命を粗末にした生き方は、死んでいるのと同じなのか
自分は大学4年生で、内定が複数決まって、今は今後の進路を考えています。
自分は2浪をしています。家族の仲が悪く、親に逆らったら、逆上した父親に肋骨を折られたことで、高校2年から母方の親戚の家に居候していたのですが、居候先で母親を庇う親戚に、メチャクチャな家の責任、母のやってきたことが全て自分に擦り付けられ、無実の罪を着せられたことで、親戚中から笑い者にされ、気がついたら1浪中にうつ病になっていました。
2浪が決まった時、親戚の都合で実家に戻されましたが、病気も重度のまま、謝罪もなく、大学に合格が決まった友人から逃げるように姿を消して…
僕にとって2浪は、人生最大の挫折でした。
ただ、親族中から「穀潰し」とまで蔑まれた屈辱、汚名をそそぐために自分は一年バイトをして、受験費用に入学金、生活費を全て自分で稼いで大学に合格しました。
その時の自分は、失うものが何もなくて、やってみよう、もしそれで駄目なら死ねばいい、と思っていて、一度自分の命をドブに捨てました。その時の自分は何の生産性もなかったので、むしろ死に花咲かせるくらいの気持ちで生きました。
結局、それでがむしゃらになれて、大学に合格しましたが、大学の同級生はひどく子供で、適当にやっていても単位は取れ、大学はただただぬるい場所で、浪人時代以上に頑張れたことが、一度もないんです。
本当は法曹関係の仕事がしたくて、大学院に行く勉強を続けていました。しかし、精神病の後遺症である脳波の異常で、集中力、記憶力の低下が残り、「法律の勉強は、君には負担が大き過ぎる」と、医者に止められ、自分は長年の夢も失いました。
その中で、2浪、精神病という悪条件がはじめからあった就活をはじめ、内定を数社からもらい、自分は就職活動まで、大した苦労もなく終えました。
しかし、2ヶ月経っても自分の行き先が決まりません。友人からは「お前は何のために就活をしたんだ」と言われるのですが、ただ、フリーターだった浪人時代を思うと、暇ゆえの時間で苦悩するのが嫌で、何でもいいからどこかで働きたかった、悩むより動ける場所がほしかったというだけで、実際は、仕事はもう何でもいい、くらいの理由しかありませんでした。
自分の大学生活は、合格から今まで、長い燃え尽き症候群の中にいたようなものでした。
そして、気がついてみると、僕はもう自分の人生に、何の興味もないんです。
一度もう、ドブに命を捨てたことがあるので、もう自分の幸せとかが上手くイメージできなくて。これから就職して、自分の力を試してみるけど、ダメだったら職を失って、最悪の場合、のたれ死ぬことになるのですが。
最近ではそれを「まあ、それだけのことか」と、自分の破滅までも客観的に捉えているんです。
そんな心境に到達して、僕は社会人になることに対して、特に幻想めいた初心表明もなく、ただ、生きてみよう。それで駄目だったら、死ねばいい、の、それだけしかないんです。
自分で自分を殺すことが出来るか知っておきたくて、自殺志願者と言うわけでもないのに、気がついたらリスカを練習感覚で一度やっていました。怖いという感情があまりわかないということだけ確認して、ためらい傷の未遂で終わりました。
自分は死ねると思ったら楽になってきましたが、同時に僕はもう、自分個人の幸せに、何の興味もなくなっていることに気がつきました。
恋人とか地位とか高収入とか、そういうものに関心がわかず、ただ、燃え尽きるまで生きること以外、自分の人生に、何の意味も思い浮かばないんです。むしろ、そうなる時が来るのを待っていて、僕はもう、今では自分の命さえも、真剣に向き合っていないんです。
僕を昔から知る知人からは「あなたは人から長年蔑まれて、自分に何の価値もないと思い込んでいるだけ」とか、「2浪や精神病を恥じているから自分を汚物だと思って粗末に扱う。この不景気で内定ももらえたんだから、自分を信じてみなさい」とか、最近よく言われるのですが、確かに自分でも、そうなんだと思います。
確かに「死ぬ前に精一杯生きてみたい」ということと「いつ死んでもいい」という思いが共存する矛盾がある時点で、自分は間違っていることもわかっているんです。
ただ、一度捨てた命を、もう一度拾い上げて、自分のために生きる術というのが、どうすればいいかよくわからなくて…今まで、ただ自分を無価値だと言った人間に、やられっぱなしなのが我慢できないと言うだけで生きてきたので、気がつくと、自分の幸せのために生きたことがなく、自分のために生きる方法が、全然わからないんです。
生きていく中で、自分の生きる意味が見つかった経験談とか、自分のために生きるとはどういうことなのか、教えてもらえると嬉しいです。
お礼
合唱祭の自由曲の候補としてあげられており この曲は歌詞がすごく好きで、気になってました。 回答ありがとうございました><