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看護師(ナース)失格?
多くのバッシング覚悟で書かせて頂きます。 毎日、幼い2人の育児と仕事(フルタイム)に追われ、とにかく目まぐるしく毎日が過ぎていきます。 そんな中、ふと最近「自分は看護師には向いていないんじゃないか?」と思うようになりました。 そもそも、私って薄情なのかなぁ。 というのも、現在の職場は老人の患者が大半で、全患者(50床)の半分近くがIVHや経鼻栄養の患者。元々老人看護・・・老人そのものに対して全く関心がない私。 まぁ各家庭それぞれに事情があって病院へ入院させているとはいえ、面会にも全く来ない患者や、家族とも絶縁状態で身寄りがなく生活保護の患者など・・・。私的にはこういう人達の看護自体、どうしてもやり甲斐を見出す事ができず、日々処置を施したりオムツを替えたり・・・ひどい患者だと全身にいくつもの褥創ができ、毎日その処置に追われ、挙げ句亡くなってしまっても遺体を引き取りに来る家族もなく・・・。「この人達との日々の関わりに一体何の意味があるんだろう」と看護師らしからぬ疑問を感じてしまいます。 まぁ職場でも色んなナースがいて、かなり割り切って業務を淡々とこなすタイプの人もいれば、患者の状態1つ1つを我が事のように受け止め、必死でケアに追われるタイプの人も。
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- shinmaimama
- ベストアンサー率0% (0/0)
仕事・育児・私生活での看病、お疲れ様です。私も看護師として、これらのことを行っているmegu7さんの苦労が想像できます。これから書くことは私の思いであり、megu7さんの役にたつかは分かりませんが、書かせていただきます。 正直なところ、私も多少なりともmegu7さんのように考えてしまった時期がありました。しかし、日々看護し、患者さんの死に関わっていくうちに、自分が看護師になろうと決めた時のことを思い出しました。私の父は私が小学校の時に、私の目の前で心筋梗塞で亡くなりました。もちろん何もできませんでした。とても悔しかったです。その時のことを思い出したとき、私は自分が関わっているひとの「死」を考えるようになりました。この人が今死んでしまったら、私は後悔しないか?と。そう考えてみたら、患者さんのわがままも、家庭でちょっとむっとした時も、あまりつらくなくなりました。なんだか話がづれてきちゃいました。最後にひとつ。看護師も人間です。いろんな思いを抱くのは仕方ないと思います。ただ、megu7さんにはお父さんとの残された時間を大事にしてほしいとおもいます。
- inoge
- ベストアンサー率45% (510/1116)
典型的な燃え尽き症候群ではないでしょうか。 真摯な医療従事者ほど一度は経験する状態です。ましてや昨今の医療現場をとりまく不毛な状況からは無理も無いとおもいます。 たしかにいつも心を込めてはたらかねば申し訳ない。それができれば理想です。 しかし,燃え尽きることはだれにでもあるし,そこでやめてしまったら,また医療の現場から貴重な人材が減ってしまうのです。現場はもっと不毛になります。やさしすぎるから疲れるんですよ。 あまり思いつめないで,一度気持ちの中で患者さんと自分の間に一線を引いてみてはいかがですか。「生活のために働いてるんだ」「私は健康だから働ける」「私は病気じゃない」と。 そして当面はマシーンとなって働いてみたらいかがですか。気持ちに余裕ができてきたらまた自然と思いやりが沸いてきますよ。きっと。
- koebi
- ベストアンサー率31% (613/1930)
こんにちわ。 megu_7さんが本当に薄情なら悩みませんよ。きっと。 適職に巡り合えた訳ではなく経済面から仕方なく勤めている人が世の中には多いと思います。 医療は人の生死にかかわってしまうから、その分重く考えてしまうのかもしれませんね。 命。は私にとって難しいテーマです。 人は何で生まれてきたのか。 命の重さは同じのはずなのに、軽く扱われたり重く扱われたり、愛されたり愛されなかったり。。。 生きるのが嫌になってしまった人達もmegu_7さんが現在に至った心境のように、そこに至る経緯があったのだと思います。 経済的な余裕があれば、一度職場を離れて客観的に看護士について考えても良いのではないでしょうか? たいしたアドバイスになっていませんが、少しでも気持ち整理のお役にたてば幸いです。
「面会」についてだけ。家族の場合は、面会しても テレビドラマのように相手をいたわる言葉は、言えない ものです。面会しても容態が改善されないという、 甲斐のなさもあります。 患者が退院してもどってこられるように、自宅の 方の準備をしている場合もあります。ほったらかし では、患者も帰れません。 面会に来る人のない患者について、違う見方もある ということが言いたいことです。
- simuru
- ベストアンサー率27% (18/65)
こんにちは。私自身考えがまとまってないので、私の愚痴になってしまうかもしれないですけど。 第一印象。人間らしい人だなと思いました。自分は向いてないとか考えられる医療人がいたんだって感じ。人の生死や、修羅場を見てしまうと、それを受け入れられずだんだん、自分が何も感じられなくなってしまうものです。 あと、生きるために闘うってなんだろって思いました。生きたいのに生きられない苦しみ、死にたい思いで生きなければいけない苦しみ、そんな事考える余裕もなく必死に生きている苦しみ。 そんな苦しみから、救ってもらいたい時、やっぱり人との関わりが大切だと思うし、自分はそんな人を救えるような立派な人間でないとも思うし、でも、いつの間にか人を勇気づけてるのも自分かもしれない。 刑務官になっていたとしても、罪に対して立ち直れる人とそうでない人のドラマを見ていくうちに、きっと同じような葛藤を味わう事もあるんじゃないかともおもいます。 今は、あなたのお父さんを通じて生と死について考えさせられる時期なのかもしれない。その宿題を出してそして身を持って教えてくれているのはお父さんではないでしょうか。お父さんをしっかり見つめて、そして感じて、学んだことがあなたの答えになって行くような気がします。
お礼
心温まるご意見、本当にありがとうございます。 「生きたいのに生きられない苦しみ」 「死にたい思いで生きなければいけない苦しみ」 「そんな事考える余裕もなく必死に生きている苦しみ」 simuru様のおっしゃるこれらのお言葉・・今の私にとって、大変心に響きました というのも、今の私は、紛れもなく「癌患者の父を持つ娘」でしかなく、世の中全ての尺度が「父」なのです。なので、患者の訴えも今の私にとっては単なる「グチ」にしか聞こえず、心の中ではいつも「そんな事言いながら、治療さえすれば別に命には別状ないんだし」とか「もういいやんっ。十分生きたやんっ」とか・・実に看護師らしからぬ嫉視心でいっぱいです。 帰宅すれば私の父の事には一切無関心な夫がテレビを見ながら暢気に笑っている姿・・・何とも目障りで仕方なく、この3年間何度となく喧嘩になったものです。今ではもうそんな夫には何ら期待すらしていませんが。 補足というか、これでは私のグチでしかありませんね。すみません。話を戻します。 正直なところ、ベッドでただ寝ているだけでコミュニケーションすらとる事の出来ない患者が、今の私にはとても生きている価値があるとは思えないのです。まぁご家族にとっては、例え面会に来ないとしても(来れない事情もあるとはいえ)、勿論大切な人である事は理解しています。中には、その患者の年金欲しさ故に「延命」を希望する家族さえいるのも現実ですが・・・。 本当に難しい問題です。 一体何が今の私をこれほどにも不安にさせているのか・・・看護師に就いてさえいなければ、これほどにも悩まずに済んだのだろうか・・・何とも結論の見出せない課題を1人で作り上げ、出口の見えないトンネルを1人彷徨っている・・・そんな気持ちです。 しかしsimuru様の最後の文面は本当にその通りのような気がします。父との限られた時間・日々を大切に過ごす事こそ、今の私自身、そして今後の私の生き方、勿論看護師としての日々にも大きく影響するような気がします。 色々と私に考える機会を与えて下さった事に感謝致します。ありがとうございました。
自分は○○には向いていないんじゃないか? と思うのは、病院職員の中でも、看護師さんだけでしょうか・・・?と思う昨今・・・。 看護師さんたちは本当に良くやってくれていると思います。 普段の生活からナースになる時間、そしてナースから家庭に戻る時間、深夜勤、準夜勤。夜道は危ないから連れ立って出勤したり、帰宅したり。まるで自律神経失調になりそうな勤務、とてもがんばっていると思います。 労働内容も厳しいのに(腰痛、関節痛等をカバーしながら)・・・同等の給料の職場なら他のにもあるのにもかかわらず、ほんと人命を預かり責務が重く、時には感染等の危険にさらされる業務を献身的にがんばっておられると思います。 確かに、入院してくる患者さんの身の上、それとなく聞こえてくる家族との不仲・・・廊下で遺産相続の喧嘩、扶養義務のなすりあい・・・葬式の相談。そんな話を耳にすると、誰だってやりきれませんよ。 >「この人達との日々の関わりに一体何の意味があるんだろう」 誰だっていつかは、老い、病、死が待ていて、でもいかなる状態でも、患者さんは救われたい、幸福でいたい、孤独でありたくないと思うのでは・・・? 家族に見捨てられた患者さんも含め、絶望的で、常人が手を差し向けることの難しい患者さんにも、少しでも良い人生を最後まで歩んでほしい・・・だからこそ、医療関係者が微力だけれども、最低限サポートしてあげるのでは? 患者さんは何かといえば、医師の事をチヤホヤする傾向があるかもしれませんが、一番患者さんに接している存在、そいして身近な存在はナースだと思います。 良く、ナースに悪態をつく患者もいますが、それは病人が家族に対する日常生活での甘えの転嫁されたものかもしれません。 患者さんに罪は無い・・・megu_7さんにはそう思ってと思ってがんばってほしいです。 口で言うのは簡単ですが、実行するのは大変ですよね。ペーペーであるennuiの愚考です。
お礼
励ましのお言葉、心より感謝致します。 確かにennui様のおっしゃる通り、私自身この仕事に就いた事により、様々な人生の裏舞台というか・・・様々な生き方を知ると共に、本来なら知らずに済むような辛い現実も見てきました。まぁそれは医療界に限らず、その他の業種にももちろん裏舞台はあるでしょうが、やはり医療界は「生死」という、人としての究極の現実と向き合わねばならない職業だけに、今の私のように現実的に厳しい父の闘病生活を抱えながらの日々は本当に言葉では言い尽くせない精神的ストレスが多いのです。 父と過ごす貴重な時間・・・そして日々の看護師としての時間・・・、更に2人の子供達と向き合う母としての時間。今の私には、全てをバランス良く演じる(?)事はあまりに難しく、結果的に今回の質問に至った次第です。 ともかく全ては私自身の気持ちの持ちようなのです。元来、人と接する事が大好きな私。良い意味での割り切りを持ちつつ、私なりの人生経験を生かし、微力ながら看護師として頑張っていきたいものです。 この度は本当に色々とありがとうございました♪
- banana777
- ベストアンサー率15% (125/809)
あなたは人間的にまだまだ良心的だとおもいました。口にせずにいればそんなことわからないわけですから・・・。ここに書き込んだ瞬間からバッシングの嵐・・・。わかっていて書くのですから、自分の中の葛藤を何とかしたいわけですよね。 この世の中で本当に自分のやりたい仕事をできている人がどのくらいいるでしょうか?家族のため、先にあるやりたいことのために仕方なくお金を稼ぐ手段と割り切って働いている人が多いと思います。あなたと同じように・・・。 ひとつ、質問があります。どうして、看護士になったのでしょうか?普通の職業とは違いますよね。特別な学校にも通わなければいけないですから・・・おそらく、やりたかった職業なのでしょう。初心に帰るのもいいかもしれません。きっと疲れているんです。育児と仕事・・・頑張りすぎてるのでは? バッシングの書き込みがあっても落ち込まないでくださいね。 あなたが手抜きをしてないかぎり、頭でどう考えて仕事をしていても失格だとは思いません。
補足
心温まる励ましのお言葉に感謝致します。 そうですね・・・。NO1.shumi3様への「補足」にも書かせて頂きましたように、父親の癌告知が今の私にとって何にも増して大きな問題となっています。私の生活全て・・といっても過言ではありません。仕事中でも、父の事が頭から離れる事はありません。 しかし、看護師として高齢者の患者への関わりは続くわけで、80代のある女性患者など「私なんてもう年も年だし、いつ死んでも構いませんわ」等と訪床の度に聞かされ、しまいには訪床するのさえ憂鬱になってしまう事も。 父の件以来「死」という言葉に異常に反応する私。 半年前までは同病院内の精神科にいたのですが、患者達は事とある毎に「死にたい」だの自傷行為だの・・。まぁそれが彼らの病気とはいえ、こうして無駄に生きているだけの患者との関わりが無意味に思えて仕方がありません。 「父は生きたくても余命が限られているのに・・・」と私の意識回路は結局全てが父の事へ向けられてしまいます。 話がそれてしまいました。 看護師になった動機は残念ながら特別なものはありません。 私はむしろ「刑務官」になりたかった人間です。「刑務官」の実態は当然働いていないので分かりませんが、少なくとも看護師とは正反対の職業でしょう。 そんな私が看護師になったのですから・・・やはりこの先、看護師として限界があるのかもしれません。
- shumi3
- ベストアンサー率0% (0/4)
御両親は、ご健在ですか? 自分の身内が高齢となって介護が必要となったときに、また気持ちが変わるのでは? 色んな患者さんがいると思うので、ある意味割り切りは必要でしょう。楽しめる事があるといいですね^^大丈夫!失格ナースはこんな質問しませんよ^0^
補足
早々のアドバイスありがとうございます♪ かなり私の文面が長くなり、何とも中途半端な質問となってしまいましたので、ここで「補足」させて頂きます。 -------------------------------------------------- 私の看護観のズレ(?)には、父親の癌告知が大きく関与しているのも確かです。 私自身、3年前大好きな父親の癌発覚(余命告知も受けています)を期に、それまで抱いていた看護観が大きく変わりました。まだ定年前の父が自らの命の期限と向き合い、「生きる」為に日々必死で抗ガン剤治療をしている姿を見続けてきたこの3年間。しかし現場で関わる患者は父の年齢を遙かに超えた高齢者。別に「これ以上生きる必要はない」とまで酷な事は言わずとも、どうしても父との闘病生活の厳しさを痛感するが故、目の前の患者に対して厳しい見方をしてしまいます。 これは単なる私の「僻み」なのかもしれません。 父との闘病生活の中で、以前にも増して「老人:高齢者」を疎ましく思う自分がいます。 端的に言えば、ただ生かされている人ではなく、「生きる」為に必死で病と闘っている人のケアをしたい・・・そんな気持ちでいっぱいです。 が、子供を持ち、現実問題として、なかなかそんな夢ばかり追う事もできず、今はただ日々悶々とした思いで働いています。 看護師は人の「生死」に関わる仕事ゆえ、精神的にもストレスの多い仕事だなぁと痛感しています。 まして大切な父親の身に癌という病魔が付きまとい、私自身、はっきりいって「今は患者どころじゃない」というのが正直な気持ち・・・。 患者・職場では持ち前の明るい自分を演じてはいますが、その分何ともやるせない気持ちで日々ストレスが募っています。
補足
正直なお言葉に感謝致します。 私の表現力のなさから、sherlock01様に不愉快な思いをさせてしまった事、まずはお詫び致します。 当然の事ながら、特に患者が高齢者の場合、在宅での看護・介護が困難な場合も多く、結果的に病院へ預ける事になってしまうご家族(身内)の方々の心境は、私自身、多少なりとも理解しているつもりです。 今回私が書かせて頂いている内容は、あくまでも私が現在勤務している病院の特殊性から高齢者・精神科の場合に限定されてしまいます。勿論それらの場合にも、ご家族にはそれぞれ事情があるのは当然の事です。 ですが、日々私が関わっている患者のうち、少なくともこの1ヶ月の間に面会があった患者はわずか1割にも満たないのが現実です。ひどい場合だと、急変時、主治医が何度連絡先に電話をしても繋がらず、こちらも患者の対応に困ってしまうものです(延命するかどうか:挿管するかどうか)。面会はおろか、多額の医療費を滞納しても一向に連絡さえつかない家族や、不幸にして死亡退院となった患者の遺体を丸1日たっても一向に迎えに来ない家族等々。 いずれも世間的にいえばかなり極端な例ではありますが、何故か私の病院では決して珍しい事ではありません。 なかなか活字では表現が難しく、今回のように私の文面から不愉快な思いをされる方もいらっしゃる事と思います。 そのような自らの表現不足の言い訳と取られるかもしれませんが、私自身、やはりそのような家族の対応には、正直理解出来ないものがあります。 看護師の主な業務は、病院・施設における看護であり(最近では地域に向け活動の場も広がりつつありますが)、私達(看護師)としては、どうしても家族への働きかけが必要となってきます。それは別に特別な事を求めているのではなく、短い間でも患者さんとの時間を持って欲しいという事です。別に毎日来いというのではなく。どんなに痴呆が進み、日常の生活動作はもとより意思の疎通さえままならない患者さんでも、やはりご家族の顔を見た瞬間、表情が変わるものです。 私自身、既に書いておりますように闘病中の父親を持ち、決して「家族」の立場を知らないわけではありません。患者を思う家族が一体どんな気持ちで日々を過ごしているか・・・。疾患の重傷度によらず、それは全ての患者家族に共通して言える事だと思っています。 以上、長々と言い訳めいた事ばかり書き連ねてしまいましたが、いち医療人としての意見としてお許し下さい。