そういう低次元な心の持ち主はどこにでもいますね。。
小中高生、大学生、会社、スポーツジム等の趣味の集まり、日本、海外。
場所や年齢を問わず、人が多いところはどこでも。
他人のことを 、平気で傷つけることを言ってはしゃいで友人同士/同僚同士で喜びあう。
そしてまた、ターゲットとなった人の様子をうかがいながら一層悪口を楽しんでいる。
このような光景を目にし、耳にする度、
このような人たちのモノの考え方はどうなっているのだろうか、
このような人たちが将来結婚し子供をもったらどんな子供が育ってしまうのか、
どのような育ち方をしたのだろうか、
などと色々考えてしまうと同時に、悲しい気持ちになります。
私は自分がターゲットとなっても、他人がターゲットとなっても、
このような集団で下劣な悪口を楽しむ行為には関わらないでおこう、
というスタンスで生きています。
自分がターゲットな時も他人がターゲットな時も、
わざわざそんな馬鹿げた行為を楽しめる集団にモノを言っても、
心が通じない、あるいは、エネルギーの無駄と考えているので、
そのような行為にはひたすら沈黙/無視をし、
自分がするべきことを淡々としています。
見る人(思いやりや道徳心、心の中に正義や良心がある人)が見れば、
平気で人を理不尽な悪口で傷つけようとする彼らの(彼女らの)行為は、
馬鹿丸出し、と感じることと思います。
たいした容姿じゃないくせに悪口を言う資格なんて無い、
と、質問者様のような質問に対する回答としてよく目にしたり耳にしますが、
私は、いくら容姿が良くても悪意をもって人を傷つけようとして人の容姿の悪口をいうべきなんかじゃない、
と思っています。
私の場合、両親が、情にもろく思いやりのある人柄で、
傷心している人を見る度に、「可哀想に」と同情しています。(←上から目線ではなく。)
ニュースを見ると、この言葉を言わない時はありません。
人に思いやりの心をもつ、、この言葉を、小さい頃からよく言われて育ってきました。
幸いなのか、それともこういう世の中ではアンラッキーだったのか、、。
私が自分にかける言葉は、
「他人になんら迷惑行為をしているわけじゃないのに、
傷つける為に悪口を集団で楽しんでいる奴らが間違っている」
です。
私は、ビジネス社会に入る頃までには、
傷つけ傷つくことで思いやりを学び、心が成長し、
くだらない行為を楽しむ連中はいなくなる、
と学生時代まで思っていました。
ところが・・・。
死ぬまで治らないでしょうね。そういう面に関しては、絶望的ですね。
こんな世の中だからか、親戚の純粋な幼児にとても癒されていますが、
同時に、優しすぎて心ない人たちに傷つけられる毎日を過ごしたらどうしよう、
と心配でもあります。
同じ人種でも些細な差別を楽しむ連中がいるのです。
世界レベルでみると、それが、戦争へとつながっているのだとも思います。
「人間ってすばらしい」、なんて、私は、社会人になった今でも、言う事はできません。
認め合えて建設的な関係を築けるような、もっと成熟した社会になるように、願っています。
長文で重めの文章になりました、、失礼しました。
お礼
お返事下さりありがとうございました。