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在日韓国人との結婚
甥が在日韓国人女性(何世かは不明)と 2年の交際を経て結婚を考えています。 甥は大学卒業と同時に卒業式の日に 入籍したいと考えているようです。 甥は私に小さいころからなついていて 私の言うことなら何でも従います。 甥は歴史や政治に関心がないので 甥とはそういう話はしていません。 甥に特定の人種や人物へ変な固定観念を 植え付けるのは絶対によくないと思い 甥から質問があれば答えるようにしていました。 しかし幸いにしてか不幸にしてかは別にして そういう質問はありませんでした。 私は社会科教師であった時期もあります。 日教組の教える中韓のいいなりの歴史ではなく 日本の歴史を教えていたため、 日教組の教職員とは 思想的に激しく対立していました。 私の日教組との対立は 小学校1年生から始まってましたが 内容については今回の質問とは あまり関係ないので割愛します。 また私は自分が幼少時に東京から大阪へ 引っ越しした際に言葉が生意気だと 親はPTAの会長を務め 本人は学級委員という在日韓国人の女に 下校途中女性だけの集団リンチを受けて 文字通り身ぐるみすべて剥がされ スッポンポンにされた挙句 小学校の正門近くまで練り歩かされたところで 逃げ出したという経験があるため 在日韓国人には厭な感情を強く持っています。 これが原因で女性恐怖症になってしまい 成人した後まで女性と交際するうえで 尾を引く形になりました。 ただ、在日の中にも気骨な子もおり 集団リンチに参加しなかった 在日韓国人の女子もいました。 彼女も私が生意気なので嫌ってはいましたが 集団で暴行することへは卑怯として 参加しなかったようです。 私が母や父ほどに在日全般(南北朝鮮、支那)に 対する憎しみに凝り固まった見方をしないのは この奇特な女子のおかげなのかもしれません。 また私の母(つまり甥からすると祖母ですが、)も 敗戦後の混乱期に在日の略奪集団に 集落を襲撃されて母の実家も略奪を受けました。 この時母は持っていたお菓子を取り上げられた挙句 暴行を受けた経験があります。 母は幼少時は男の子のような恰好をしていたらしく 女の子には見えなかったため奇跡的にレイプには 遭わずに済みました。 当時5歳とはいえ、相手が相手ですから 女の子らしい格好をしていたらどうなっていたことか… なおこの略奪によって母の姉の嫁ぎ先も被害をこうむり 母の姉はレイプされました。 そのため今90超えたこの叔母は今でも テレビで韓国タレントや在日タレントが映ると チャンネルを素早く変えるそうです。 私も昔この叔母とNHKを見ていた時に キムヨンジャが歌いだすと叔母がものすごい スピードでチャンネルを変えていました。 また母の兄は阪神大震災の時に 自宅兼店舗で被災して キャビネットの下敷きになって 身動き取れなくて苦しんでいたところ 在日(南北朝鮮か支那かは不明)の 略奪を受け、店の商品で金目になるものや 必要そうなものを全部持って行かれました。 母の兄は 「証拠隠滅のため殺されなかっただけよかったよ」 といってましたが… 私の両親は甥の本来は目出度い話を聞いて 烈火のごとく激怒しました。 両親ともに関西出身で 戦後に在日による集団略奪を受けていました。 父の場合は畑を略奪されて収穫間際の かぼちゃなどを奪われたそうです。 暴力を受けたわけではないので 母や私ほどの憎しみや恨みを持ってはいませんが 在日勢力に対する好印象は持っていません。 母は怒り狂って兄をわざわざ実家へ呼び出して 「あんたは自分の息子にどんな教育をしてるんだ」と 兄を殆どしかった事のない母がものすごい剣幕で 怒ったそうです。 私も驚いたのですが、 母が兄を思い切りひっぱたいたそうです。 そればかりか、親子の縁を切るとまでいったようです。 兄は私と違って出来がよく、 親に迷惑を賭けたことがほとんどない子で 私の記憶でも兄が母に叱られることは 兄が小学生の頃は私をおもちゃにしていたため よくありましたが、中学校に入ってからは皆無でした。 兄も兄嫁も在日にどうこうされた経験がないため さっさと身を固めてくれれば少しは人間が変わって しっかりした人間に成長するかなと思っているため 結婚には賛成のようです。 私自身は甥が決めたことだし 結婚は当人同士の問題なのだから 当人がそれでいいなら いくら私が反対してもしょうがないと思い 甥からこの話を聞かされた時は愕然としつつも 仕方ないと甥を応援する覚悟を固めました。 さてここで整理すると甥の結婚に無条件に賛成しているのは 甥と甥の彼女 兄夫婦 兄嫁のご両親 兄嫁の兄夫婦 甥の彼女のご両親 甥の彼女のご兄弟とその夫婦 甥の彼女の祖父母(父方母方とも) 甥の結婚に賛成しつつも不安視しているのは 私 甥の結婚に猛反対しているのが 私の両親 反対者が少ないのでおそらく話はとんとん拍子で 進んでいくでしょう。 相手のご両親は大阪で手広く商売をしているようで 今は商売の方もうまくいっているようです。 そのため在日家庭にしては 裕福な御嬢さんのようです。 そのためこの御嬢さんはアルバイトは 自分の小遣いに使っているようです。 借りてるアパートの家賃と光熱費や携帯代金は 全部親が支払ってあげているようです。 結婚のスタイルに関しては 甥にはこだわりがないため 彼女のやりたいようにさせてやるつもりで 韓国式というのでしょうか、 韓国の古いしきたりにのっとって 式を行うようです。 会場を借りてやるわけでなく ご自宅でやるようです。 式は卒業式にも近いからと 三一節にやる予定です。 私は正直、絶句しました。 兄や兄嫁、もちろん 兄嫁の親族はこの日が どんな日かは知らないでしょう。 多分、この日がどんな日か 知ってるのは歴史馬鹿の父と私だけ 父も兄からこの話を聞いて 甥の結婚式には参加しない と表明しました。 私は甥からむこうのご両親に頼んで 甥の卒業式に近い3月17日か16日 あたりにしてもらうように交渉しろとは 伝えておきました。 幾らなんでもひどすぎます。 向こうの両親に嫌がらせの意味はなく ただ単に自分の国の祝日だからというので 選んでいるのであればいいのですが そこらへんがよく正直分りません。 私は甥からはじめてなぜ父がこの日を 嫌うのか質問をされたので これには正直に答えておきました。 ここで知らない方にもいるので 簡単に説明します。 三一節は、韓国の祝日で3月1日。 大韓帝国の最後の君主 高宗が崩御したのをきっかけに 1919年3月1日に日本からの独立を求めて 三・一独立運動が開始され暴動化し 何人かの死傷者も出ました。 独立運動は2か月くらい続きました。 1946年3月1日に国家慶祝日に指定され、 1949年10月1日に公布された 「国家慶祝日に関する法律」で 祝日に指定されました。 この日には政府が記念行事を主催し、 殉国の士に対する追慕と哀悼の黙念を捧げて、 民族精神を振り返るという祝日です。 つまり韓国の人たちにとっては ぶっちゃけていうと 年に一度日本への恨みを思い返す日と いうことになるわけです。 こんな日を両家の結婚式の日に 指定するなんて どうかしてるんじゃないか? 最初っから喧嘩売るたぁ 上等じゃねえか というわけで父はブチ切れたわけです。 甥には結婚して幸せになってほしいです。 だけど、日取りから察するに相手の両親が 何を考えてるのかよくわかりません。 結婚した後、甥は御舅さんの会社に 勤めるわけでなく、普通の日本企業に 勤める予定です。とはいってもまだ 内定もらってないのでどうなるかは わかりません。 ちなみに甥は兄の長男であるため このままだとゆくゆくは 私の家の本家を継承することになります。 さて質問です。 この結婚はこのまま進めたほうがいいのか (結婚式の日にちだけ変えて) それでゆくゆくはこの甥と甥の子に 本家も継承してもらうか もしくは私も両親と協力して甥の将来を考えて ぶち壊しにした方がいいのか ご教授願います。 私の考えは以下の通りです。 1.相手の意図がどうであろうと 甥の好いた様にやらせたいと思っています。 つまり結婚はさせてやりたいけど日程だけは 何とか変えてもらいたいと考えています。 2.また本家は私が一旦ついで、 兄の次男か三男に本家を継いでもらおうと 考えています。(私と養子縁組) それは両親が忌み嫌う血が本家の中に 入り込まないようにするためです。 兄は本家を継ぐ気ではいますが、 仕方なしという感じなので 私が父の後の家督を襲うといったら 多分賛成するでしょう。 (私は未婚の独身で子供がいないため このような変則的な継承をするしか ありません。) 長文で読みにくく申し訳ありません。 最後まで読了いただきまして 誠にありがとうございます。
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私はあなたの考えに賛成です。確かに今時、結婚を家と家との結びつきと考える若者は少ないでしょうが、家督相続はその家門の歴史的継承者であるので、そこは理解してもらうべきでしょう。真の問題は、あなたのお兄様ご夫婦が本家を守り、日本のしきたりを伝承していくというその意味をまったくわかっていないことです。 韓国に限らず、どのような国際結婚の場合でも、どちらのどの文化を優先するのかは大切な課題です。まして両国に複雑な感情がよこたわる韓国との結婚ならば尚更きちんとしておくべき問題です。 そもそも日本に於いてどうして結婚式をへりくだって韓国式にするのか、理解に苦しみます。百歩譲っても、少なくとも結婚式の特定の意味を持つ日取りくらいはこちらの希望を聞いて変えてもらわねばなりません。おそらく、あちらの休日でないと親戚が来られないとかなんとかの理由でしょうから難しいかもしれませんが。 あなたが、日本側の希望するしきたりや墓守がどこまで継承されるのか、ご親戚として心配なさるのは、当然のことです。むしろお兄様ご夫婦の考えの浅さには、首を傾げざるを得ません。 韓国こそ日本以上に、結婚は家同士の考えが根強く、跡継ぎの家の事情は理解できるはずです。むしろ説得もせず今から相手の言いなりでは、おそらく、今後日本の風習、しきたり、冠婚葬祭にまつわる様々な事柄を全て韓国式で行う可能性すらありますね。 誤解のないように願いますが、私自身は特に偏見はありません。しかし、両国の歴史解釈の相違だけでなく、日本には戦後の混乱期の在日の暴動や暴挙による不信感及び恐怖に基づく被害感情があり、韓国には韓国の日本への併合を侵略とする憎しみが根強く、不幸なことに正しい相互理解を阻んでいることを知っています。 例えばもし、甥子さんに子供ができ、両国の歴史理解を話す上での歴史観は、母親の思想に影響されます。そういうことを考えると、この結婚にはあまりにも克服すべき課題が多いのではないかと心配にはなりますね。 甥子さんの結婚が真に両国の架け橋になるためには、二つの文化の違いを曖昧にするのではなく、どう文化を共存させていくかの明確な意識が必要です。曖昧なままでは結局どちらの意識も「被害者」のままです。 そういった意味で、きちんと希望を伝えるあなたの考えは間違っていないと考えます。 ただし、恋に目が眩んだ甥子さんに、正論が通じるのかどうか、無責任なお兄様夫婦が敢えて困難な説得の道を選ぶのかどうかは、甚だ疑問です。「差別だ」「偏見だ」と論点をすげ替えて、あなたが逆に攻撃される可能性が高いことは、覚悟なさった方がいいでしょう。 うまくいくように祈っています。
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- miubo
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私は日本人ですが、未だ貴方のような家族(人間)が大勢いるから、 争い事の根元ともなる、戦争や人種差別は無くならないんだよね。 同じように過去を虫返せば、朝鮮・韓国人、中国人らも貴方の家族 らが経験したように、この国の私たち日本人にもっと悲惨な酷い事を されたというのも事実なんですよ。 朝鮮・韓国の人もその事を未だ、貴方の家族のように憎しみとして 忘れされず、日本人以上に憎しみの感情をむきだしている人は一杯 いますが、過去に酷い経験をされた事でトラウマになってるかとは 思いますが、出来得る限りもう一人でもそうい思いや考え方は捨て るよう努力しましょうよ。 あなた自身がその思いを強く持っているというのも、文面の内容や そこまで知らす必要もないだろうと思うほどの、長文から見ても感じ 受けますし、読んでいて段々とまだこんな危篤な輩がいるかと思い、 正直貴方に対して変に怒りを感じてきましたよ。 私の知人や友人及び親友と言える者にも、沢山韓国の方もいますが、 皆本当に良い人ばかりです。阪神大震災の時も昨年の震災の時も、 ここぞとばかりに略奪や暴徒を企てた輩は、恥ずかしいかな自国の 者の方が多いんですよ。 難しいとは思いますが、貴方の持ち抱いている心をまず変えましょうよ。 それで始めて心から、甥の結婚をも祝えるのではないでしょうかね。
お礼
回答ありがとうございます。 苦言を呈していただき感謝します。 気持ちは変えたいのですけど なかなか… ただ、なんとか両親を説得してみます。 初孫の結婚式に参加しないなんて 孫の側もかわいそうですからね。
補足
あなたのおっしゃるとおり過去のトラウマを多分に引きずっています。 冷静な目では見れていないことは事実です。 かといってあなたほどに韓国人や中国人を信頼し信用することも これまたできないことも事実です。 小学校1年生の時のあまりに大きくショッキングな事件でしたからね。 叔父は日本人の略奪被害には遭いませんでしたが おっしゃるとおり、 大阪から大量に浮浪者が押し寄せて略奪放題したのを 知らないわけではありません。 大阪に住んでいなければ あなたのような考えが出来たのでしょうけどね。 両親や身内が体験していても 自分が体験していなければ 少しは考えが変わっていたかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 明治の初期の地租改正のどさくさにまぎれて こがねをためていたため土地を買って 漁師を廃業して農家に転身したのが 我が家の起こりです。 そんなわけで家としては 対して古くはないのですが、 母の実家は戦国時代から続く 名家であるため 母自体は歴史は全く苦手にも拘らず 家の事を非常に大事に考えています。 母や母の身内に起きた事件を 本当に在日と断定できるかは疑問も 残りますが、外国人によって 火事場泥棒をされ苦しめられた事実に 変わりはありません。 それゆえに外国人差別が根強く 残ってしまったのでしょう。 両親の説得は厳しいでしょうが 父は割とドライな性分なので 結婚式の日付の変更がかなえば 初孫ということもあり、 多分参加してくれるでしょう。 母を説得するのは至難の業ですが… 家を守っていくためには 現実的な判断からも 兄と兄の長男を飛ばして 私、兄の次男か三男と 継承していくのがいいでしょう。 先方が万が一 本国に帰るようなことがあれば そのとき甥が家を継いでいたら 先祖を祀るものがいなくなって しまいますからね。 家自体は潰れてしまってもいいと 私は正直そこまで妥協しています。 つまり、今の実家を私の次の代で たとえば田畑も家も売り払ってしまっても 構わないと思っています。 父は確かにそこで育ちそこから社会人として旅立ち また戻ってきました。 しかし、私や兄にとっては単なる本籍地で 土地に対する愛着というのは祖父や父に比べると 相当に希薄でした。 父自身も祖父が具合を悪くして祖父を連れ出して 東京で長いこと生活していましたから 祖父が東京で亡くなっていたら家屋敷を手放して 茨木か埼玉あたりに土地を買って暮らそうと 本気で考えていたようです。 そういう意味では父はかなりの レアリストだったといえます。 幸いにして祖父が長命を保ち 父が定年退職したあとまで生きたために 祖父は長年戻りたかった実家に戻ることが できました。 必然的に父もこれで祖父亡きのち 家と土地を守っていくことが確定してしまいました。 父は私と兄がこの家と土地を守るだけの力量がないことを 知っているため、無理して家を継ぐ必要はないといっています。 私も身体障害者であることから百姓ができないため 土地は最悪手放さないといけないかもしれないと 覚悟は決めています。 ただ先祖を祀ることだけは絶やして しまっては申し訳ないと思っています。
補足
両国の間の歴史の相違についても 在日の人は日本でうまく生活していかなくては ならないので、さわらぬ神にたたりなしという人が 比較的多いことは知っています。 本国でも騒いだりしているのは一部の人だけで あることも私なりに理解しています。 それゆえ結婚自体は喜ばしいことではないかと 思っています。 兄夫婦と相手のご両親は 何度かあって話をしているようで 電話でもよく話をしているようです。 兄夫婦とも、(そして私とも) 向こうのご両親は近い年齢なため 話のウマがあってよいご家庭のようだと 兄はいっておりました。 そんなに悪いご家族ではなさそう ということは理解しています。