ICは 最も古い1号機のみに付いていた命綱で 2号、3号機はその発展系とも言われる隔離時冷却系でした
国会事故調委の聞き取りに応じた1号機当直運転員によれば
「ICの経験はないが冷温停止へ持っていける自信があった」
と述べたとおり 地震直後2系統とも自動起動したところ急激に炉圧力が低下したため 11分後あえてB系統を止め A系統の片肺のみで3度ほど入り切りしながら規定圧力内を巧みに維持したようです
ところが約50分後 津波により一切の電源を失い 所員の知らずうちに1号機は危機的状況に陥ったワケです
東電の調査報告書によれば 18:18 直流電源がよみがえり A系統が停止していたことに気づいた運転員は 手動開操作を行い原子炉建屋越しにICからの蒸気発生を確認したものの
7分後の18:25に蒸気発生が確認できなくなりました
そこで運転員はIC内の冷却水が炉からの蒸気による熱交換でなくなり このままではICへの蒸気管が空焚きで損傷し 炉内の放射性物質が建屋内に漏れ出す
と考え 再び3A弁を閉めたとのことです
しかしこの時点で緊急停止し煮えたぐる炉は 津波後既に約2時間半以上もの間 なんら冷却措置も施されていなかったわけですが ICを切って事態を悪化させたと報道した側は津波による全電源喪失後もずっとICが機能していたと思っていたのかもしれません
ところで国会事故調委の報告書では この蒸気発生がなくなったのは その頃すでに炉心損傷が起こっており水素がICへの細蒸気管に入り込みICの機能が失われていた可能性が高いとしています
お礼
詳しい説明ありがとうございます