- ベストアンサー
地味な暮らしもなれました
と、虫コナーズのCMでありましたが、 実際に、バブル期の世代の方など、このご時世で生活レベルを下げて行くのにどのように心理的に折り合いをつけて、いかれたのでしょう? 自分が受けたような生活レベルや教育を、子どもにも受けさせられないということもあったと思いますが、そのモヤモヤはどうやって克服したのか参考にさせていただけると幸いです。 私自身は、結婚し、子どもを自身がしたように育ててあげることができないのがとてもモヤモヤします。また、今まであまり接したことのない環境でママとして上手くやっていけるか、また、自分の心を平安に保てるか自信がないのです。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
実は当方、在職していた会社は7000億の赤字を出した会社で西のPよりも他業種だった会社で、それでもV回復した会社でした。世界で初めて日本以外の会社で、パリ-ロンドンを受注した会社で 正解で唯一列車の製造から予約発券システムから列車のダイヤグラム管理システムができる会社でした。「ドイツ=ジーメンス」がほとんど受注していたのでしょう。 高卒で入社しましたが、一流大学卒仕事ができない方も多く見てきましたし(同じグループに東大君もいらっしゃったのですが4~5流大卒や高卒(ごくマイノリティ))でも努力すると報われるのだなと思いました。 入社した時には学歴社会だったのでサラリーはどんどん上がって行っていたようですが、どんなに良い大学を出ても、努力しない・できない方は、高卒以下のサラリーだったと思います。 私はSE+NEでしたので電車は関係なかったですが^^ 悶々としないで、「やればできる子」に育てください。 ともかくモチベーションを高く持つことで報われる事が大半なので、「やればできる子」お子様には「努力を惜しむ悔いよりも、、悔いのない事に努力すること」 ですね。 お母ちゃんがモヤモヤしているとお子様も不安がります。 当方も、同世代の高学歴者半分ももらっっていなかったっと思います。 とにかく「明るくおおらかなお子様に」育ててみては如何?「笑う門には福来たる」ですよ。
その他の回答 (4)
すみません。私も回答にはならないのですが。 質問者様のような方が身近にはいないので、本当にいるんだな~そういう人、と思ってしまって。 私が就職した頃は本当にバブル絶頂期。 でもいい大学を出ていたわけでない私は良い企業に勤められたわけでもなく毎月かつかつの生活でした。 早くに結婚して親元を出ていたため二人で働いても生活で手いっぱい。 給料はそこそこ悪くなかったけど家賃や物価も異常な高騰を続けていましたから。 実家も赤貧とまで行かなくても母はパート勤め、学費を払ってもらうのが精いっぱいの経済状況の家でした。 毎週末に国内旅行、休暇には海外旅行と遊びまわる同年代の友人達を傍目にシーズンに一度の貧乏旅行を楽しむのがせいぜいでした。 札束かざしてタクシーを停めてた、っていったいどこの世界の話かな~?って。 同じ東京の空の下でそんな光景が繰り広げられてたなど信じられないって感じでした。 バブルの恩恵など何も受けないうちに好景気は終わりを告げました。 私達の生活は何も変わらない…と思ってたら、やはり不景気のあおりを食いました。 夫の給料の減額、ボーナスカット。 余裕があったとは言えない生活をさらに切り詰めることに。 そんな折りに妊娠し、どう子供を産み育てて行くのかと途方に暮れる思いでした。 しかしなぜか暗い気持ちにはならなかった。何とかなるさ!と。 皆がバブルで浮かれてる間も私達はずっと貧乏生活の中での工夫で乗り切ってきた。 お金がないなら知恵を絞るしかない。やってみるとそれも楽しいものです。 いかにお金をかけずに生活を楽しむかに心を砕いてきたのです。 もしお金があったらその楽しみは得られなかった。 その当時は余裕で乗り切ってたわけじゃなく背に腹は変えられずの苦肉の策だったのだけど。 あとから思い返すと、楽しかったなあ、って。 人間、理由は何であれ夢中になっったり真剣になれる事があるのが幸せなんです。 だからさらなる苦境に陥った時も「貧乏のエキスパートになってやる!」とばかりに、気持ちだけは負けませんでした。 お腹に命を宿していたからその力が湧いたんだと思います。本当に我が子に感謝しました。 笑う門には福来たるって本当ですよ。 夫婦で力を合わせて乗り切ったその先に、夫の転職の大成功という幸運が待っていました。 周りが不景気にあえぐ中、それに逆行するように私達の生活は楽になって行ったのです。 たしかに高い生活レベルから低いレベルに移行するのは大変な苦労でしょう。 精神的ストレスも大きいでしょう。正直、自分はその逆で良かったと思います。 つらい時代があったからこそ今の幸せの価値がわかります。 最初から手にしていたら全然わからなかったでしょう。もっとずっと粗末にしていたかも知れません。 お金がなければ人間として堕落するわけじゃありません。 清貧という言葉があるようにそもそも日本人は質素倹約を美徳とする心を持っていました。 無駄を省き贅を落とすことに価値を見いだす文化がありました。 バブルに狂わされてその心を忘れてしまったのです。 知恵と工夫、ですよ。 人間はモノがない中からこそ知恵を生み出し工夫して生活してきたのです。 モノがない事は実は素晴らしいこと。モノは言いかえればお金です。 いかに無駄なものに心を奪われているかと言う事に気付く事だと思います。 それに気付かないうちは生活が良くなっても幸せにはなれません。 「貧すれば鈍す」となる事だけは嫌だ。貧しくても賤しい心だけは持ちたくない。 そんなふうに思ってきました。 そのせいかどうかはわからないけど、ちっとも育ちの良くない私がなぜか 「どこか気品がある」などと言われます。 裏を返せば意地っ張りなだけかな、と思いますがね。(笑) 長文、失礼しました。
- ovtave-G
- ベストアンサー率42% (68/159)
いわゆる 「栄枯必衰の断り」 「おごれる物久しからず」 て、やつですね。 当方、富良野(と言うよりも南富良野町の方が近く)の百姓の息子でした。 それで苫小牧の学校(工業)卒業し横浜で生活してました。 モトカミと息子は川崎に住んでます。 実際地方都市の地方都市に今は住んでいて、細々とコンサルを生業としています。 今はもうけた時の喜びより、仕事が達成できた喜びの方が今となれば生き甲斐かぁ。と思っています。 (実は株で儲けたお金かみさんに大分吸い取られました^^) >私自身は、結婚し、子どもを自身がしたように育ててあげることができないのがとてもモヤモヤし >ます。また、今まであまり接したことのない環境でママとして上手くやっていけるか、> また、自分の心を平安に保てるか自信がないのです そのように思っているならばいいママになれますよ。何事も試行錯誤でね。 「頑張る必要はないのです。最大限の努力をしてくださいませ」
- ovtave-G
- ベストアンサー率42% (68/159)
いわゆる 「英子必衰の断り」 「おごれる物久しからず」 て、やつですね。 当方、富良野(と言うよりも南富良野町の方が近く)の百姓の息子でした。 それで苫小牧の学校(工業)卒業し横浜で生活してました。 モトカミと息子は川崎に住んでます。 実際地方都市の地方都市に今は住んでいて、細々とコンサルを生業としています。 今はもうけた時の喜びより、仕事が達成できた喜びの方が今となれば生き甲斐かぁ。と思っています。 (実は株で儲けたお金かみさんに大分吸い取られました^^) >私自身は、結婚し、子どもを自身がしたように育ててあげることができないのがとてもモヤモヤし >ます。また、今まであまり接したことのない環境でママとして上手くやっていけるか、> また、自分の心を平安に保てるか自信がないのです そのように思っているならばいいママになれますよ。何事も試行錯誤でね。 「頑張る必要はないのです。最大限の努力をしてくださいませ」
- ovtave-G
- ベストアンサー率42% (68/159)
回答になっていませんが・・・ 当方勤務していた会社は、とてもシブチンの会社でした。 今思えば、Y2Kの時に株価約\20,000(\800,000,000ほど儲け)5年ほど前に退職したのですが退職金が\1,00,000,000ほど出してくれました。 バブルに踊らされなかったのが大きかっですよね。 今は起業してます。
お礼
優能な方なんですね。バブルや資産に躍らされないというのは大事ですね! ありがとうございました。 私は金銭面では苦労した家庭の子も周りにいない環境で育ちました。いざ赤貧芋を洗うがごとしの生活になっても、料理など生活できる術は教わったのですが、現実に生活レベルを落とした時の精神的なショックがここまで大きいとはわからなかったのです。 制限あるなかで楽しんで、など心がけても虚しくなり戦後の新興華族のなかには没落し自殺もあった、その気持ちにいたいほど共感することもあります。 貧乏がいやならはたらく、というのが一般的な論理ですが、うつ病っぽくその気も起こらずといった感じです。どうにか克服したいです。