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オンテックスのトークライブに出ていた古田敦也さん
以前、オンテックスのトークライブに行ったとき、題名の通り古田敦也さんのお姿を拝見しました。そのときは知人に連れられて行った形で、どんな方なのか失礼ながらよく分かっていなかったんですが、最近になってだんだん古田敦也さんが気になり始めています。トークライブと言っても2008年に行われたもので、4年も前の話なため本当に残念ながらあまり詳しくは覚えていないんですが、プロ野球をやられていた方なんですよね。あれから知人が引っ越してしまったのでその知人とは話す機会がほとんど無くなってしまったんですが、一応ブログについては聞いていて知っているので、最近ホノルルトライアスロンに挑戦されていることは知っていますが(メダルをたくさん取られているとのことで、凄いなって思います!)、過去のことはあまり知りません。 プロ野球時代のことをはじめ、最近のことや著書のことなどなど、何でも構いませんので、どなたか古田敦也さんがお好きな方がいらっしゃいましたら、皆さんの好きなエピソードを教えていただけないでしょうか。 要領を得ない質問ですみません。 よろしくおねがいします。
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- kai22222
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メガネのキャッチャーは大成しない この長年あったジンクスを破った事ですかね ヤクルトのスカウト陣は本来彼を獲得する予定は無かったそうです それを野村監督がフロント、スカウト陣を説得して獲得したそうです その後は野村の見立て通りの活躍をみせ・・・ カッコイイと思います
- deppa990
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最近のことはあまり知りませんが、プロ野球選手時の古田敦也さん、大好きでした。オンテックスのトークライブ懐かしいです。私も行った記憶があります。 古田敦也さんと言えば、私はプレースタイルが好きですね。 ちょっと、wikipediaさんから引用させていただきます。 守備・打撃の両面で、それまで定説とされていた技術に対し、自身の経験に裏打ちされた独自の理論に基づく技術を構築している。そのひとつとして、かつて「捕手は捕球の際、脇を締めて構える」というセオリーがあったが、敢えて両腕をルーズにして構えた。これは脇を締めることで、ヒジの自由性を失うデメリットを懸念したためであり、脇を締めた状態(ミットを立てた状態)から低目の投球を捕球する際には、『ミットを上から被せにいく捕球しかできない』という。それだと捕球直後には腕を伸ばしきって一段とミットの位置を下げてしまうため、ボールと判定される見込みが高くなる。それを解消させようとミットを下から掬い上げる捕球を求めた結果、“脇を空ける構え”につながったのである。新人時代には、それを見た野村監督から「お前、もういっぺんやってみい」と言われ、再現してみせると「ほう。お前、そうやるんか。なるほどな、勉強になったわ」と言われたという。もっとも、この構え方が原因で1994年にはファウルチップにより右手人差し指を骨折している。また「捕手のミットは小さいほどいい」と言われた当時、敢えて大きなミットを使用した。これも変化球に対応し、より確実な捕球を目指すためであった。 これを知ったとき、なんて凄い選手なんだろうと思いました。常により良きを目指して先へ進む古田敦也さん、かっこいいですよね。
- ナオ(@naoki714)
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こんにちは!オンテックスのトークライブ行かれたんですね、羨ましい!僕は古田敦也さんがプロ野球選手だった頃からファンだったので、トークライブが開かれたときは行きたくてたまりませんでした。結局行けなかったんですが・・。 調べたら結構出てくると思うので、個人的に好きなエピソードを! プロ入り入団当初、野村の古田評は「肩は一流だが、打撃は二流、リードは三流や」というものだったんですですが、最大の武器である強肩を活かそうと、捕手としての技術をマンツーマンで教え続けたそうです。当時ヤクルトの正捕手だった秦真司は課題の弱肩を克服できず、途中から古田がその座を奪い106試合に出場。リーグ1位の盗塁阻止率を記録し、ゴールデングラブ賞も獲得しました。2年目の1991年、オールスターゲーム第1戦(東京ドーム)では相手走者の盗塁3度をすべて刺して、MVPを受賞!シーズンでは落合博満との競り合いの末、打率.340で首位打者を獲得しています。首位打者を獲得した捕手は野村以来史上2人目、セントラル・リーグでは史上初で、捕手による打撃3部門のいずれかのタイトル獲得は野村、田淵幸一に次ぐ史上3人目だったんですよ。 現在も常に新記録に向かって邁進しているそうで、さすが古田敦也さんだなあと思いますね(笑)