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不特定多数の男性と付き合う女性もどうかとは思いますが、逆に不特定多

不特定多数の男性と付き合う女性もどうかとは思いますが、逆に不特定多数の女性と付き合う男性というのもどういうものなのでしょうか? 私は古い人間のせいなのかどうかわかりませんが、あまりそういう感性を理解できないような気がするのですが

みんなの回答

回答No.11

私も理解できない古い人間のひとりです。 私もそういう人が許せないと思っていましたが・・ 年を重ねて結局世の中にはそういう人がいるんだ!と割り切るしかないと思うし…そういう人間が嫌なら付き合わなきゃいい…という結論に達しました。 結局価値観の違いじゃないんでしょうか?! ある商品が1000円で売っていたとして・・その商品に魅力を感じないのであれば高いと単に思うし、魅力を感じればなんて安いんだろうとか思うかと同じで・・・ 別に理解する必要性はないと思います。 私も男にだらしない女や、だらしない男を知っていますが・・結局それは仕事上とか・・あくまでもうわべだけで・・友達と私が言える人にそういう男、女友達はいません。だから・・割り切るしかなんだと思います・・・ 悲しいですけどね・・・ 私ももしなんなら明治時代位になってほしいとさえ思いますねぇ・・貞操とかそういうのを口にするのも恥ずかしい位の勢いの・・・・ やっぱり・・時代には逆らえないってことですかねぇ・・・

noname#19037
noname#19037
回答No.10

あなたの感性は、全く古くありません。浮気を男の甲斐性などという感性の持ち主は、ひと昔前の男尊女卑の甚だしかった時代に生まれてくるべきでしたね。 なお、一夫多妻は“不”特定多数ではありません。また、未開の地においては多夫一妻も存在するそうです。

  • zenzen99
  • ベストアンサー率40% (165/405)
回答No.9

こんにちわ。 できるかできないかって話であればできると思いますけど。 ただ実際相手がいないことにははじまりませんが。 「付き合う」って言葉がどこまでのものを指しているかわかんないんですが、 わたしの場合「二人で出かける」「二人で飲みに行く」なら日常茶飯的にしてます。 もちろん恋愛感情はないですし、キスとかセックスとかはしません。 この時点ではどうでしょう? 一般的にたぶんほとんどの人がNGを出すであろう「二股」とかって話となると、やったことないですけどできるかもしれないですねぇ。 条件があります。 最大の条件として「付き合ってるけど大して好きではない」ってこと。 好きって気持ちがあれば嫌われたくないのと同時に裏切りたくないですから。 ただいくら裏切っても付いてきてくれる相手で、もし機会があれば浮気や二股ってことも考えられるのかもしれません。 うーん、でも裏切った時点で自分に罪悪感を覚えてしまうので正直きついかなぁと思いますけど。 今の世の中の風潮的に恋愛とは別に体だけの付き合いってのはかなり広く認識されているし実際している人も多いです。 そういう考え方同士の人が特定の相手が居るにも関わらず出会ってしまえば、自ずとそういう流れになりそうだし、お互いに多少の罪悪感はあるだろうけどそれを共有することで打ち消しあったりなんかして。 結局自分でそういう微妙な部分をうやむやにして片付けてすっきりさっぱり別のことと捉えられる人であれば「できる」ってことなんだと思います。 相変わらず文章めちゃめちゃだなぁ。 意味不明ですいません。

回答No.8

私自身の倫理としては、【できない・してもらいたくない】が結論です。 でもこれは正解な訳ではない。 【しても良い・されても良い】と位置付ける価値観もまたあって良いのではないでしょうか。 それにしても「本命は一人なのだから、セフレがいようがキープがいようが不特定多数との交際とは言えない。だから彼には常に私だけを見ていて欲しい」なんていう考えの20代前半♀とは流石に友人ではいられなくなりました。 別の友人からは「1棒主義なのね」と言われました。 どうやら私も古い人間のようです。貞操も、とっても大事にしています。 多棒主義、多穴主義を理解はできなくても、私自身それは構わないと思っています。 ただ、そんなあり方の人たちがいてもいいじゃないか、とは思います。 どうせ私は多穴主義の男を好きにはならないだろうし、私の好きな人も多棒主義の女を相手にできるほど器用じゃない。 両親も兄弟もどうやら1棒1穴主義の様子。つまり、私が生きる上では支障のないことですもん。 但し、プレイボーイ(死語?)の立ち回りを凄くカッコイイと感じることもありますよ。

  • yuki314
  • ベストアンサー率10% (74/737)
回答No.7

そうですね・・・・ そういうのが『うらやましいか』どうかといえば ちょっとはうらやましい気もします。 みんなが気っぷが良くてそれで生活が成り立つとかだったら 笑 う~んでも私には無理でしょうね。 それだけの努力を本人がしなくてはいけないって事ですもんねえ 友達の友達の話で五又で週5はデートって話を聞いたことがありますが 生活も性格も破綻しそうですねえ でも実際そういう方はいるとは思いますが 理解出来ない・したくない ですかねえ

  • kirimie
  • ベストアンサー率25% (60/237)
回答No.6

こんにちは。 私は男女問わず、不特定多数の異性と付き合う人は,人格を疑いますね. しかし、一夫多妻制という言葉があるように、過去は不特定多数の妻を持っている男性はたくさんいたはずですよ.現在でも後進国はそういう国ありますが・・・。逆に、一妻多夫制という言葉は、聞いたことがありません。どこの国でも認められていないのです。しかし、日本でも昔は「男の甲斐性」といって、浮気をすればするほど、株が上がるように思われていたようです.明治生まれだった私の祖父の話では,妻に一途な男性は,周囲からバカにされることもあったそうです。ですので、現代よりも昔のほうが、確実に「不特定多数と付き合う男」は多かったはずですし、それが常識と思われていた時代もあるのです。  また、現代でも男女問わず、不特定多数の異性と付き合うことを、自分の誇りみたいに思っている人もいます。私の知り合いの男性は最高で7またかけていました。そして、周囲にそれを自慢していました。7人とも全部、女の子から告白されて,断りきれず全員と付き合ってました.なんというか、私から見ると、彼は極端に人に嫌われることを恐れるような人に見えましたね.幼少期のトラウマを背負っているような感じにも見えました.  女性でも、不特定多数の恋人がいてこそ、自分のステイタスと思っている人もいますが・・・私なら絶対できません。まあ、その人、その人のステイタスの問題だから、仕方ありません。  あなたも、そういうことが理解できないですのよね.そういう感性、大事にしてください.一途に人を愛することが出来ない人は、やはり何かの原因から、情緒的にも安定していないんだと思いますよ.

  • izaya
  • ベストアンサー率35% (51/144)
回答No.5

テレビのたとえ話: 「都合のいい時間に不特定多数のチャンネルを適当に合わせて、その時たまたまに見たい番組観て楽しんでいる視聴者も問題だが(まして同時に複数番組を回し観することもある!)、不特定多数の視聴者に対して迎合する番組を垂れ流すテレビ局も問題。」 「古い感性の私にはテレビはNHKのみであるべきだし、NHKもNHKだけを観る視聴者を対象に番組を作るべし。」 う~む・・。 はっきり言って、こういう次元の話になってしまえば、それはもう当人達のキャラや感性の問題ではないでしょうか。つまり視点と許容範囲の違い。 互いに同じ者どうしなら、了解してれば問題なし、です。 いい番組が見つかるまで、チャンネルを繰るような気分で不特定多数の者と付き合う(付き合える)人はいるし、それはできなくても、番組やアイドルの掛け持ちならできる、という人や・・ひょっとしたら、それさえも悪い気になってしまうような人も。 ただ、これだけは確かに言えるのは、どんな付き合い方を選択しようとも、それ相応の現実の中でしか生きることはできないと、いうことでしょうか。 即ち、おかしな言い方ですが、「そういう程度の人はそういう程度の人生を送る」みたいな感じです。だから本人達の好きにさせるしかない。 自分は不特定と付き合うのに、相手にはそれを許さない、なんて不均衡な状態が調和を生み出すわけはないと思います。稀にそういう男女を見ますが、それは「男の自己中を許す(求める?)女」と「自己中を許す女を求める男」の関係で、それまた互いが了解しているなら、同じことです。了解できないなら、当然長くは続かない。 それとこういう見方も。 自分探しの長い旅に出ている人達。それも自分の外に自分を探すから、見つからない。 「ここではない。この人ではない。」ということはわかるのですが。だからまた別の人を欲していく。ここではないから、ここにはいられないし、この人では十分ではないから別の人を・・ということの繰り返しです。 キャラメルひとつに満足を見出せない人なら、全世界を与えられての満足できない、ということを理解しない人達でしょうか。ちょっと殺伐とした感覚ですね。本人達には勿論、そういう自覚はないでしょうが。 そして当然、そういう人達はそういう考えや特性に応じた世界観、恋愛観の中で生きるしかないのです・・。 それがその人達に幸福であるかはどうかは大きなお世話、良いとも悪いとも言えない。それはその人達の問題でしょう。でも、心の中では純粋に自分の幸せを見つけたいと願っているには違いないのです・・。 実際、そういう時期や経験を経て、そのことを見出して変わっていく人もたくさんいて、まあ、死ぬ間際にならないと自分の生き方が良かったかどうかは人それぞれで、その人以外の誰にもわからないのでしょうね。 私はそう思います。 ご参考までに。

noname#6384
noname#6384
回答No.4

多くの異性に「異性として意識され好意を抱いてもらえる」状態に、 満足し優越感を感じ、自分の存在価値を確認する 遊び・ゲームだ、と言っているケースが多いようだが、 しょせん相手を心底から思いやれるほどの精神力と心の器量が無いだけ。 人間的には薄っぺらとも言える。 だから問題が生じたら、交際を終了させることで逃げるだけで 困難を乗り越えて責任持って問題処理に当たるなんて荷が重くて出来ない。 だから、1人の異性と人間的にも、とことん付き合う方が、実は大変な事だということ。 多くの異性と同時進行で付き合うこと=悪いこと・普通の交際ではないこと をさらりとやってのけることに快感を覚える、 そして、それが可能な自分に価値を感じるのではないかと思います。 また、そう考えてくると、性依存の可能性も考えられます。 性依存の深層心理は以下のようです。       ↓ 『生きているという感覚を味わうことの出来る手段 落ち込みやイライラ等から抜け出す手段 虚無感からの脱出手段 男性:セックスは「男らしさ」の証であると同時に「力」・「存在価値」があることの証明 女性:性交渉を求められる=女としての魅力の証 』

回答No.3

楽しいゲームをしてるみたいなもんですよ。 身も心も落とすんです。まあ役者の修行みたいなもんですね。但し大変ですよ~3人ぐらいが限界ですね・・ 特にクリスマスや誕生日などのイベントの日なんかは・・(笑)世界には一夫多妻の国もあるわけですし、文化ですね文化。質問してる人も前に回答してる人も試してみたらどうですか?やってもみないのに否定しないほうがいいと思いまーす。

回答No.2

付き合いの度合いによるのでは? ただの友達ならばいいでしょうが、複数の人と肉体関係があるのは問題でしょうね。