょうか? 南京の調査は中国共産党政府が許可しないのでできません。一応銃弾による死者が多いようです 一応、犠牲者とされているのはほとんど戦後の文革などの死者だと思います 一応日本でもできる範囲で調査が行われています http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8C%E5%8D%97%E4%BA%AC%E3%80%8D%E5%AD%A6%E4%BC%9A
お礼
回答ありがとうございます。 やっぱりいらっしゃいましたね。調査された方。色々と苦労されたでしょうね。 >一応、犠牲者とされてるのはほとんど戦後の文革などの死者だと思います 文革の犠牲者、勝手に混ぜちゃったんですか。そりゃ数も膨らむはずです。共産党に殺された人が混ざっているかもしれない遺骨の山を、共産党に洗脳教育されている子どもたちが見学して、成人したら反日デモなどで共産党にいいように使われているんですね。何か切ないです。
お礼
回答ありがとうございます。 1948年の報告書の数字<438万人>はまだ「その時南京市にあった死体が大体これくらい」という受け取り方でいいのかと思いますが、共産党政権に代わってからの数字、ネズミ算もびっくりの増え方をしていますね。 公害病とか薬害とか、国に「○○による病気」と認定されることによって患者数が年々増えている、というのなら分かるんですが、何で50年たったら当たり前のように5倍に増えているんですかね。南京市での戦闘で負傷した人が軒並み致命傷を負っていて、それが全部亡くなった後に片っ端から穴に投げ込まれているのだとしたら、下の方の死体はもれなく押し潰されているはずなのに、50年経過したら穴の底の骨までぺしゃんこにされた死体の数までが簡単に調べられるシステムが、中国では出来上がったってこと?マジすか(笑)。 その時住んでいた南京市民と戦闘員(軍服脱いで戦っていたから、こういう言い方で構わないでしょう)の死亡者数に生き延びた人たちを加えたら、当時の南京市には小さい国一つ分ほどの中国人が密集しているはずで、ひょっとしたら当時の日本列島にいた日本人全員よりも多い人口が一つの市に集中していたことになります。そんなことあり得るの??今の東京都で数百万人なのに?どれだけ広いんだ、南京市。 そりゃ根拠の説明なんて無理でしょう。どれだけ日本がお人好しでもそれはホイホイ信用しませんて。10年後には、その時の日本の総人口並みの、約1億人の死者数が公式の数字となることもあり得そうです。何でも言えばいいってもんじゃないでしょうに(苦笑)。この鋼の心臓がうらやましいです。