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ありがとう、の言葉、言えてますか?
高齢化社会を迎えますが、高齢者 (ご両親) の方をどんなふうに観ておられますか? 都会の片隅で「孤独死」される高齢者のニュースほど痛ましいものはありません。 やっかいもの、役に立たないもの、ましてや介護が必要となると今までの親の恩はすっかり忘れ、良い施設はないか、となりがちではないでしょうか? 私も言える立場ではないのですが、こうした家族の状況が私たちに与えている意味は、何でしょうか?
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>こうした家族の状況が 私たちに与えている意味は、何でしょうか? 自分が年をとったとき どういう生活をしていたいか考える また そのために何をしたらいいか考えて 現段階したほうがいいことをする 機会を与えられていると思います。 物事を多角的にみること 問題解決に向けて具体的に動くこと いたずらに悲観せず 現状をただ現実として受け止めること 手放しと諦めを混同しないこと などについて考えます。 情報は受け取る側に その重みや質が委ねられています。 孤独死のニュースは痛ましさも感じますが 「自分ならどうするかな」とか 「リスクマネジメント大事だな」とか 思って観ています。 私は結婚して故郷を離れたので 両親になにかあったとき 労働力として即戦力にはなれませんが そのとき出来ることをしたいと思っています。 他のきょうだいもそうです。 そのような思いになるよう育ちました。 介護が必要になって親の恩を忘れて、ってなるのには そのように育った、という状況があると思います。 それは親がそうなるように育てた面もあるし 本人が経験から取捨選択したうえでそう育った面もあります。 どちらにしてもその時点で 「親を厄介者と思う」人間になっている、 という現実があるだけです。 色んな親子関係があるし、 親を厄介者と思っていたとしても 実際どんな行動にでるかはわからないので 良い施設はないか、となりがちであったとしても 私は「そういう人もいるだろうし、 そうなるにはそうなる理由があるのだろうな」 と思います。 その人たちの選択ですから、 善悪の判断はしません。 自分の生活に影響があるわけでもないし。 身内に限らず、近くに住んでいる他人に 自分を認識してもらっていて なおかつその中で一人でも親しく関わりを持っていれば 死後半年放置、などということは起こりづらいと思います。 だから例えば 身内に過度に期待せず、 現実的にどうしていけばいいのか 考えてみるのもいいんじゃないかと思います。 余談ですが 妹が介護施設で働いていて、 同居家族に高齢者がいる人といない人では 利用者さんへの接し方が違うそうです。 具体的大きく違うわけではないのですが 「生活」の中で当たり前に経験して知らないうちに身につくこと というのが 核家族化で質が変わってきているのだと思います。 でも現実的に「家族に高齢者がいない」という世帯が 昔より多くなってきているので それはそれとして「そのうえでどうしていけばいいのか」 ということになります。 それとは関係なしに 人間関係として「ありがとう」は隙あらばいいます(笑) 減るもんじゃないし いってて気持ちのいい言葉なので。
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核家族化の弊害。 地域社会のあり方の問題。 子育ても高齢者の世話も、昔は大家族で、そして近所の人たちの協力も得ながらしてきたもの。 それが今では、ごく近い身内だけに背負わされています。 子育てをする人、親の世話をする人に、責任の負担が大きすぎます。 まして、子どもの頃から、高齢者と暮らす経験のない人たちです。 周囲の人に頼るのも、難しい状況です。 施設は、高齢者のためである前に、責任を抱えきれない人たちの手助けのために、あるのではないでしょうか? 高度成長と共に、日本社会は、かつてあった大事なものを壊したなと思います。
高齢者は環境の変化に適応するのが苦手です。 それに加えて、配偶者や同世代の人との別れなどで孤独を感じている場合も多々あり、自分自身の体もどんどん衰えていく現実に実は戸惑ってるのだけど、弱音を吐けないで強がっていたり、子供に負担をかけまいと頑張って無理をしていたりすることもあります。 そう思うのは、私が介護、医療業界で働いてきて、施設や病院では家族の代わりにはなれない、限界がある、と感じてきたからです。 だから、私は自分の両親のことを、できれば最後まで自宅で看取りたいと思っていました。 今ももちろんそう思う気持ちは変わらないですが、結婚した今はそうそう簡単には物事が運ばないのではないか、と感じています。 まず、親を引き取りたくても、結婚した以上は私には親は自分の両親だけではありません。 夫や夫の両親の意向や感情もありますし、夫の両親も見て、自分の両親も見る、となると4人もの介護は現実的にかなり厳しそうです。 それに、私は地元を遠く離れた地域の嫁いだので、もし介護をするとなると、両親にこちらに来てもらわなければならなくなります。 生まれた時からずっと地元を出たことのない両親に、年老いてから言葉も食事の味付けも違う見知らぬ土地に呼び寄せるのは、精神的に過酷だし、認知症や欝を併発するきっかけになりそうで悩みます。 また、私にはほかに兄弟もいますが、兄が跡を取っているので、兄や兄嫁さんの方針も無視できません。 私が他所に嫁いだ以上、実質的に現在の父母を見ているのは、側に住んでいる兄夫婦です。 兄夫婦が世話を焼いている途中で、例えば、兄嫁は私の両親は義理両親ですので、私には計り知れない諸事情が起きてきて、その結果として施設に入れるという選択肢を取ったとしても、嫁に出た私があれこれ言える立場なのかと考えてしまう部分もあります。 これらを総合して考えていくと、理想と現実はちがってきそうな気がします。 皆がみんな、自分の両親の事をやっかいもの、役に立たないもの、ましてや介護が必要となると今までの親の恩はすっかり忘れ、良い施設はないか、と安易に考えている訳でも、孤独死させているわけでもないと思います。 泣く泣く、どうしようもない事情があることもあるのではないでしょうか…
あらたまっては恥ずかしくてありがとうとは言えませんが、 苦労して育ててくれたことに、本当はすごく感謝してます。 介護が必要になったら、出来る限りのことはしたいと思いますが、 遠方に住んでいるので、どこまで出来るのかわかりません。 実家の近くに住む兄弟にばかり負担をかけることは出来ませんし、 その時になったら、最善の選択ができるように、 よく考えたいと思っています。 >こうした家族の状況が私たちに与えている意味は、何でしょうか? わかりません。 ただ昔のように 長男や長男の妻だけに親の介護を押し付ける時代は終わったのだと思います。
お礼
回答有難うございます。 高齢者の方のパーソナリティー、介護する人のパーソナリティーも大きな一つの要因だと感じました。 特に高齢者の方のパーソナリティーは大きなウエイトを占めると思います。 十人十色、色々なパーソナリティーの方がおられ、それによって、廻りの家族の方の接し方も変わってきますね。 お元気なうちに沢山親孝行出来るといいですね。 有難うございました。