※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:気にしてるのかな?)
昭和・平成・新時代を生きる人々の悩みとは
このQ&Aのポイント
昭和の後半生まれの人は、昭和・平成に加え、新年号の3時代を生きることになるわけですが、最近は昭和生まれの人が古くさいと言われたり、平成と比較されることが多いです。昭和生まれの人は自己主張することもありますが、実は自分の加齢を気にしているのかもしれません。
年齢がわずかに違うだけでも、人との関係や自己イメージに影響を与えることがあります。昭和59年のぎりぎり12月に生まれた人と昭和60年1月に生まれた人は、1ヶ月の差しかありませんが、昭和60年代生まれとは大きく違うと言われることがあります。
年齢による差は小さいですが、人々はそれを気にしたり、自分の優越感を主張することがあります。しかし、実際には年齢差がそれほど大きな意味を持つわけではありません。年齢に囚われず、自分自身の存在を大切にすることが大切です。
昭和の後半生まれの人は、確実に未来に、昭和・平成に加え、新年号の3時代を生きることになるわけですが、それって凄くないですか?
考えてみれば、歴史で例えば平安時代に生き、、、なんてことじゃなく、明治、大正、昭和を生き抜いて・・・に近いことですよね?
ですが、最近、昭和生まれ古くさいだのと、やたら平成と比較されたり、
自分だって昭和生まれの癖に、昭和30年代生まれだと年寄りで、昭和40年代生まれとは違うだの、、、
昭和50年代、60年代生まれから見たら、『ばっかじゃなぁ~い?たいして変わんないのにいい年した大人が!!』と絶対にバカにされそうなことで、自己主張する人いませんか?
例えば、昭和59年のぎりぎり12月も31日に生まれた。
昭和60年1月生まれの人と、1ヶ月の差もないような、そんな人から昭和60年代生まれとは大きくちがうんですよー、、、て言われる、って話ですよね?
なんか、切ないですね~。。。
かなり器ちっさい優越感話だけど、確かに30年代、40年代も50年代、60年代も、昭和-平成ほどの響きじゃないけど、響きは違うわなぁ・・・と。
こういうの、みなさんどう思われますか?
2,3つ年上の友人から、久々に会った時、同い年だったよね?と擦り込まれるように確認されて、あなたの方が2,3つ年上、とか言えなかったこととか、
誕生日がわずか1ヶ月も違わない子なので、同じ学年かな?と聞いたら、おもいっきり首をふられ、私は翌○十年代だから!!と優越感に浸るような言い方をされたこともあります。
また、親友から、出会った頃に、自分とはいくつ違いかと聞かれ、『私が2つ下かな?』と答えたことがありました。
しばらくたって誕生日等しっかり把握した頃合いに、年の話になり、2人で確認したところ、その時は1つ違いでした。
単に、生まれ月が早いか遅いかの差で、年の差が1つになる時も、数ヶ月間だけ2つになる時もあるものですよね?
たった1つ2つくらい、そう変わらないのですが『なんだ、1歳違いなんじゃない!』と大声で言われたり・・・
そう、変わらないから、よけい気にするものなんでしょうか?
むきになったり、ミクロの優越感を主張する人ほど、実のところは、自分の加齢を気にしているということなんですかね?
そんな体験、みなさんにもありませんか?
お礼
さいですか。。。
補足
minaotehonさんもminaotephonさん、愚痴とか、病院へとか書かれてて、その方が凄いですもんね。。。 大丈夫ですか? 何かにつけて、自分の思い通りに事運べず、社会に悪事が暴かれ都合悪いと、病院送りの虐めで病人扱いする虐待も多いそうです、お気をつけください。