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苛立ちと潔癖症についての質問
- 苛立ちや潔癖症に悩む質問者の文章から、センセーショナルなタイトルや要約文を作成しました。
- 質問者は最近、汚いものや人との接触を嫌っており、苛立ちや怒りを感じることが多いです。受験のストレスや人の行動に対する不満も原因かもしれません。
- 質問者は自分の潔癖さによって日常の生活が苦痛に感じられ、他の人に対しても嫌悪感を抱いています。心の疲労や不安感が強いようです。
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質問者が選んだベストアンサー
これを書くために、私も自分をまた見つめ直すことができてよかったです。 ありがとうございます。 思いつくまま、回答させていただきます。長くてすみませんがおつきあい下さい。 私も、そこまで極端ではありませんが、そのような状態になったことがあります。 本当にいらいらして、そんな自分にもいやになり、世界が灰色になりますね。 >他人が邪魔で、ルールを守らない人や気配りの出来ない人が憎くて堪りません。こうやって人を憎めば憎むほど疲れて、自分が一体何の為に生きているのか分からなくなるときがあります。 きっと人間は、人を憎むようにはできていないのだと思います。 人を愛したとき、許したとき、こころが大きく開いてエネルギーがわいてくるように思います。 その逆はひたすら消耗するのみです。 >夢もない、成績の為に頑張っても疲れるだけ、唯一私に生きる意味を与えてくれるのは遠距離の恋人だけです。 恋人とは唯一その愛を感じ、本当に必要なものが得られるからなのでは。 >人生に期待なんて持てません、持っても私には無意味です。 「期待」とは? どんな期待ですか? >一体何の為に生きているのでしょうか。 それを見つけるためなのだと思います。今はそれを考えさせられているときなのかも知れません。 私が思うに、愛するためだと思います。 だから、今その正反対のことを経験しているのだと思います。 >歩きながら携帯を弄る女、席を取ろうと駆け込む老人、ルールを守らない自転車、ベビーカーで突進する馬鹿親、たいした知識もなく気配りも出来ないろくでもない女、こんな人で溢れ返る街を歩きながら私の感情は濁り、みんなみんな消えてしまえばいいのに、何度そう思ったでしょうか。 確かに、学校で教えられることとは正反対ですね。みんな自己中心的に見えますね。 みんながみんな完璧であれば、こんな世界になっていないだろうし、 私も、神様はなんでこんな苦しみにあふれた世界なんかを作ったのかと思ったものです。 でもだからこそ、それぞれがいろいろなものにぶつかりながら学んで行くのだと思います。 成長するために、それぞれが必要な役割を果たしている。 嫌な役をしている人もいれば、良い役の人もいる。みんながお互いに影響し合っている。 そうやって、少しずつ自分を磨いて成長するのではないでしょうか。 今はみんな発展途上だと考えてはどうでしょう。レベルの違いはあるでしょうけれど。 また、あなたは自分がいつも正しいと思いすぎているのかもしれません。 人それぞれ色んな事情があるでしょうし、 どんな人もよいところをひとつや二つ持っているはずです。 そういうものに触れたとき、他のマイナス面を少し許せるようになりませんか? あなたが見ているのは他人のほんの一部、一瞬しか見ていません。 それだけで、その人を判断してしまうのはもったいないと思います。 あまり他人の悪い所ばかりに目を向けず、良い所が見れなければスルーするとか、 自分なりの考え方の転換をされてはどうでしょう。 >全ての事の発端は私の潔癖からです。 その潔癖の原因を思い出すとよいかもしれなせん。 意外なことが原因だったという場合もあると思います。 最初に、「汚いものが嫌いになりました。」と書いておられますが、 「汚いもの」とは物質的なものなのでしょうか。 他人が汚ければ、自分も同じくらい汚いと思いませんか? 人間、生理的にはそんなに差はないと思います。 「恐怖を感じるくらい」とありますが、あなたがいう「汚いもの」が、あなたに何をするのですか。 命が奪われるとか、そういうことでしょうか。 何かとすり替わっている気がします。。。 >今でも酷く、めまいや頭痛をも引き起こしています。 本当の心と、今の状態が一致していないのだと思います。(言葉での表現が難しいですが) >それを自分勝手な価値観で、私を押さえつけようとする、この行為にいら立ちを感じてはいけませんか? 誰の行為でしょうか。 まさにそれはあなたが自分自身と他人にしている行為と一致しています。 たぶん、あなたは他人と同じくらい自分自身も受け入れていないし、許していないのでは。 だから他人も受け入れられないし、許せないのだと思います。 >些細な事で苛々し、人が憎くて、憎む事で力が尽きそうになり、怒りや憎悪で心が埋まってしまうことは、おかしいですか。 私は、そのような経験があり、自分で原因を考えた所、 自分がいつも正しく完璧だと思いすぎていたということと、 その影で、自分自身でも気づかない所で、自分がとても自己中心的になっていたということに気づきました。 自分が完璧で、正しい人間であろうとしすぎて、自分を押さえ込みすぎていると、 そのうち自分自身も他人も許せなくなってきます。 心がだんだん狭く、暗くなって、笑えなくなります。 自分も実は間違いを犯すし、完璧ではないということを受け入れたとき、他人も許せるようになるのだと私は思います。 あなたは最近、何かに感謝しましたか? たとえば、お米を食べるとき、それを育ててくれたり、運んでくれた人がいます。 その人は、あなたに声をかけたその見知らぬ人だったかも知れません。 わたしの心が狭くなったもうひとつの理由はその感謝する心が欠けていたということです。 それからは、自分の感情に流されっぱなしにしないで、 そういう感情がわいてきたときには、客観的に、冷静にその原因やらを考えるようにしました。 また、いろいろな人やもの、自然等に感謝するようにしました。 そして、自分にも。。。 あなたが憎んだその人は、きっと誰かの愛しい人であり、子供であり、大切な親であることでしょう。 そういうことにも心を向けて、直ぐに感情的にならず、自分の思いと向き合ってみてください。 私が最近読んだ本で、少し参考になるようなものを最後にご紹介します。 図書館等にあれば借りてご覧になってはいかがでしょうか。 ・生きがいの創造(飯田史彦) ・心を浄化する方法(ジョン ゴールドスウェイト) 前者は自分の人生や問題を考える上で、新しい視点になると思います。 後者は実践的です。かなり客観的に自分を見つめるのに役立つ本だと思います。
その他の回答 (2)
- vanilla77k
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以前の知人女性に同じ様な症状がありました。 精神科へ行ったところ境界性パーソナリティ障害の不安型との診断でした。 やはり病院へ行ってみましょう。
- dondoko4
- ベストアンサー率12% (1161/9671)
貴方は病気です。神経症という。