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アンネ フランクの家について
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No2回答者ですが補足いたします。アンネフランクハウスは1960年に小さな記念館として開館し,ついで1999年にその家に隣接する新館としてのミュージアムが作られたようです。ご指摘のようにミュージアムから入り,見学通路から”アンネの家”を見学し,ミュージアムの資料室などのあるホールに戻る構造になっています。すなわち,ミュージアムは以前の記念館を含み,アンネの家の総てが見学できるようになっており,もちろん屋根裏部屋もありました。詳細は覚えておりませんでしたが,改めてミュージアムショップで求めた資料を見ましたところ,現在開示してある屋根裏部屋写真があり,窓・梁・壁の状況から質問者のお写真が屋根裏部屋であることを確認しました。比べてみると,質問者のお写真では殺風景な部屋のようにみえますが,今の展示では当時の生活が再現された部屋ー棚に並んだ瓶詰め,什器,吊したシーツ,ソーセージ・・・・ーとなっています。これらの部屋からは,普通の少女としての生活感,青春が確かにあったと感じさせられ,それがまた切ない思いを誘いました。そんなこと改めて思い起こしました。ご参考まで。
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- geodua
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昨年6月にアンネの家に行きました。30年前がどうなのかはわかりませんが,写真のように全体が立派なガラス張りの博物館の建物で,その中に,あるいはそこから”アンネの家”に通じる通路がある構造になっていました。行列を作っているのは立派な博物館の入り口であり,そこから2軒隣の本当の家であるということではないでしょうか。家の内部は昔と違って撮影禁止ですが,当時の生活状況を垣間見ることができました。ムージアムショップもありましたよ。なお,行列ができると本に書いてありましたので開館の9時前に行きましたら10組ほどの行列ですぐに入れましたが,見学を終えて出てくる頃にはかなりの人数でした。
お礼
ご返事ありがとうございます。 ということは、新しく出来た博物館から入場して、隣のビルを連絡通路にして2軒隣の本当の家に行く、という構造になっているのでしょうか?そして私が写した屋根裏部屋に見覚えはありますか? こちらから質問ばかりしてすみません。
- hahchan
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こんにちは! 私は1974年3月にアンネの家に行きました。 左側のアンネの家のプレートのある扉から入り、確か、入ってすぐ二階へ上がる階段があって、上がったところに入場料を払うカウンターがあったと思います。 プレートがなければ分からないほど何でもない街並みで、出入りする人もなく、入り口の扉を開けるのを躊躇したように記憶しています。 かつて、アンネが隠れ住んでいた時もこんなだったか、と思わせる佇まいでした。 屋根裏部屋は立ち入り禁止だったので、階段の一番上から覗き込んで見ました。 確か、添付写真と同じ光景でした。日記の記述を思い出しながら写真をいっぱい撮りました。パンフレットと共に実家のどこかにしまってあるはずです。 あれから一度も行っていませんので、その後と比べようがありませんが、あの時の感じたままを記憶の奥に大事にとっておきたいと思っています。
お礼
ご返事ありがとうございます。 私は1980年10月に行きました。2階にカウンターがあったなんてこと、よく覚えてましたね。私は左側の家から入ったことさえ記憶に無く、今の角の家の行列を見て自分の記憶や記念写真に自信をなくしかけていたところでした。左の家が入り口だったことがわかっただけでも良かったです。 最近の情報ではいつも行列ができていて、1時間待ちとか信じられないことになっているみたいです。私が訪れた時のオランダやアムステルダムはすばらしいところで、いい思い出がいっぱい出来ましたが、10年ほど前に再び旅行する機会があり、どこかの駅で日本人と情報交換していたら、アムステルダムは夜1人で歩けないくらい 危険な街になっているといわれ、良い思い出を壊したくないので行くことを断念しました。 この質問はレアすぎましたね。
お礼
たびたび返答してもらって、どうもありがとうございました。 謎がようやくとけて、すっきりしました。もう一度 本を読み直そうかな、と思っています。