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PL学園について
高校野球のPL学園といえば甲子園に出場すれば常に優勝候補に挙げられますが、1987年の春夏連覇の年以来久しく優勝がありません。頻繁に甲子園には顔を出しますが、優勝できなくなった理由は何でしょうか?是非また強いPL学園が見たいものです。
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- Danniel
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こんにちは。 2つあると思います。 1つ目は選手が集まりにくくなったこと。 PLは全寮制なので今の人には受け入れられにくいでしょう。 大阪の野球少年の一番人気は大阪桐蔭と聞きます。 2つ目は戦術が変わったこと。 PLは本来、守りを重視して、攻撃はバントを中心とした手堅い野球をしていました。 エラーは絶対しない、送りバントは確実に決めるといったミスをしない野球です。 だから桑田清原の一年生で優勝した時も池田高校を番狂わせで勝ちました。確かピンチを3度もダブルプレーを決めて勝ったと思います。 それが福留の時代あたりからエラーで負けるようになってきました。最近のチームは全く別の学校のチームなったかのようです。 こういったことが原因と思います。
- ゆのじ(@u-jk49)
- ベストアンサー率30% (1233/4073)
様々なご見解、いちい御尤もと思います。が、個人的な意見としましては、一昔前までは、私立と公立の実力格差は相当なもので、まず、公立校は私立強豪校に勝てませんでした。それは、授業料免除の野球推薦によって優秀な選手を集めること、また、グランド設備の優良さに由来していました。しかし、今日では、公立校においてもナイター設備などのあるグランドが珍しくなくなっています。公立でも、甲子園出場など果たしますと、あるいは、甲子園が夢のまた夢ではなくなったという事になりますと、それを機に一気に寄付金が集まりまして、大きな予算が組めるのですね。また、甲子園を目指せるのならばと、特に私立を選択する必要がなくなりましたし、第一、野球推薦が大きな非難を生みましたからね。そんなこんなで私立と公立の格差は、是正されたのだと思います。で、設備の整った私立代表としてのPLにも、人材が集結しなくなったのでしょう。指導法や技術論も、インターネットの普及で格差がなくなっていますしね。
- yama1998
- ベストアンサー率41% (1168/2843)
優勝はしてませんが、1998年は春夏ともにあの横浜と激戦を繰り広げたのは有名です。翌年春も横浜と対戦してやっと勝ち、3度目の正直を果たしたほど名勝負を繰り広げています。 その直後のいじめ事件が発端ですよ。その年の夏を辞退したのは当然ですが、これをきっかけに伝統?ともいえる長年のいじめ体質が浮き彫りになりました。これで一気に他校へ流れるきっかけになったようです。 野球部は全員寮に入るのですが、1年生は上級生の付き人をやらされ、練習が終わって夜食を作らされるのはいいとして、夜に「説教」が始まるそうです。先輩が今日は気合はいってなかったな、今日の態度はなんだなどと、いちいち理不尽な理由をひとつずつ言うたびにぶんなぐられるそうで、これが精神的に一番きつかったと言われており、こういう日常的ないじめを受けた経験に比べれば、試合でピンチの場面などたいしたことではないと教えられ、美化されていたほどです。これは清原桑田の前の時代からずっと、長年やってたことが浮き彫りになり、以前いじめのおかげで利き腕を壊されたと訴える元選手や、以前寮の池で遊んで水死した選手は実は事故ではなく、いじめによるものだったと次々ボロが出ました。あの名将と言われた中村監督は長年ずっと黙認していたことで、監督勇退後NHKの解説者を務めていたのをこれが原因で解任されてしまいました。こういうことがスポーツ紙などで明らかになって、弱体化したようです。 そもそも大阪は元々激戦区で、有望な中学生も東北などに野球留学で流失するなど、名門校どうしで奪い合いをして有力な選手が分散してしまうのが顕著になっているので、PL以外に大阪桐蔭などが台頭してきたのも要因です。
- szk9998
- ベストアンサー率45% (1026/2241)
桑田問題ですよね。 早稲田大学に推薦入学が決まっていたのに、それを蹴ってしまった事件。 その後、PL学園と早稲田大学の関係が悪化し、その影響でPL学園からの野球推薦を受け付けなくなったこと。 さらにその際、東大以外の6大学も協調して、PLからの野球推薦を受け付けなくなったということ。 こういった経緯から、PLに進学しても、その後の進路がキビシイという状況に、有力選手がことごとくPL進学を嫌った・・・ という経緯で、PL野球部が弱体していったといわれています。 桑田のわがままと、読売の身勝手の代償は大きかったということですね。