- 締切済み
スポーツマンシップと教育
ロンドン五輪開催時に、考えさせられたのが、スポーツマンシップ精神である 五輪そのものは、スポーツマンシップなどを標榜しているわけではないが、観る側はそれをモラルとして認識していることだろう 今回の五輪トラブルでは、中国のバドミントンの無気力競技が問われたことが記憶に残っている 五輪憲章から違反行為として咎められるのは当然としても、無気力という判断は難しい問題がある 例えば、日本の女子サッカーの予選最終戦では戦略的に引き分けを目指したPlayingが行われた。 これを無気力と判定することは不可能ではないだろうが、戦略として問題視しない考えもあるだろう。 中国のバドミントンも戦略として考えれば道理はあるだろう 正直なところ、無気力云々を問うことには判定の難しさと恣意性が強いように思えてならない 例えば、実力差のある選手同士の戦いにおいて、体力温存の戦略を行うことは、無気力として批判されるべきだろうか? 正直、五輪の無気力判定は仕方ない部分があるにしても、合理的理由を提示できない問題があるように思えてならない これと同じことが、スポーツマンシップにも該当する この「スポーツマンシップ」というものは荒唐無稽かつ個人差がある概念だと思うが、 言葉として、”正々堂々”というニアンスがあるように思う 本件で問いたいのは、以下の行為がスポーツマンシップに適しているか?という話である (1)格下相手に対して、体力温存など理由で手抜きをする(一軍ではなく二軍を出すことも) (2)勝つために競技以外の部分で合法的な威嚇行為を行う(ビックマウス・挑発) (3)競技中、審判が見えない場所で高度な技術をもって妨害行為を行う (4)著しく優位な競技環境を事前に準備する (5)相手の弱点をつく 個別に私見を述べてもらい、併せてその理由を併記してもらいたい
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
私のスポーツ感はそんな高尚なものじゃなくて「相手に敬意を表し全力で戦う」ということですね。個人的にやる物ならばどうでも良いですが、こと相手が必要な「競技」としては、持てる力を最大限にぶつけることが敬意を表す事だと考えます。相手が居ないと競技にすらなりませんからね、、、というわけですので。 >(1)格下相手に対して、体力温存など理由で手抜きをする(一軍ではなく二軍を出すことも) どんな相手でも手抜きは良くありませんね。相手に対して失礼だと思います。 >(2)勝つために競技以外の部分で合法的な威嚇行為を行う(ビックマウス・挑発) これはスポーツマンシップというよりも道徳的なところかと思います。ビックマウスも構いませんが、相手を不快にする物言いはまず人としてどうかと思います。 >(3)競技中、審判が見えない場所で高度な技術をもって妨害行為を行う 球聖ボビージョンズが言うには「あなた達は泥棒をしなかったと褒め称えるのですか?」 ということです。不正をしなかったことをクリーンプレイとして褒める必要も無く、そもそも不正自体を行うべきではないということかと思います。 >(4)著しく優位な競技環境を事前に準備する 意図的に行うべきではないと思います。 >(5)相手の弱点をつく スポーツと行っても競技ですから、相手に勝つという意味で相手の弱点を付くのは正当だと思いますし、その弱点を克服する事でさらに高みへと進む事が出来ると思います。 とまあ「理想」を書いてみました。普段でもこう有りたいと思ってはいますが、私も弱いヒトなので全てを実践するのは正直難しいですね。もっと精進せねばです。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、 全体としてバランスがとれるようこれを結合させることを 目ざす人生哲学である。 文化や教育とスポーツを一体にするオリンピズムが求めるのは、 努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、 普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。 オリンピズムの目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立 を奨励することを視野に入れ、 あらゆる場で調和のとれた人間の発達にスポーツを役立てることにある。 ↑ これに基づいて、スポーツマンシップを判断します。 (1)~(5)は、勝つことを第一目的としていますので 総てスポーツマンシップに違反すると思います。
お礼
回答ありがとうございました
補足
個人的には、なぜ、五輪憲章に指摘される精神が、スポーツマンシップと考えるか?というのが知りたいですね 同じものではなく別物であると立場からすれば、一緒でいいのかな?と思うので
- Marco0123
- ベストアンサー率21% (256/1175)
初めまして。 質問内容を拝見致しました。 日本人は、”正々堂々”の精神が好きみたいですねー。 (1)リーグ戦開幕時等は、どのチームも目標を設定して戦っているかと思います。 ゲーム数を消化していくにつれて、どの目標で自分達は戦っているのかは、チーム事にハッキリとしているかと思います。 優勝争いをしているグループ、残留争いをしているグループ、来年のカップ戦出場権獲得等。 どのゲームを“重要視”と見るかだと思います。 (2)既に戦いが“スタートしている”と、考えますねw。 (3)それもテクニックの一つ、と思いますね。 私も不可抗力な倒れ方する時に、相手の背中に重なる様にしてみたり、時には相手の腹に肘が当たる様な倒れ方しておりましたねw。 (4)“地の利”を活用、是は戦略の一つでありますねー。 サッカーのW杯南米予選は10ヵ国、ホーム&アウェーで出場枠を争われます(W杯ブラジル大会のブラジルは予選免除)。 ブラジルとアルゼンチンはズバ抜けておりますので、このチーム以外は彼らとのホームで対戦を行う時は標高2000m以上の競技場でゲームを致します。ボリビアなんて3000mですもんw。 (5)ウイークポイントを徹底的に突く、勝負事では当たり前かと思いますね。 (~o~)
お礼
回答ありがとうございました
補足
思うに、戦略云々でスポーツを考えることと、正々堂々・スパーツマンシップは相容れないものではないか?というのが個人的な結論です 同時に最近どうしても悩むのは(3)の問題です 私は学校教育に外部的に関わっているのですが、さすがに「審判が確認できない場所でのラフプレイ」みたいなものを直接指導するわけには行きません。 しかし、選手自身が、そのようなプレイの適否についてこちらに問うてきた場合にどう回答したら良いのか?という問題がありました 私は結局は、回答せず当人が高度な技術としてアリだと判断したようです。 最終的には現役時代を思い出してその方法を請われるまま指導してしまったのですが、未だに正解が見つかっていません (5)も教育的には難しい課題でした 私は、お互いに努力した形で怪我もありえるのだから、その負傷箇所を避けるのは『卑怯である前に、相手に対して失礼じゃないかな?』と返答しましたが、結局は、当事者たちに判断を任せました。結論は個人個人が持てば良いものだと思いますが・・・ 整理された補足ではないのですが、こおスポーツマンシップ・正々堂々を考えるたびにスポーツ教育のあり方を含めて悶々としてしまいます 純粋な体育ならば美辞麗句の道徳で済ませることが可能でしょうが、選手同士に存在する努力・精神・意気込み・後悔などを考えると、とても美辞麗句で済ませられない問題だったので・・・ 回答ありがとうございました
お礼
回答ありがとうございました