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法律の犯罪抑止力について
最近、死亡事故がおおく なんか何のために法律があるのかわからなくなりました 先日京都で大きな事故があったのにまた事件 そもそも法律は、犯罪を抑止するためのものではないのですか? 最近の事件を見ていたら法律の存在意味がよくわかりません 事件が起こった後に力を注ぐのではなくて、起こる前に注ぐべきではないのでしょうか?
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- hekiyu
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御指摘の疑問は解りますが、法だけで 犯罪や事故は防止できません。 例えば、経済が悪いときには窃盗などの財産犯罪が 増加します。 窃盗を少なくするには、経済を活性化して社会や個人を豊かにするべき であり、刑罰を異常に厳しくするべきではありません。 それはあまり効果がないし、副作用が大きいからです。 法は、犯罪抑止が目的ですが、それは犯罪抑止の 一つの方法でしかないのです。 尚、法の犯罪抑止力ですが、殺人などの衝動的犯罪に対しては その効果がはっきりしません。 詐欺とかの知能犯や、交通事故などの過失犯に対しては 刑を厳しくすれば、犯罪は減ります。 そういう点からいうと、オレオレ詐欺や、交通事故に対する 刑罰は、軽すぎるように思えます。
- Red_Baron
- ベストアンサー率13% (61/449)
犯罪と事故が一緒くたになってますよw 法律に犯罪抑止効果はあります。死刑にも犯罪抑止効果はあります。 受け容れがたい事なのかもしれない。 しかし、科学的、客観的事実なんですよ。いや本当に( ´ ▽ ` )ノ
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
> そもそも法律は、犯罪を抑止するためのものではないのですか? それだけではありませんが、刑法とか道路交通法の罰則規定について言うならそういう面が強いでしょうね。 ただ、それは正しく執行されていればこそ、影響力を持ちます。 例えば刑法に、人を殺したら死刑、とか書いてあっても、「どうせ死刑反対論者ががんばって反対して、『冤罪だぁ』と叫べば俺に死刑は適用されない」「宇宙から電波が来て『殺せ』と命じた、とか言えば死刑は適用されない」と信じた瞬間に、その人にとっては刑法になにも書いてないのと一緒になります。 「僕は13歳だから、刑法関係ない」と知った瞬間に "刑法は存在しなくなる" のです。 質問者さんが『何のために法律があるのか』と疑問を抱くのはしごく当然です。 死刑廃止論者や有能な弁護士ががんばって、死亡事件を起こすような人の意識から法律を消しているので、肝心要の、法律が最も必要なはずの人にとって、法律は存在しなくなっているのですからねぇ。 全然意味ないじゃん、という思いに至るのは当然なのです。 しかし、じゃあ我々のような一般市民にとって、法律は無駄かというと、そうでもありません。 『人を殺した者は死刑』という規定があると、例えば私は自分の命が一番大切だから、「わざわざ自分の命を捨てる覚悟をしてまで俺を殺しに来る人間はいないだろう」と素直に信じられます。 その結果、私は安眠できるわけです。 「死刑の規定なんてなんの抑止力もない」と死刑廃止論者は言いますが、それだと、懲役なら殺人抑止力があるのか、罰金ならあるのか、と問わなければなりません。 「ある」と言うなら、いまでも懲役も禁固も罰金もあるのですから、抑止力があるはず。 ところが殺人は行われているのですから、抑止されておらず、「ない」という回答以外ありえません。 つまり死刑廃止論者の論理を信じると、その瞬間から私は安眠できなくなるから、自衛の手段を講じなければならないと言う話になりますが、とりあえず今は法律があるので、そこまでやる必要がありません。 我々一般の小市民に対して、安心感を与えること。心地よい眠りをくれること。 これだって、りっぱな法律の「存在理由」です。 > 起こる前に注ぐべきではないのでしょうか? そうですねぇ。 私も、例えば落書きだとか、深夜にわめき散らしたりするとか、隣の家に向かって大音量の音楽を流す、というような小さなことから、捕まえて指導すべきだと思うのですが、やろうとすると人権派と呼ばれる人たちが怒るでしょうねぇ。 「まず、隗より始めよ」という言葉があります 戦国策で使われた本来の意味とは違いますが、質問者さんご自身、例えば自治会とかPTAとかの活動に加わって、アブなさそうな人に指導することから始められてはいかがでしょうか。 期待しています。がんばってください。
- ゴルゴ 13(@golgo13--)
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>事件が起こった後に力を注ぐのではなくて、起こる前に注ぐべきではないのでしょうか? 法律は、法哲学や経験則から学び、制定、改正していくものです。そのためには、国民の合意形成がなければなりません。 だからこそ、立法府があるのです。 時代に即さなくなった法律は廃止し、必要になったものは新規に立法する。或いは、改正する。それが法律っていうものです。「起こる前に力を注いだ」ところで、人間が万能でない限り、事件や事故を未然に防ぐことはできません。 因みに、刑法学者のカントは、応報主義を唱えてますね。酷い事件を起こした犯人には、相応の刑罰を、と。 最近では、自動車事故ですと業務上過失致死傷から、自動車運転過失致死傷という罪を新規に設けましたね。 質問に対する回答のようなサイトがあったので、以下紹介しておきます 「法」の存在意義 「法」って一体何のために存在するのでしょうか。 思うに、世の中には様々な事件や出来事があります。 確かに、これらは自分だけで完結する場合もあります。 しかし、これらの多くは他者の利害に影響を及ぼすのです。 例として、交通事故を挙げてみましょう。 例えば、自分が所有する自動車を自分の所有する車庫にぶつけて車と車庫を損壊したとします。この場合は自分で自分の利益を害しただけで、他者に何ら損害を加えていません。 かかる場合は自分だけで完結する事件といえます。 これに対して、乙が他人(甲)の所有する自動車を運転していたところ、運転操作を誤って第三者(丙)所有の家屋に突っ込んで家屋、自動車もろとも大破させてしまった場合はどうでしょうか。 乙は運転ミスという過失によって、他人である甲の自動車、乙の家屋を侵害しています。この場合は他者の利益を侵害している以上、自己で完結する事故とはいえません。 甲としては、乙に対し自動車を弁償して欲しいと考えるでしょうし、丙も乙に対して家屋を弁償して欲しいと考えるでしょう。 じゃあ、この場合にどのような形で弁償させたらいいと思いますか? お金で弁償すべきですか?それとも別の車や家屋を提供すればいいのですか?それとも他の物で弁償すればいいのですか? さらに、お金で弁償するとした場合、どの範囲の損害を弁償すべきですか。車や家屋の時価でいいのですか?それとも、使用できなくなった逸失利益まで弁償すべきですか? あるいは、そもそも弁償なんかする必要はない、として乙が弁償を拒むことも考えられますね。 そういった当事者の言い分がぶつかり合った時、紛争が発生するのです。 じゃあ、この紛争を解決するには何が必要でしょうか。 いうまでもなく基準となるものが必要です。基準にしたがって客観的に決しなければ当事者は到底納得ができないでしょう。 そこで、かかる基準としての役割を果たす「法」が必要となるのです。 この「法」は、具体的な基準としての役割を発揮するのは裁判時においてです。 すなわち、裁判において、裁判官が「法」という基準を用いて(厳密に言えば、解釈・適用して)紛争を解決に導くわけです。このような意味で、「法」は「裁判規範」という性質を有することになります。 さらに、「法」は「行為規範」としての性質をも有するのです。 僕らは日ごろ様々な活動を行います。そこではつい、他人に対して損害を加えるようなことをしてしまうかもしれません。 そのような場合、どういった責任を負わされるのか。それが明らかでなければ自由な活動などできっこないわけです。 例えば、先ほどの自動車事故を例にあげてみましょう。 当然のことながら、無事故無違反が理想ですよ。 しかし、人間に完全ということはありません。どこかでミスって事故を起こしてしまうということは避けがたいものです。 じゃあ、その場合にどういった責任を負わされるのでしょうか。 同じ事故といっても、電柱に少しこする程度の軽微なものから、ひき逃げ事犯のように悪質なものまで様々です。 そんな中、次のような法律ができたとしたらどうでしょう? 「自動車事故を発生させ、これによって人の生命・身体・財産を侵害した者は10年以下の懲役に処する。」 いや~、目も当てられない法律ですよw こんな漠然とした法律ができたらそれこそ車など運転できませんよww 僕が何を言いたいのか。それは、「法」という基準は一定程度に明確である必要があるということです。 「法」という基準が明確であることにより、僕らは初めて何をしたらどういった責任を負わされるかを知ることができます。 それによって、僕らは予測可能性を与えられます。すなわち、ある行為を行っても責任を問われることがない、となれば自由にその行為を行える一方、責任を問われる行為については、これを避けることで責任を回避することが可能になるのです。 その結果、僕らの行為は「法」によって規律を受ける一方で、自由な活動が保障されるのです。 このような性質が「法」の「行為規範性」なのです。 以上のように、「法」は、まず紛争解決を図るためにその基準として存在します。 また、僕らの自由な活動を保障するために存在するものでもあるといえます。 http://www.k3.dion.ne.jp/~takachan/alternative/index/law-1.html
- at9_am
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> 最近の事件を見ていたら法律の存在意味がよくわかりません 事件が起こった後に力を注ぐのではなくて、起こる前に注ぐべきではないのでしょうか? 起こらないように、例えば速度規制やシートベルト着用義務が法的に義務付けられている。 勿論、完全ではないから、犯罪をゼロには出来ていないが、減らす効果は確かにあるだろうと思う。 ゼロにできないから不要だ、というのは暴論過ぎる。
- upup123123
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>>起こる前に注ぐべきではないのでしょうか 具体的なこと考えてからほざけや。 法律を破る奴をどうやって法律で縛るの?事件が起こる前に。
- williumblake
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やや暴論ですが、こういう事故を防止するために、できることはたしかにありそうです。 免許証を差し込まなければ走れないクルマとか、人や障害物をよける車(止まる車はもうありますね)。 そういう方向に、これからのクルマの安全機能は向かうべきなのかもしれませんね。 法律が問題なのではなく、社会全体の遵法意識が希薄になっているほうがむしろ問題だと思います。 法律は、ほかでもないわれわれ国民の為にあるはずなのですが、法律が嫌いだという人が増えているように感じます。