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書道展に楷書の作品が少ないのはなぜですか
ときどき書道展に行きますが、楷書の作品がほとんどないというか非常に少ないように思います。書道展に出品するほどの人には楷書はあまり魅力がないのでしょうか。ほかに何か理由があるのでしょうか。
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それは、楷書が一番難しいからですよ。 楷書は一番遅くに完成された最も研究された ちょっと習ったぐらいの語術では隠しようのない厳謹で美しい書体だからです。 楷書を、正確かつ自分の個性出しながら美しくまとめるのは至難な業です。 唐の欧陽詢の「九成宮醴泉銘」など見られるとわかると思いますが。 野球でいうと 行書草書がガーブシュート等変化球とすると 楷書は、ストレートかつ重みある剛速球 書道展でも、 多くは、ようやく変化球を一つ覚えました程度の人が多数です。 エース級になれば、同じ字でも、状況に応じて楷書行書草書・・・と使い分けできます。 zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
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- halcyon626
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書道10年、9段まで持っています。 小さい頃から、最高賞も含め数々の賞を貰いました。 まあ、行書が多い中で楷書を書いてもイレギュラーですし、 他作品との差別化が難しいんですね。 書いた字には、その人の個性が表れます。 鉛筆でもボールペンでも、皆同じ字を書きませんよね? 例え同じように真似て書いたとしても、字にも個性が出るのです。 そういう意味では、楷書よりも行書の方が、差別化出来ます。 書き方や捉え方・認識は、人それぞれですから。 文字なんて正直な話、書き順や構成を度外視しても、 カタチがしっかりしてれば良いのです。 そうやって草書なんかは、まるで絵を書くかのような文字を書きますよね。 私の先生は、仙台の出品展において、 「独眼流正宗」という字の「眼」の部分。 正宗は右目に眼帯をしてるので、眼の作りの左右を反転させたりしていました。 こういうのも、作品として面白いですし、味わいがあります。 また、その人の個性や表現性も楽しめるワケです。 「文字の形」。単純にも関わらず、奥深きモノです。 また、上記のように、あるレベルを越えてからは、 書道は、丁寧に字を書くことから、 自己表現の場に変わります。 「書く」から「描く」に変わるのです。 絵だって、そのまま正確に写生せず、 見えたままのイメージを投影する、表現の場に変化しますよね。 言ってしまえば、丁寧に書きたいなら機械的に出力・コピーすれば良いだけですし、絵は写真を取るだけで済みます。 しかしながら、それでも書くのは、 人間が書くことでの不完全さ(悪い意味ではなく) その人が、どう意識し考え、どう捉え、どう表現したいのか? どう見えるのか? それを描かれた作品から、楽しむのです。 楷書も、そういう個性を楽しめますが、 やはり行書の方が、自由に描けて良い。 参考までに、
お礼
いろいろ矛盾した要素があって複雑なものなのですね。ご回答ありがとうございました。
- lions-123
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>書道展に楷書の作品が少ないのはなぜですか ↓ ◇個性や創作的な要素が発揮しにくい。 ◇レベルにもよるのでしょうが、作者の技量やアイデアを活かしての自由奔放な創作が難しい。 ◇観賞する時に、楷書の作品は、どうしても単調に見える。
お礼
成程と思いました。やはり難しい書体なのですね。ご教示ありがとうございました。
お礼
なるほどと思いました。楷書は難しい。釣りの鮒で始まり鮒で終わるを思い出しました。ご教示に感謝いたします。