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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:過激な思想の人について・そうなったきっかけは?)

過激な思想の人について・そうなったきっかけは?

このQ&Aのポイント
  • 過激な思想の人について知っておきたいこと
  • 過激な活動をする人のきっかけとは?
  • 過激な思想の人の心理について考える

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

 ヒマ人と洗脳。  *ヒマ人;時間があっても周囲から相手にされないので、マスコミのようにあることないことや、アオリ・大声で注目を浴びようとしている。現場で仕事をしている人たちは忙しすぎて声を発することさえ考えられない。粗大ゴミ化した爺に多い。何をしゃべっていても要するに「ボクのことに注目してくれ」というセリフに翻訳可能。  *被洗脳者;「こうせねばならない」「こうあらねばならない」という意識(イデオロギー)だけで生きてきた連中。もちろん現実とは矛盾してくるので、誰かに養ってもらっている立場でないとできない。原理主義者ともいう。特に婆や世間知らずのガキに多い。

その他の回答 (3)

  • sync-mag
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回答No.4

 なにをもって「過激」と呼ぶのでしょう。みずからの信念から刑法にふれるような行為におよぶ者は「過激」であると見なせるでしょうが、単に思想信条が違うことをもってこう呼べるのか難しいところです。  わたしからは隣国を口汚くののしる人たちも十分「過激」に見えますが、当人たちはそう思っていないでしょう。  平素わたしは「左」と見なされていますが、学生時代は「右」だと言われていました。自分自身では大して変わった自覚はなく、変わったのは世の中のほうだと思っています。  こういう生ぬるい人間なので質問者様の疑問に答える資格はないと思っていましたが、微力ながらわたしの体験もお役に立てるかもと思い直したので投稿させていただきます。  某有名私立大学のそばで育ったもので、ゲバ棒持ったデモ隊は日常風景でした。全共闘後の内ゲバをくり返していた時代です。そのころは単に「大学生というのは暇なのだな」と思った記憶しかありません。  その後は日本の歴史と文化が好きだったことと学校に対する反発から保守派に引かれていき、自分は「右翼」なのだと思うようになりました。右翼の活動家とも知り合い、有楽町でだれも足を止めないのに演説を続ける赤尾敏を「かっこいい」と思ったものです。もっとも自分で街宣車に上ることはしませんでしたが。この辺が生ぬるいところです。  大学に入ったころは学生運動の最末期で活動家の姿も目立ちませんでしたが、右翼にも似た生きづらそうな感じにじつは好感をもちました。その教条的なところには辟易したのであまり近づきませんでしたが、出くわせば世間話くらいはしてました。  もう少し近づいていれば、ここで体験談を書けたのですが。  このころ保守派では渡部昇一や江藤淳が脚光を浴び始めていて、わたしは彼らのあまりに粗雑な論理構成と彼らの世俗的な野心に大きな違和感を感じていました。それまでの保守論壇はもっと知性的でリアリストの集団でしたし、タカ派は日本の価値観に信念をもっていて、けっして媚米的姿勢は見せませんでした。と、中高校生のわたしは感じていたのです。  ところが大学で史学を勉強する過程で、新しい保守派に対する違和感ははっきりとした否定へと変わります。価値観がどうというより、彼らの歴史学があまりにもお粗末だったからです。  典型的なのは南京大虐殺をめぐる論争でしょう。細部ではいまだに議論が交わされていますが、歴史学においては大筋で決着のついた話です。決着がついていないのはあくまでも政治文化の世界なのです。はっきり言えば、アメリカでいまだに進化論を受け入れていない人が多数をしめている状況と変わりません。  わたしは日本の歴史が好きで日本人を誇らしく思っているのですから、その日本を自分たちの都合によせて好き勝手にいじくり回す彼らに賛同できません。「新しい教科書をつくる会」にいたっては嫌悪感すらおぼえました。あの教科書のレベルの低さは日本の歴史に興味がないのだとしか思えません。  左翼こそこれをやって来たというのは誤解です。1960年代までならまだしも、その後の歴史学者は左翼であってももっとまじめに歴史に向き合っています。日本の歴史に真剣な関心を寄せ、史実を尊重する姿勢を見せてくれるかぎり、わたしにとっては右だろうと左だろうと「仲間」と思えます。  日本史には良いことしかなかったと言い張るのは、日本の歴史を愚弄し、父祖の事績を馬鹿にする行為です。彼らは彼らの時代を生きたのだから、われわれは彼らを知り、理解しようと努めればいいだけのことで、なぜ現代の政治的都合で薄っぺらい物語にしてしまうのか、わたしには理解できないのです。  しかし、なぜそれがある人びとには許容されるのか、正当化されるのかといえば、まさしくそれが「信念」だからでしょう。わたしが彼らを「過激」と感じる所以です。左翼や動物愛護、環境保護だけが「過激」なわけではありません。  実際彼らの言動は、かつての右翼活動家たちのそれより「過激」です。  あと、なにが国益なのかはあらかじめ答えの出せるようなものではありませんよ。たとえば数万人の避難者を出した福島第一の事故など、わたしに言わせれば郷土を傷つけ同じ日本人を苦しめた許しがたい事件ですが、そう思わない人も大勢いますから。    えらく長広舌になってしまいました。申し訳ありません。  わたしが出会った活動家はおおむね生きるのがあまり得意でない人たちに見えました。そして、ある意味純粋な人たちでもありました。残念ながら(?)、わたしにはこの純粋さがなかったのでどちらにも行けずにうろうろしてます。  そういえば、むかし住んでたアパートの隣人はオウムの信者でした。まったく会話のなり立たない人だったので話したことはないのですが、思えばこの人も「過激」な人です。

noname#176965
noname#176965
回答No.2

本当に、愛があって活動している人は、常識的な活動をされていると思いますよ。 おかしな活動をする人は、本当の目的は、それ、では無いんだと思います。 お金や、名誉や、破壊工作や、何か別の目的があるんでしょう。 また、その目的の為に他人を洗脳し味方につけて、正義と思い込まされている人もいるでしょう。 まあ、正攻法では相手にされない事もあるでしょうが。尾瀬も珍しいと立証できたから残ったのであって、できなければ破壊されてたでしょうから。 目が曇って、反って目的を阻むのは残念な事ですね。そればっかりになってる追い詰められっぷりは、ストーカーの心理に近いのかもしれません。 何にせよ、世の中の偉人だって、ある意味過激な変人だと思いますよ。不眠不休で研究とか、病気が流行ってる所へ飛び込むとか、ありえないです。 やり方を間違った人が、偉人でなく狂人になるんでしょうねぇ…。

  • hekiyu
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回答No.1

左側の人は、もともと国益なんてのは考えて いません。 世界全部を社会主義に統一するのが彼らの夢なんです から、国家という観念などどうでもよいと思っています。 動物愛護団体や環境保護団体には、この左側の人が 大量に潜り込んでおります。 つまり、ソ連崩壊で、社会主義の夢破れた連中が沢山 出た訳です。 そういう人達が、大挙して動物愛護や環境問題に流れ込んで 入ったのです。 勿論、環境団体などには一般市民も沢山いますが、幹部とかの 主流は専門家である、彼らに牛耳られているのが現実です。 ”いったい人生においてどのようなきっかけがあってそのような活動をするに至ったのでしょうか”    ↑ 社会主義を標榜する人達に共通しているのは、極めて教条主義的だ、と いうことです。 毛沢東は人民の数は革命の源泉であるとして、それを農業にまで 適用し、間引きを禁止しました。 それで大飢饉が発生し、数千万と言われる餓死者が出ました。 彼らは現実を見ません。 理念だけで物事を見て、行動します。 現実の、自己中の人間を観ないで、強引に社会主義を推し進めた結果 誰も働かなくなり、独裁と貧困を生み出す結果となりました。 机の上だけで理論をひねくり回していると、こうなるのです。

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