- ベストアンサー
人との関わり-日本の生活習慣と孤独死
- 日本人の生活習慣から、赤の他人との関わり方について考える。近づいてくる人は利害がらみや宗教的な目的を持っていることが多いが、親切な人も存在する。信頼関係を築くことが重要。
- 日本人の無関心さに基づく生活習慣では、人との関わりを築くことは難しい。例えば、障害者の声に対しても無関心が広まっている。孤独死などの問題は根本的に解決しづらいのが現実。
- 人との関わり方は個人の思いや経験によって異なるが、日本の生活習慣による無関心さが関係性の形成を妨げることもある。しかし、親切な人を見分け、信頼関係を築くことで関わりを深めることができる。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私の感想ですが・・ ここに質問される時点で、質問者サンにはすでに良心があるなーと思いました。 それはあなた自身にとって、とても良いことだと思います。 ただ少し、迷いがあるんでしょうね。 おっしゃるとおり、利害がらみの人たちが多い世の中かも知れませんが、誠実さの素晴らしさを知っている人たちも沢山います。 現実には今日のゴハンにありつくために、利害をまとわないと生きていけないという実情も確かにありますよね。 しかしまた、滅私奉公で世の中のために尽力している人も必ずいて、それはただたんに目立ってないだけなのかも知れません。 そしてまた、皆が皆、見て見ぬふりをしたくてしてる訳じゃない部分もあると思います。 多くの人は中立派で、冷たさと温かさの両方をもち備えていて、大勢が向いている方向に従おうとする傾向があります。 何となくわかりますよね? ごく少数の人が立ち上がることで、その他大勢の良心、温かい部分を揺さぶることがあります。 もしも世の中に希望を見出したいなら、あなたがまず、立ち上がる人になれば良いのです。 類は友を呼ぶという言葉があります。 無関心者には無関心者が集まり、誠実者には誠実者が集まります。 良心を知る者には必ず、それが分かる人が集まってきます。 大切なのは、自ら迷わないことです。 無関心な人や心無い人から受ける態度を見つめてばかりいると、それらの負のオーラに侵されてしまします。 そんな時は、いつも心に「良い出来事を上書き保存」していくと、惑わされることも少なくなって、世の中の見え方が変わってくると思いますよ。 そうやってこれからの日々、良い経験を積み重ねていけば、もっと素晴らしいことがもっともっと見えてきて、人との良い関係や悪い関係というのも分かるように成れると思います。 餓死や孤独死を救いたいと思う気持ちはとても大切なことです。 もしも自分がその立場にならざるを得くなった時、それを恐れずに受け入れることで少しは救われると思います。
その他の回答 (4)
障碍者を好奇心で眺めることは常識的に失礼な行動ですが、無視する、関わらないでいたいという気分を持つこととは異なると思います。 質問者様はそれらを同様に扱っておられるように思います。 基本の常識は相手の尊厳を守ってあげる、ということではないでしょうか。 相手が必要としているところに立ち会えば、それを満たしてあげるのは健常者の義務だと思います。その時点で、自分の利益だけを考えて利己的に行動する人間が増えてきているのではないでしょうか。ちょうど中国の交通事故であったようなひどい現象が日本でも見られるようになっているということでしょう。 私個人としては、自分を必要とする相手Aが求めてくれば、できる限り拒まないで動くようにしています。たとえば、そこまでしなくてもいいんじゃないか、というひとBがいても、自分自身が相手Aの身になれば、そこで拒むのはやはり残酷だろう、別にそれがBにとって不利益にならなければいいじゃん、と思って継続することが多いです。正義とかいうことを考えたことはありません。私自身は持ち出しのことが多いですが、それで家族が路頭に迷うことがなければ、それは社会としての余剰の吐き出し、保険の行使なのだから、と思うようにしています。ま、私自身は民生委員でも何でもありませんが。 孤独死やら一家心中は、たとえば地域に密着した民生委員の充実が図れればずいぶん減るように思います。要は税金のつかいかたひとつではないでしょうか。国家公務員の給料の0.1%分をそれに振り向けたら一挙解決、といかないとすれば、どこが悪いのでしょうか。
お礼
ありがとうございます。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
それは、日本人が選んだ結果だと思います。 昔は、人と人の関係が密接でした。 そうでないと生きていけなかったからです。 たとえば、引っ越しです。 貧乏な国では、引っ越し業者など存在しません。 だから、車を持っている友人に頼むことに なります。 そういう友人がいないと引っ越しすらできなく なります。 ところが、現代はお金さえあれば、引っ越しなど 電話一本でできます。 だから豊かになった日本人は、自ら人との交わりを 絶ったのです。 人との交わりは面倒ですから。 苦悩の多くは、人間関係に起因していますから。 報道したからと言って、即解決するわけではありませんが 報道は、このような問題を考えさせる契機に なると思います。
お礼
ありがとうございます。
答えは出ていても解決のための答えではないのですね。 そういう遮断され閉ざされた境遇の経験を小中としてきた家庭と自分ですが、外部からの手が差し出されない限り、自分と自分達だけでは解決できないですね。 そして若いというか幼いというか、私は一生懸命めぐり合い(邂逅)と蓮池の水面からの蜘蛛の糸を求めて試行を重ねましたが、跳ね返されるばかりでした。 そういう境遇に手を差し伸べることを誘う少しの明るさも魅力も、ひきつける何もないのです。 私達はそういうことを心に留めながら、必要なことをしていかなければいけないと痛感します。
お礼
ありがとうございます。
>やっぱり孤独死なんか絶対になくならないですから、 あんまり報道しない方がいいんじゃないですかね。 いくら報道しても根本的になくすのは無理ですよ なら聞くな。 答え出ていて聞くのは失礼。
お礼
誰に失礼なんですか。 僕の出した答えと、ほかの方の答えは違うと思いますから、 いろんな回答が出ると思いますよ。
お礼
埼玉の一家衰弱死は、 三十台の若い息子さんがいたために、 なかなか手をさしのべることが出来なかったようですよ。 お節介と親切の境目は難しいですよね。 相手によってそのレベルが違うし。 大変勉強になりましたありがとうございます。