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虐待してきた母親との義理でも果たすべきでしょうか?
私の妹が数年前に結婚し、今は二児の母になっています。 今、三人目を妊娠中です。八ヶ月目。 本来は祝福されることですが、一つだけ問題があります。 両親に何も言わず、「出来ちゃった結婚」であったことです。 両親はそれが気に入らないらしく、家を出た妹や子供に一切会おうとしません。 父に聞くと、「あいつのせいで職場や親戚に顔向け出来なくなった。恥さらしだ」という内容の答が返ってきます。 確かに、両親の賛成を得なければならないとは言いませんが、会って話をするくらいの筋は通すべきとは思います。 ・・・・まともな親であれば。 私の母は、私や妹をさんざん虐待してきた人間です。 私が園児のころから、気に入らないことがあれば殴る、突き飛ばす、投げ飛ばす、物をぶつけるといった暴力。 (※背負い投げの類ではありません。私の腕を掴んで振り回し、遠心力を使って飛ばす感じです。) これだけでも辛いですが、一番辛かったのは「侮辱」です。 何度も何度も延々と、罵詈雑言を浴びせられました。 「アンタを見ているだけでイライラする。」 「アンタといるとロクなことがない」 「他人に迷惑をかけることしかできない人間」 「なんでこんな人間と一緒に暮さなくちゃならないんだか」 「家から出ていけ!!!」 「死んでしまえ!!!」 「死んだら楽になれるよ。」 「死んで生まれ変わった方がいいんじゃない?」 怒鳴られるのもつらいですが、ボソッと囁かれるように言われるのって本っ当にキッツいです。 無茶苦茶な母親でした。 他にもされた虐待行為はありますが、きりがないのでこの位で。 私も、叱られることはやったことがありますから、「叱られる」筋合いはありました。 また、一応お話ししておくと、母は専業主婦で、家事全般は基本的にちゃんとやっていました。 弁当を作ってくれたり、家の掃除を担当していたり、です。 (今思えば、それも後述の外面なのかもしれませんが・・・・) でも、個人的な怒りやイラつきをぶつけられる筋合いは一切ありません。 こういう理不尽が二〇年くらいありました。(就職して家を出るまでです。) 父はサラリーマンとして働いていますので、私がやられている間は家にいません。 やられている真っ最中に「偶然」帰ってきた場合、止めようとはしてくれます。 しかし、根本的に暴力を振るわないようにはしてくれませんでした。 軽く、「おいおい、もうやめろよ」とは言いますが、「暴力を振るうな」という類の話は一切していませんでした。 従って、私は日常的に、母の気がすむまで暴力や暴言を浴びる生活でした。 両親は今まで、これらの虐待で世間や司法から責めを受けたことは一度もありません。 私をボコボコにしている最中に電話がかかってくれば、普段通りの明るい声で「はい、○○です。」と応答します。 電話の向こうで、虐待が行われているとは思わなかったでしょう。 今でも父と二人でのうのうと暮らしています。 私や妹にも、「やられるのはお前が原因。」、「やられて当たり前」と教え込んでおり、私に何度も反芻させる教育方法を とっていたため、学校でいじめを受けても、「(原因は分からないけど)私はやられて当たり前の人間」、 「(原因は分からないけど)やられるのは仕方がない」、「私はお情けで生かしてもらえている人間」と考えて生活していました。 あまりにつらいので自殺しようとしましたが、怖かったり苦しかったりして死ぬことはできませんでした。 こんな生活を送らせてきた親であっても、話や筋、義理といったものを通さなくてはならないのでしょうか? こういうことを考えなくてはならなくなったのは、祖父母と話をした時でした。 両親は会おうとしませんが、せめて祖父母に曾孫を見せてやってほしいと妹に話しました。 妹夫妻は快諾していたので、祖父母に話しましたが、「両親と話をして筋を通してからにしなさい」と言われました。 祖父母には既に何度も、虐待されてきたことを話しておりましたが、「それでも親なんだから」とのことでした。 つまり、「人間としてどれだけの振る舞いをしてきたか」よりも、絶対に切ることの出来ない「親子関係」の方が大事である という結論のようです。 私はこれに全く納得できません。 私は、祖父母には曾孫に会わせて喜んでもらえたらと考えますが、母親とはもう係わり合いになりたくありません。 犯罪ともいえるだけのことをやってきた人間が相手であっても、「親子なんだから」の一言の方が大事なのでしょうか? (捕まらなかったのは、子供への刷り込みや外面の作りこみなどで隠し通してきたからです。) 私を含めて、どんな人間であっても、家族としての「義理」の元で生活しなくてはならないのでしょうか? こちらは筋を通してもらえてはいないのに? 皆さんはどう思われますか? どんなことでもいいので、皆さんのご意見をお聞かせください。 宜しくお願いします。
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- kanakyu-
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>症状はありますよ。「他人を踏みにじる行為をとってしまう」という症状が。 ホントですよね~。 「しつけ」という大義名分の元での、 「八つ当たり」はりっぱな精神症状ですよね。 「人を傷つける」人は、自分は困らないんですよね。だから治療の門もたたかない。 でも、「人を傷つける」「八つ当たりをする」ことこそ、精神症状であることが、 もっと一般的に理解されるようになってほしいですね。 うちの親もそんな感じで・・小さな口実を見つけてきては、毎日のように人格否定でした。 言われた通り完璧にやってしまうと、 そんな人間は結局社会では通用しない、やっぱりお前はろくでもない人間だ!とか・・ ^^; 子供のころは、親の言葉を信じて、本当に自分が悪いのかと思っていましたが、 話の内容や、しつけ目的ではなく、 人格否定、虐待、八つ当たりこそが目的だったということに、ある日気づきました。 他人の人格を否定する人というのは、じつは激しい劣等感と自己嫌悪を心の底に抱えていて、 自分より下の人間を作る事で、一時しのぎをしているにすぎません・・・。 八つ当たりの獲物がいなくなれば、次の獲物をさがすだけです・・ 獲物が見つからなくなった時にやっと、自分と向き合わざるをえなくなるかもしれません。 それか、どんどん頑固になって孤立して行くか・・・。 質問者さんの気持ちは、痛いほど理解できます・・ ただ、後悔させてやらなければ気が済まない、そういう精神状態だと、虐待は連鎖します。 後悔して欲しい気持ちはわかります。 しかしそれは、結果としてついてくればいいな、程度のものなんです。 自分が癒されて、それぐらいの楽な気持ちになれたころにやっと、親の後悔が出て来たりします。 後悔してくれなければいけない!! という気持ちでいると、まずそうなりませんし、自分が辛くなります。 今よりももっと距離をおくしかないと思います。 仕返しとか、後悔させるとかよりも、いちばん大事なのは、この連鎖をとめることです。 結局、自分の癒しに専念するしかないんです。 加害者本人が後悔反省してくれれば、一番いいんです。 比較的、短期間で楽に被害者の癒しもすすむでしょう。 連鎖の前の方の人が後悔や反省をしてくれれば、連鎖の後の方の人も連鎖的に癒されます・・が、 そもそも後悔反省できるような人は、八つ当たりなどしないのが現実です。 それがいけないと言っている訳ではないんです。 もしお母さまの方から後悔反省してくださったら、奇跡的です。可能性は、1%もないだろうと思います。 その1%が起きなければいやだ、困ると思っていると、自分が辛いと思うからです。 現実を見ることが必要だと思うんです、 そうでないと、傷つくのは自分だからです。 あなたがお母さまに後悔反省してくれなければいけない!と思っている事で、 お母さまはちっとも傷つきません。 辛いのはあなただけです。 お母さまをゆるす必要はありません。 自分が「ゆるむ」こと・・・それであなたが楽になるのが大事、ということです。 今は、あなたが十分安全に癒しに専念できるだけの、 お母さまとの距離が足りないだけに見えます。 もしかしたら、そのために親族一同ともしばらく距離をおく必要があるかも知れません。 わたしは、親にそういう気持ちを抱いていたときは、文句を言われても 数年間、音信不通同然の状態にしていましたし、遠方に住んでいましたので他の親族との交流もありませんでした。 多少状況的に難しいのもわかりますが、距離をおく事を優先するのが大事だと思います。
ヤバイね・・・このままだと、貴女は虐待親になってしまう。 妹は本当に貴女と同じ考え? 子供たちに手を上げていないだろうか・・・とても心配だ。 私の父親も外面だけは天下一品の虐待親だった。 「だった」と過去形なのは、今現在は違うからだ。 それは本人が悔い改めて改心したからではなく、己の子供が全員自立し、嫁にも逃げられ、虐待できる対象が今はいないから。物理的にできない状況だから彼は虐待親ではなっただけのこと。 本人に認める強さはない(そもそも、その強さがあったら虐待していない)ので、彼は未だに「躾のため、子供のためを想ってやった」と言い続けているようだ。 彼の支配下から自立するとき、このまま付き合い続けるか、関係を絶つか、考えて私は後者を選んだ。 養ってくれたことには感謝している。 しかし、結婚して子供もいて、彼の弱さまで引き受けれるほどのパワーも甲斐性も私にはない。 負の連鎖で、己の子供に手を上げないことが最大の恩返しであり、復讐だと思っている。 過去を清算しないままのほほんと生きている父親に憤りを感じないかと言えば嘘になるが、彼は今誰にも手を上げていないのだから良しと思うことにしている。 彼が後妻を娶り新たに子供を儲けるとか、子供を引き取る状況にでもなれば放っておくことはできないが。 >元々私達は、母はもういないものとして生活したいのです。殺したりはしません。傷つけもしません。何もしないし、何もされないという状態にしたいのです。 今は何もされていないだろう? 逆に、いないものとして生活できない憤りを母親にぶつけて傷つけようとしているのは貴女の方だ。 >しかし、それが許されない。 本当に許されない? 祖父母に曾孫を会わせることはそんなに必要なこと? 回避できる事柄をわざわざ望んで選択したのは貴女たち姉妹。 それを祖父母が望んだ反応ではなかったからと母親にあたっても仕方ないでしょう。 過去のことで母親を責めるのは、貴女がまだ過去に依存している証拠。 貴女は母親に依存している。 いくら距離を置こうと、会わないようにしても、貴女自身が過去を過去のものとして認識しない限り、母親の支配下からは永遠に出られない。 母親が引きとめているわけじゃない。 貴女自身が出ていくことを躊躇っているのだから、母親が例え悔い改め謝罪したとしても何も変わらないんだよ。 「口だけなんじゃないか」とか「まだまだ反省が足りない」とか、適当な理由をつけて貴女は母親に依存し続けるだけで。 そろそろ自立しないと。 自立が完了していないと子供をちゃんと育てていくことができないよ。 彼らは純粋無垢な天使だが、未熟で残酷な悪魔でもあるのだから。 このままだと貴女は「正しい教育」の名のもとに子供たちを支配しようとするようになるだろう。 自分の正しさを証明するためなら手を上げることも厭わない。 貴女の母親が貴女たちにやってきたことと一緒のことを己の子供にするようになる。 そうなったら母親の愚行を肯定することになってしまうと思わないか? 過去を清算することはとても勇気のいること(今の自分の考えを否定することでもあるからね)だが、貴女は他人にはそうそう真似できないパワーを持っているように思う。 私には父親と関係を絶つことしかできなかったが、貴女ならばいずれkanakyu-サンのように親を許し受け入れていくことができるようになるかもしれない。 貴女の欲している人権は過去にはない(貴女自身も人権がなかったと言ってる) 今もなくても、未来はわからない。 貴女の今後の生き方次第で未来は変わる。 母親の方に向けている力を別の方角に向けること。未来に向けること。 正しい方向さえわかれば多少の困難なんてものともせず、進んでいけるだけの強さが貴女にはあると私は思う。
- kanakyu-
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わたしも3回目です。 わたしもおなじような気持ちでしたから理解できます。 わたしも、親子の縁を法的に切る方法とかも、探していましたよ。でもないんですよね。 いまはできるだけ距離をおくしかなさそうですね・・・。 現実問題として、虐待親は反省できるほど人間できてないと思います・・・。 人間、つらい目にあうと、 「自分がつらい目にあったから、人にはしたくない」という人と、 「自分がつらい目にあったから、何倍にもして人にぶつけてやる!!」という人があります。 虐待親はどっちなのか、明白です。虐待って、ようは八つ当たりなんです。 あなたの言っている事は、くり返しますがとても正論です。 加害者は反省して、被害者に罪を償うのが、一番スジが通っていると思います。 けれど人の心としては、加害者こそが癒されなければいけない人だったりもします。 親のいうことを信じる必要はありません。 あなたはもともとよくできた人なんだと思いますから、 あなたは自分の考えは正しいと思って大丈夫です。 わたしは、人間は、じつは理性よりも感情の生き物だと思ってます。 「正しい」ことよりも、強い感情が勝ってしまいますよね。 現実問題として、虐待親自身がこまったときには、反省のフリはしてくるでしょう。 お金とか、健康とか、寂しさとかで。 でも、自分が困るからって反省した場合は、「フリ」だけのことも多いと思います。 心の底から反省してもらうには、親御さん自身も癒されなければ無理です。 あなたはもうご自分の癒しにとりくんでおられるようですね。それは勇気のいることだと思います。 あなたよりもずっと勇気がないのが、親御さんです。 虐待をうけて、精神的にトラウマや症状があらわれるのは子供の方でも、 一番メンタルに問題があるのは虐待親のほうなんです。 加害者側は、「症状のない精神病者」とも言われているそうです。 自分が困らないし、自分には症状が出ないから、加害者側は治療をもとめないんですよね・・・。 この「症状のない精神病者」の概念が、広く行き渡る事を願います。 中には、自分で気づいて治療をもとめる人も出てくるかも知れませんから・・・。 あなたには、お母さまはのうのうと幸せに暮らしているように見えるかも知れません。 けれど、心の貧しい人は、けっして本当に幸せではないんですよ。 本当の幸せ、本当の友人、本当の信頼を得ることもできません。 誰をだます事ができても、自分ではそれを知っているので、嘘の自分で好かれても、よけいにみじめになるだけです。 幸福な人は、人にやさしいんです。 あなたのお母さまがやさしくないなら、それは不幸で気の毒な人なんです。
お礼
まずは、三度ものご意見・アドバイスをいただけたことに感謝いたします。 カウンセラーのようなお話だと思ってしまいました。 > 人間、つらい目にあうと、 > 「自分がつらい目にあったから、人にはしたくない」という人と、 > 「自分がつらい目にあったから、何倍にもして人にぶつけてやる!!」という人があります。 母は、後者です。 実際、私がこれまでの母の振る舞いを指摘したことがありました。(私が二十歳くらいの時です) すると、母は「私もこういう風にされてきた。すごく辛かった」と熱弁していましたよ。 あなたの仰る通り、私は八つ当たりを食らったようなものでしょうね。 私は、母に染みつけられた自虐観からか、学校でも弱い存在でした。そういう人間って、虐めたくなるらしいですね。 小学・中学・高校・大学全てでいじめに遭い、職場ではパワハラに遭いました。 一時期、自分の身を守るために格闘技をやりたいと思うようになり、父は許可してくれましたが、母からの「何でやりたいの?」「なんで自分の身を守りたいの?」などの訳の変わらない脅迫じみた態度の詰問で、始めることが出来ませんでした。 > わたしは、人間は、じつは理性よりも感情の生き物だと思ってます。 > 「正しい」ことよりも、強い感情が勝ってしまいますよね。 わかります。私の母は正に、「感情の人間」でした。 叱る名目で私をボコボコ殴り、罵声を浴びせるのが終わって私が解放された後、私が自室で母に言われた罵詈雑言を反芻して自分にしみこませていた時ですが、 母が突然、バタバタッと走って私の部屋を勢いよく開け、さらに怒鳴り散らすということが何度もありました。 どうやら、母自身もイラつきの原因を思い返していたようで、それによって一度は楽になった気分がまた悪くなり、キレて私に当たり散らす というサイクルになってしまったようです。 当時の私からすると、母の行為は本来、「説教・教育」なので、子供に分からせることが出来たと判断したから解放したはずなのに、突然また飛び込んでくるのでわけが分からずにボー然としているほかありませんでした。 そんな私の様子を見た母は、「まだ反省していない」「もっとちゃんとやらなきゃダメだ」などと言い出し、私を部屋から連れ出して再度暴力と罵詈雑言を私に染み付けていました。 > 心の底から反省してもらうには、親御さん自身も癒されなければ無理です。 反省って言うか、「後悔」の方が正しい気がしています。 どちらも、自業自得ですが、後者の方がより強いと思いますので。 自業自得であることを認識させられれば十分すぎると思います。 > 一番メンタルに問題があるのは虐待親のほうなんです。 仏教における「悪人正機」のような考え方ですね。 ただ、これはメンタルに問題がある人間にしてしまったのは社会であると思っています。 (日本社会全体という広い意味ではありません。本人の周りの環境程度のものです。) 日本人の悪い癖「放置」「見て見ぬふり」「知らんふり」が原因ですよね。 日本社会においては、いじめが今やっと大問題になってくれましたが、本来は「出たらすぐ消す」を毎日続けていくしかないと思っています。 部屋の掃除、入浴、歯磨きなどと同じで、毎日行うことで清潔を保つことが出来、怠けると大事になってしまう場合があるのと同じです。 > 加害者側は、「症状のない精神病者」とも言われているそうです。 症状はありますよ。「他人を踏みにじる行為をとってしまう」という症状が。 ここまで明確に症状が出ているので、対策を練ろうと思えばできます。対策がひらめくかどうかは分かりませんが。 ただ、結局、「自分で治す・自然に治るのを待つ」ではなく、「他人が治す」ということになるでしょうね。 自分の痛いところに入ってくるので、他人はムリヤリ治すという形になるのかもしれません。
- mk29
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三度投稿させていただきます 他の方のものも含めた投稿のお礼より回答しますが >・私達が母にされてきた虐待行為を正確に祖父母や親戚に認識してもらうこと。 すでに言葉によって説明をしているのに理解を得られていない現状、当時の証拠記録でも無い限り難しいでしょう。 >・両親をすっ飛ばして、祖父母に曾孫に会うよう説得すること。 祖父母は「そりゃあ、曾孫には会いたいよ。でも、筋を通すのが先。それが出来ないなら、会えなくてもいい。」と明言しています。祖父母の価値観を崩すことに関する難しさは他の方も書いていますね。 >今回の祖父母との話で、どうやっても両親との関わりを切ることは不可能であるということを強く認識してしまいました。 本当にそうでしょうか?今回の件の他にどれほど関わるのでしょうか。 もし仮に関わるとしても今回のような下手に出なければいけないような状況でしょうか。 >そんな単純な問題なはずがないでしょう。 >そんなことであれば、何の連絡もせずに祖父母の家に行けばいいだけの話です。 「祖父母に曾孫の顔を見せる」という点だけに絞ればそれだけの単純な問題です。 そこに(たとえふりでも)親に筋を通すのが嫌だとか、今後の家族の関係性がどうのとか、あるいは祖父母に孝行したいとか、高望みをしすぎです。 一つの行動に複数の目標を持たせるのが悪いとは言いませんが、目標の優先順位は決めておきましょう。 >母にしっかりと悔いてもらうことが絶対に必要なのです。 今回の状況では難しいでしょうね。 なぜなら変化を望んでいるのはあなたの方であり、母親の方は今のままで困らないからです。 むしろあなたの望みどおりになった場合、反省だの後悔だの恥だのなんだのと辛く苦しいだけですよね。嫌ですよそんなの。 母親が悔いるとすればそれこそ何十年か先、体も心もお金も苦しくなって母親側が変化を望んだ時です。
お礼
まずは、三度ものご意見・アドバイスをいただけたことに感謝いたします。 > 「祖父母に曾孫の顔を見せる」という点だけに絞ればそれだけの単純な問題です。 仰るとおりです。とても簡単なことです。直接行けばいいんですから。 しかし、それによって、祖父母が不安に陥ってしまう可能性がとても高いことが問題なのです。 つまり、両親をすっ飛ばして祖父母に曾孫を会わせた場合、両親、特に母から(なぜか)祖父母に抗議という名のヒステリックな感情がぶつけられてしまうのです。 これが唯一にして極大の問題です。 もし、母の虐待が世間に明らかになっており、法律上絶縁していた場合、祖父母と会うことくらいは何の問題もなかったんですけどね。 日本人の「見て見ぬふり」「トラブルには巻き込まれたくない」という気質には悔しい思いです。 (そのくせ、「絆」とか「励まし」とか美辞麗句を使うから、なお気分が悪くなってしまいますよね。) > そこに(たとえふりでも)親に筋を通すのが嫌だとか、今後の家族の関係性がどうのとか、あるいは祖父母に孝行したいとか、高望みをしすぎです。 > 一つの行動に複数の目標を持たせるのが悪いとは言いませんが、目標の優先順位は決めておきましょう。 高望みでしょうか? 私が求めているのは、日本で生活していれば得られて当たり前のものばかりだと思っています。 私のこれまでの境遇からすれば、確かに高望みだと思います。 そういう意味ですか? > 母親が悔いるとすればそれこそ何十年か先、体も心もお金も苦しくなって母親側が変化を望んだ時です。 やはりそうですか・・・ もし、生活保護の世話になる場合、父まで巻き込まれてしまうんですよね・・・ やり放題に出来てしまう現状が、とてもとても、心の底から悔しいです。 「弱い」という要素を持っているだけで、こんな目に会わなくてはならないなんて。 とりあえず、目標としているのは、 「何のしがらみもない状態で(=一切の遠慮なく)祖父母に曾孫を会わせて、祖父母に心から喜んでもらうこと」です。 他のことが色々絡んできてしまうので、面倒ですが、チャンスでもあると考えているのです。 妹は三人目を妊娠中ですので、実際に会いに行けるのは、早くても1年位は先になると思っています。 その間、祖父母を説得したり、父を通して母のこれまでの振る舞いを知らしめたりしていきます。 まずは、父に知らしめるのが先決ですかね。父も、母のヒステリックな振る舞いにうんざりしていたことはありますから、認識させやすいと思います。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
再度回答します。 文章をよむと、祖父母さまとの問題とは別に、 あなたの虐待の心の傷が、まだまだ癒えていないのがよくわかります。 経験者ですので・・・。 まず、虐待をする親というのは、子供よりもはるかに精神的に未熟な存在です。 子供に甘えているんです。 正しいことが通らないくやしさはわかります。けれど人は不完全な生き物なので、 親のほうから反省して、あなたの傷をいやしてくれることは、まずありません。 それどころか、虐待のことを責めれば責めるほど、さらに追い打ちをかけてあなたを傷つけたり、 責任逃れをするでしょう。 虐待親とはそういうものです。 親御さんと将来的に和解をしたいなら、 一方的に親御さんが反省してくれて、自分の傷を癒してくれる事を期待しても、無駄です。 親御さんの方がはるかに精神的に未熟な存在なので、 あなたの方から大きな歩み寄りがなければ、まず無理でしょう。 まずあなたにできることは、親御さんとは別の所で、自分の心の傷を癒される事です。 親に虐待された人は、みな親本人に癒してほしいと思います。しかしそれはかなわないのです。 第3者のもとで癒しを求めるしかなくなります。 その分大変になりますが、それでも有効なのです。 あなた自身が癒されて、親を責める必要がなくなり、 心の余裕がふえてきて、親をゆるせる心になった頃にはじめて、 親の方も安全を感じ始めて、心を開き始めます。そういうものです。 責められると思うと、とても素直に謝る事なんてできないのです。 許してくれると分かっていて、はじめて謝る気持ちが芽生える、そういう心の弱い人たちなのです。 責められようが何と言われようが、謝ることができるのは、心の強い人だけです。 そういう人ならば、元から虐待などしないのです。 十数年かかりましたが、わたしも心の癒しに力を注ぎ、うちはそうやって親と和解ができました。 これまでの人生の大半を、親のためにつかってしまったような気持ちもありますが、 その過程で、いろんな人の気持ちがわかるようになり、こうやって経験談も話す事もできるようになりました。 余計なお世話だったらすみません。 あなたは「正しい」です。言ってる事は、とても正論です。 わたしもあなたと同じような感じでした。正論を振りかざして他者を非難していました。 でも、正しいだけでは、人の心を動かすことはできないんです。 正しさは、正しくない相手を悪と見ます。 愛や、やさしさは、それは悪ではなく、弱さ・未熟さ・余裕のなさと見ます。 悪だとののしられたら決して謝れない人でも、 弱かった、未熟だった、余裕がなかった、と見てもらえると謝りやすく感じます。 親御さんと直接対決して和解するには、 あなた自身まだまだ準備が整っていないだろうと思いますので、 どうぞご自身の心の傷の癒しに、しばらく専念なさることが、長いようで一番の近道ではないか、そう思いました。 あなたが悪いとか、そうではありません。 親御さんと和解するために、 あなたにできる一番の近道が、ご自身の心の癒しだと、 わたしは思うのです。
お礼
二度目のご意見、ありがとうございます。 正直、やり切れない思いがこみ上げてくる部分もありますが、仰りたいことはよくわかります。 > あなたは「正しい」です。言ってる事は、とても正論です。 この言葉は、とても心強く感じました。感謝します。 まず、私は(多分妹もですが)、母と和解したいなどとはこれっぽっちも思っておりません。 > 親のほうから反省して、あなたの傷をいやしてくれることは、まずありません。 これはダメです。反省は必ずさせます。でも、母からの癒しなど求めておりません。 あの母は、私達をゲームのような扱いでした。シミュレーションゲームに没頭しているかのような感じを想像すると、わかりやすいと思います。 1.普段は、ゲームが楽しいので積極的にやります。 =子供と接することが楽しいので、仲良くします。 2.しかし、ゲームが自分の思い通りに進められないと、だんだんイラついてくるものです。 =子供が自分の思い通りに育ってくれない、或いは自分の想像の通りに動いてくれないとイラついてきます。 (私もTVゲームで遊んでいて、イラついたことはあります。) 3.機嫌が悪くなってくると、コントローラーを投げたりして、ゲームに当たり散らします。 =子供たちに暴力をふるったりして、イライラやストレスを発散させます。 4.時間が経って、頭が冷めてくると、またゲームで遊びだします。 =いつものように、子供たちと関わりだします。 以上の1~4の繰り返しの日常です。それもきわめて短いサイクルで。 私は、確かに癒されたいと考えています。まともな人間扱いを受けたいです。人権が欲しいです。 > 第3者のもとで癒しを求めるしかなくなります。 その分大変になりますが、それでも有効なのです。 既に、私の心はそうなっています。母から癒しが得られるなど微塵も思っておりません。 > あなた自身が癒されて、親を責める必要がなくなり、 心の余裕がふえてきて、親をゆるせる心になった頃にはじめて、 親の方も安全を感じ始めて、心を開き始めます。そういうものです。 そういうものでしょうか。あの母に安全など感じてほしくありません。むしろ、いつ何をされるかわからないという、あの時の私の気持ちを味あわせたいと思っています。日本人社会が、「理不尽は決して許さない」という心と行動であれば、世間から冷たい目で見続けられ、強く強く後悔と反省をすることでしょう。 (実際の日本人社会は、触れようとしないので、弱者は誰からも守られず、ますます弱く縮んでしまい、やられっぱなしの状態になるものですが。) 私は、母を「普通の人間」として接するつもりはありませんよ。「子供の人生をめちゃくちゃにしておいて、のうのうと生き続ける外道」と見ています。本人には既に話してありますが、老後の面倒は私達は誰も見ません。 > 責められると思うと、とても素直に謝る事なんてできないのです。 許してくれると分かっていて、はじめて謝る気持ちが芽生える、そういう心の弱い人たちなのです。 > 責められようが何と言われようが、謝ることができるのは、心の強い人だけです。 そういう人ならば、元から虐待などしないのです。 それは百も承知です。母は私が中学生のころから「新興宗教のようなもの」にハマりだし、私達にもその「教義のようなもの」を嬉々として話していました。その時の印象は「とても気持ち悪い」でした。話の内容自体はとてもきれいな内容ですが、それを話している本人は無茶苦茶な振る舞いを平気で行う人間ですからね。そのギャップには、とてもついていけませんでした。 これは、母自身の心の弱さから、自分を顧みることを一切せずに、他人から聞かされた綺麗な言葉に食いついて心酔したのだろうと思っています。 元々私達は、母はもういないものとして生活したいのです。殺したりはしません。傷つけもしません。何もしないし、何もされないという状態にしたいのです。しかし、それが許されない。であれば、母にしっかりと悔いてもらうことが絶対に必要なのです。 これが、私達の願いです。 これによって、妹夫婦も大手を振って、祖父母に曾孫を会わせてあげることが出来るのです。 長くなってしまいましたが、こんなところです。
- mk29
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No.3ですが、正直わかりません。 私が「この問題は妹夫妻と祖父母と父母の問題」と書いたのは、 「祖父母に曾孫の顔を見せる」と「両親に会わない」 このどちらに重きを置くのかは妹様のお気持ちひとつだと考えるからです。 もちろん第三の選択肢として「祖父母を説得する」という案もありますし、 橋渡しという役割から考えればこの案が一番妥当な気もしますが、 人の価値観を崩すのは現実的に考えて厳しいでしょう。 妹様が「祖父母に曾孫の顔を見せる」事を選択し、両親と顔を会わせた結果、 >一切悪びれることなく、妹に罵詈雑言を浴びせ、「仕方なく許してやる」と言わんばかりの態度で妹夫婦に接する という事になるかもしれませんが、それは選択の対価というものです。 その対価を支払いたくなければ「両親に会わない」=「祖父母に曾孫の顔を見せない」事を選べばいいし、どちらを選ぶのかは妹様です。 あなたから妹様や祖父母と話し、主導しているようですが、この話はあなたがメインの問題ではありません。 また、あなたは両親に報復したいと考えているようですが、それはこの話とは基本的には別問題です。 応用的には報復に利用できるのかもしれませんが、難しいと思いますよ?
お礼
ご意見ありがとうございます。 妹夫婦が主に絡んでおり、当面の目的は祖父母と曾孫が会うことですが、その過程において、私が大に得することでもあるので、関わっているのです。 > その対価を支払いたくなければ「両親に会わない」=「祖父母に曾孫の顔を見せない」事を選べばいいし、どちらを選ぶのかは妹様です。 そんな単純な問題なはずがないでしょう。 そんなことであれば、何の連絡もせずに祖父母の家に行けばいいだけの話です。きっと祖父母は可愛い曾孫に諸手を挙げて喜ぶことでしょう。祖父母からは「しょうがないな」という態度で、妹夫婦が両親に話さずに結婚を決めた経緯くらいは腰を据えて聞くことでしょう。 (納得するかどうかは勿論別ですが・・・) > また、あなたは両親に報復したいと考えているようですが、それはこの話とは基本的には別問題です。 報復という表現は、過激すぎます。 「同じ目に会わせてやる」かのように思えますが、そんなことはありません。 今後の数十年間の人生を使ってたっぷりしっかりと反省と懺悔と償いをさせたいとは思っていますが、私達に対してではありません。自分がこれまでやってしまったことを正当に認識させたいのです。「個人的感情、イラつき、そしてストレスなどで子供に当たり散らした」という認識すら持っていない状態であるのは、非常にマズイのです。そんな人間と、これからもほんの少しは関わっていかなくてはならず、避けることが不可能なことがあるのですから。
- usagi7hiki
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残念なことですが、あなたのお祖父様やお祖母様があなたの母親を育ててくれて人です。 ある程度の虐待についてはご存知のはずですね? もしかしたらどれほど非道いのか気がついていらっしゃらないかもしれませんが・・・ つまり、お母様の外面が良いのでそれほど虐待が酷かったと考えてないのかもしれませんし 自分たちが育てた子がそこまで酷いことをしてきたと思いたくないのかもしれません。 また、違う視点から考えると昔は躾と称して虐待を行う親のなかにはもっと酷いことをする人も 多かったようですね。 「昔は体罰は当たり前、親の言うことには何が何でも従うべき。」 もちろん昔の人たちが皆そう考えていた訳ではありませんが そういう時代に生きてきた人たちから見れば あなたのお母様のしていることは躾の範疇だと思っているのかもしれません。 あなたはお母様の虐待が犯罪だと書かれていますが犯罪と考えるようになったのは最近のことです。 昔の人たちから見れば躾は犯罪ではありませんから・・・ または、あなたも大人になったのだからお母様を許してやって欲しいと思っているのかもしれません。 いまさらお母様の性格を更生するのは無理でしょうし あなたに「母はどうしようない人だ」と冷静に距離を置いて接してやって欲しいのかもしれません。 「筋を通すように」おっしゃるのはそう言う意味かなと思います。 あなたがどんなにお母様を嫌おうと血の繋がりは消えません。 あなたは独身でしょうか? もし結婚していらして相手の方のご両親と良好な関係を築いておられるなら 義両親を実の両親と思って大事になさって 実のご両親は遠縁の親戚程度に思って過ごされたら気持ちに余裕ができるかもしれません。 もし独身でいらっしゃるなら 結婚相手が良い方でもお相手のご両親が良い方とは限りません。 嫁いびりをするような人たちの中にはあなたのご両親のようなことをする人もいます。 その場合じっとが耐え忍ぶのが昔は当たり前でしたので お祖母様は「筋を通すように」とおっしゃっているのかもしれません。 お祖父様やお祖母様の世代は頑固な人が多いので説得するのは難しいですね。 情に訴えてはどうでしょうか? 赤ちゃんの写真を見てもらい「実際の赤ちゃんを見たいと思わない?」とか 他にもいろいろやり方はあると思いますよ。
お礼
ご意見ありがとうございます。 はっきり言わせてもらうと、こんなに奇麗事や美辞麗句を気色悪く使われるのは、「やっぱり日本人は、体裁だけ取り繕って本質には触れたがらない民族なのだな。」と思います。 すごく気分が悪いです。 私は、「体罰」であれば「犯罪」とは思いません。「罰」ですから。父親から「体罰」を受けたことがありますが、それに対しては一切恨みや憎しみはありません。「虐待」という理不尽の塊をさんざんぶつけられたから「犯罪」と言っているのです。「躾」は「教育」です。子供や他人に教えて育てるための行為です。 私が受けたのは、個人的感情から来る「やつあたり」です。 私が全く関係ない原因から来たイラつきやストレス等を、子供を使って発散させたのです。 そして、なぜ私が今になっても悔しさや憎しみなどが消えないかといいますと、それをやった張本人は、死ぬまで私とある程度の距離があるじょうたいであるにしても、ずっと付きまとっているからです。「親なんだから」「家族なんだから」の一言で。 刑法で言うと傷害罪や暴行罪に当たる行為を約二十年もの間続けておきながら、誰からの責めも受けることなくのうのうと生き続ける。そして、それを見続けなくてはならない。それがとても辛いんです。 今回の祖父母との話で、どうやっても両親との関わりを切ることは不可能であるということを強く認識してしまいました。 非常に悪い言い方ですが、私のこれからの人生は、母だけは除いたものにしたいと考えていました。そして、ある程度はそれが可能であると思っていました。しかし、重大なところでは不可能である、というより、関わることが義務であるということになってしまっていることが分かってしまったのです。 これまでずっと母にされてきたことは、「母のこと」を思い出せば、いくらでも出てきます。(それしか出てきません。)そんな相手であっても、「祖父母と会うことを許可してください」と言わなくてはならない。こんな無茶苦茶なことの方が重視されてしまうのが、辛くてたまりません。 > ある程度の虐待についてはご存知のはずですね? いいえ、全く知りませんでした。 私が話をしたのは、私が成人してからですが、とても驚いていましたよ。 > 情に訴えてはどうでしょうか? > 赤ちゃんの写真を見てもらい「実際の赤ちゃんを見たいと思わない?」とか > 他にもいろいろやり方はあると思いますよ。 これは既に直接聞きました。 「そりゃあ、曾孫には会いたいよ。でも、筋を通すのが先。それが出来ないなら、会えなくてもいい。」だそうです。 話を聞いてみると、両親をすっとばして祖父母に会った場合、両親から祖父母に文句が行くみたいで、そのあまりの激しさから、今の状態で会うのは嫌がっているようです。 なので、今の目標は、 ・私達が母にされてきた虐待行為を正確に祖父母や親戚に認識してもらうこと。 (その後、祖父母や親戚がどうするかはわかりませんが、日本人の悪い習慣からすれば、知ったところで、親戚や家族であっても加害者を責めることも被害者を癒すことも何もしないでしょうけど。) ・両親をすっ飛ばして、祖父母に曾孫に会うよう説得すること。 この二点です。
- kanakyu-
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虐待は、その多くが水面下で行われています。 外の人間にはとてもいい顔をしているので、 周囲の人には被害者のほうがおかしいと誤解されて、二次被害を受ける事さえ、よくある話です。 >「人間としてどれだけの振る舞いをしてきたか」よりも、 >絶対に切ることの出来ない「親子関係」の方が大事である 今回の件で、問題は祖父母さまの価値観とあなた方の価値観との違いだと思います。 もちろん、虐待の内情をしらないのも一部あると思いますが、それでも「血の方が大事」という時代の違いはあるでしょう。 それに、祖父母さまの世代では、体罰なども当たり前に行われていた可能性もあります。 今の時代の、閉じられた核家族内での虐待ほど陰惨なものではないでしょうが、 時代の移り変わりを想像することさえも難しいと思うので、理解をあおいでも無駄だと思います。 あなた方から親御さんに言ってもお孫さんに会いたがらないなら、 可能なら祖父母さまにとりつぎをお願いしてみてはどうでしょうか。 それも断られたら仕方ありません。 親御さんはおいくつですか? こういってはなんですが、親もだんだん弱ってきます。 うちの親も虐待親ですが、子供につらく当たるのは、自分が元気で若いうちだけです。 体が老いてくると気も弱るし子供に頼りたくなるので、和解もしやすくなると思います。 それまでに祖父母さまがお元気でいてくださるかは分かりませんが・・・ 人の価値観、考え方を変える事はできないので、しかたありません。 わたしは、虐待をしてきて未だに辛く当たる親に対してあなた方がスジを通す必要はないとは思います。 しかし、この件はあなた方と親御さんだけの話ではありません。 すっとばして祖父母さまの方に行く事は、あなた方はよくても 祖父母様があなた方の親御さんに対してスジが通らないと思います。 あなた方にとっては、にっくき虐待親でも、 祖父母さまにとっては、かわいいお子さんあっての、お孫さんとひ孫さんですから。
お礼
ご意見下さいまして、ありがとうございます。 確かに、私の母も祖父母から厳しくされたようです。 (※書き忘れていましたが、私が書いている祖父母とは、母の両親のことです。説明不足で申し訳ありません。) > それまでに祖父母さまがお元気でいてくださるかは分かりませんが・・・ 私が心配しているのは正にこの部分です。まだまだ元気に見える祖父母ですが、既に80歳を超えていることと、私の両親の問題の根深さを考えると、先に祖父母に曾孫の顔を見てほしかったと考えたのです。 両親が孫に会うことはまだ何年も先と考えています。ただ、何年もかけていくことが出来るだけの時間的余裕はあるとも考えられます。 > すっとばして祖父母さまの方に行く事は、あなた方はよくても > 祖父母様があなた方の親御さんに対してスジが通らないと思います。 祖父母本人方から全く同じことを言われました。これまで私達が受けてきた虐待行為の話はしましたが、その話になると途端に歯切れが悪くなります。どうやら、「自分たちの育て方で、そういう子に育ってしまった。」と考えているようです。 > 人の価値観、考え方を変える事はできないので、しかたありません。 確かに仰る通りですが、心情的には納得出来ません。一人前の大人が、心や頭でどう思おうが自由ですが、理性で動くはずの人間があそこまで無茶苦茶になるのは「横暴」です。他人に迷惑をかけない、害を与えないから「自由」なんです。私の母は、そこら辺が全く分かっていませんでした。だから、私達子供が「叱られること」をすれば、大騒ぎして暴れますが、自分が言われる立場に立った時、(謝るべき立場に立った時)誤ったことが一度もありません。へらへら笑いながら「あーあ、やっちゃった」とか「危なかったねー、怪我しなくてよかったねー」と言って終わらせます。私が高校の時にそういうことが何度もあったと指摘すると、「自分のこれまでの人生を否定された」と言い出して、家事一切をストライキし出しました。そして、仲介に入った父が「とりあえず謝っとけ」と圧力をかけ、なにも悪くない私がなぜか謝らなければならないという結果になってしまいました。 こういう人間に対して、筋を通すなんてしたくありません。私はあくまで、祖父母に喜んでもらいたいという思いでいます。消して母ではありません。しかし、その祖父母が、自分たちの娘である私達の母に、両親に筋を通すよう言ってきたのでややこしいことになってしまったのです。 当分は悩み続けます。 とりあえずは、両親に、これまでのふるまいを真正面から受け止めて考えさせることから始めています。まだまだかかりますけどね。
- mk29
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家族の義理より個人の意思の方を優先させる。 別にそう珍しいことではないと思いますよ。 ただ、その考え方でいくならばこの問題は妹夫妻と祖父母と父母の問題で、 あなた自身には大して影響の無い問題です。 それなのに思い悩むのはどういうことなんでしょうね?
お礼
ご意見を下さいまして、ありがとうございます。 確かに、本来であれば、これは妹夫婦と両親、祖父母の問題であると思います。ただ、それは妹のみに非があればの話だと思っています。 私の母は子を虐待し、今でものうのうと生きています。何の報いも受けることなく生きています。 そんな人間が今でも「親」という顔で在り続けられるのは、悔しくて悔しくてしょうがありません。このままでは、血やDNAの繋がりのような「絶対に変えられないもの」に死ぬまで縛られることになります。本来は、家族の繋がりは、そんなものよりもずっと大切なもので出来ているはずです。 今のままでは、母親は一切悪びれることなく、妹に罵詈雑言を浴びせ、「仕方なく許してやる」と言わんばかりの態度で妹夫婦に接する可能性がとても高いです。そのような理不尽を認めるわけにはいきません。 そして、この問題に「無関係だ」という態度を取った場合、私は「理不尽を見て見ぬふりをした」ことになります。私はそんな人間にはなりたくありません。目の前で理不尽が行われようとしているのに止めもせず、ただ眺めているなどとても出来ません。 (私も家族の一員ですから、通り過ぎたり逃げるたりすることは出来ません。このままでは、いつか必ず私のところにも理不尽が来ます。) よって、実際には私にも大いに影響のあることです。 私は、早く両親にこれまでやってきた理不尽な行為とそれを止めもせず放置していたことを認めさせ、頭を下げさせ、大いに恥をかかせなければ、この問題を根本的に解決することはできないと考えています。 父は、「あいつ(妹)のせいで職場や親戚に顔向けが出来なくなった」と言っていましたが、虐待を見て見ぬふりをしていた時点で顔向けなんかできません。でも、そのことに気づいていませんでした。そのくらいの重態なんです。 また、これは、私達に刷り込まれた劣等感を払しょくするためでもあると考えています。 (私達は、母親によって、生きている価値のない人間であると長年思いこまされて生きてきました。それは今でも心の奥底に溜まってしまっているみたいです。) よって、私は、いくら思い悩んでも足りないと思っています。
現在はこういう虐待のある家族関係で論議されておりますが、話がまとまってはいません。そして、これからもしばらく虐待のある親子関係について論議されます。そのため、質問者さんが嫌なら、会わなくてもいいと思います。その内<血の繋がっていない家族>というものに対して、偏見なく受け入れようとされつつありますから、現状としては、嫌なことは嫌と意思表示した方が後あといいでしょう。
お礼
ご意見をお聞かせくださいまして、ありがとうございます。 こんなに早く頂けるとは、少々意外でした。 (文章が長いので、読んでいただけるか不安でしたので。) 私も、今は基本的に会わずに済んでいますし、会わなければならないとは思っていません。 ですが、まともな人間として接してくれた祖父母には、多少の高校はしたいと思いまして、今回の話になりました。 私としては、祖父母と妹夫婦の橋渡しが出来ればと考えています。 (両親をすっ飛ばして話を進めたいと考えています。) 現在も祖父母を説得するために考えを巡らせています。
お礼
アドバイスをいただけたことに心から感謝を申し上げます。また、返信が遅れましたことにお詫びを申し上げます。 私なりに、父を通して母の虐待行為を反省するよう働きかけてきましたが、効果はありませんでした。 それどころか、恐ろしいことが分かりました。これまでの虐待行為を父が肯定していたことです。どうやら「グッドコップ、バッドコップ」のような状態を作っていたようです。私が、これまでの虐待行為を強く指摘したところ、父から「お前なんかもう要らない」「勝手にしろ」という返答が送られてきました。 どうやら父は、普段働いているために家事やしつけを母に任せており、母の行う虐待行為も容認していたようです。自分では振るう必要がなかったというだけで。 ただ、これによって成果もありました。これでもう、両親にはばかることなく、親戚に姪たちを紹介することが出来ます。特に、祖父母に曾孫を抱いてもらえる日が来ることは大変喜ばしいことです。 3月11日には、岩手県の親戚にご挨拶に伺う予定なので、これからのことを少しでも相談出来ればと考えています。 (※絶縁状態となってことは特に問題ないのですが、私達 子側に問題があると吹きこまれないようにしないといけませんので。) 追記: (父は分かりませんが、)少なくとも母は、新興宗教のようなものに執心しており、その教えに傾倒しているようですが、決して「子供を虐待していい」などという教えではないはずなので、ある意味「自分の殻に閉じこもっている」状態となっていることがよくわかりました。私が中学生くらいの頃から傾倒し始めておりました(ムー大陸とかアトランティスとか宇宙人とか、そういう話が大好きでした。)が、はっきり言ってとても気色が悪いです。宗教にハマっていることがではありません。自分の見たいものだけしか見えていない状態で生きていることが、です。