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人を頼るのがヘタな私が上手な世渡りを学ぶ方法
- ヘタな私が上手な世渡りを学ぶ方法について、納得しないことや妥協を許せない性格を改善するためには、自分の向上心や努力を活かしながらも、周囲との絆を大切にすることが重要です。
- 現在転職活動中の私が心を開いてお願い事ができる方法については、厳しい世相の中でも、人とのつながりを大切にして賀状などでアプローチすることが効果的です。プライドや過去の経験にとらわれず、柔軟な姿勢で人に頼ることを考える必要があります。
- 若い頃は心を病むことなく開けっぴろげな性格だったが、心が病んだことでバリヤーを張ってしまい、内に閉じこもってしまった。しかし、真剣さや誠実さは大切な特徴であり、自分の性格を変えるのではなく、軽やかで明るい世渡りの仕方を学ぶことで心を開き、人に頼りながらも自分らしさを保つことができます。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 なんとなくあなたの人間像を想像したのですが、このようなタイプではありませんか。 (他の方への回答からのコピペですがすみません) 怒りながらごはんを食べているようなタイプ、考え事が止まらないタイプ、 頭がよく、我が強いタイプ、努力家、仕事中毒に多いそうです。 胃のあたりにつねに怒りのような火のようなエネルギーがあります。 個人の意志が強いタイプともいえます。オーラがあるタイプといいますか。 個人主義で、知的好奇心旺盛、遊び心のあるタイプ、です。 お心当たりがあれば、まずはグラウンディングする(心の根っこを強化する)ことがおすすめです。 (心理・スピリチュアル用語です) こういうタイプは、 周囲に流されず、理性的で、正義感の強い善人も多いのですが、 なぜか人生がうまくいきにくいのは、バランスが乱れているからです。 特に女性でこのタイプは、周囲からプライドをへし折られて苦労します。 (それに比べ、男性の傲慢は仕事さえできれば許されがち) 人間不信の傾向もあるかもしれません。特に頭のよい方。 もし完璧主義もあれば、なかなか人に任せることができません。 人に何かを任せたり、頼んだときは、 平均的には、半分ぐらいしか自分の思うようにやってくれないもの、と思います。 けっこう的外れなものです。 相手を完璧にコントロールして自分の思う通りにやってもらおうとしても、 あまりうまくいきませんし、関係も悪くなりがちです。 たとえ仕事上でも、7、8割まで、それ以上の期待は失望に終わると思います。 相手を完璧にコントロールすることはできないと見限って、 「ダメもと」精神がある人は強いです。 半分でも、やってくれた部分の方に感謝でき、まったく的外れでも、相手の気持ちに対して感謝できます。 http://okwave.jp/qa/q7217802.html こちらの質問の#13の後半に、グラウンディングのやり方をまとめて書いておきましたので、 よかったらご参考になさってください。 これが何の役に立つのか、と思われるかも知れませんが、 グラウンディングができてくると、 自分の願いをかなえるために、周囲の人をまきこんで、他人といっしょに幸せになることが上手になります。 人に好かれ、感謝され、信頼関係を築けるようになります。 長期的、根本的な解決方法です。
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- eroero1919
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まずは自分に対する「全能感」を捨てることだと思います。質問者さん、なにごとも自分でやらないと気がすまない性分でしょう?でも、人間誰でも得手不得手はあります。何事も完璧にこなすことなんてできやしません。逆にいうと、「自分より優れた他人がいる」ということを受け入れるということでもあります。そこがプライドが邪魔するんじゃないのかな。なによ、あんな奴に負けないわよって。でも、世の中上には上がいます。向上心を持つことは大切だけど、だからといって自分より優秀な人を認めないというのは別の話です。 ヘンリー・フォードだったかな?自分の墓石に「自分より優秀な人物に囲まれた幸運な男ここに眠る」と刻ませた人がいるんですよ。確かフォードだったと思うけど。ものすごいいい意味での謙虚さでありすごい器だと思いませんか。 人間というのは不思議と同じレベルの人が集まります。他人をそねむような連中はそういう奴ら同士が集まります。福山雅治さんが情熱大陸で「売れないと、売れない奴ら同士が集まって売れている奴の悪口をいうんですよ」といっていました。福山さんは売れない不遇の時代がありました。それだけに言葉に重みがありますよね。だから、優秀な人に囲まれたということは、それだけその人も周囲に認められる存在だったということなんだと思います。昔から、その人の友人を見ればその人物がわかるといいますしね。 あと、他人に助けてもらえる人は、まあ根っから愛される得な性格の人もいますけど、多くの場合は「まず自ら与えているから与えられる」のだと思います。 私が一緒に仕事をした人で、ものすごい面倒見がいい人がいました。何人もの部下を持っていたのですが、自分から職場に来なくなって辞めるような人の再就職先を探してあげたり、部下がトラブルを起こしたときは東奔西走して後始末をしてその部下に恥をかかせないようにしていました。 そしてあるとき、その人自身がとても困るような状況に陥りました。すると周囲の人がまるで競うかのようにこぞってその人に救いの手を差し伸べたのです。その人が普段周囲にどんなふうに接しているか、彼と交友がある人はみんな知っていたからです。「情けは人のためならず(本来の意味)」とはこういうことなんだなとつくづく思いました。 彼の普段の行動が、見返りを前提にしていたら、みんなお義理で助けることはあっても親身にはならなかったと思います。彼が普段から周囲に親身に接したから、そしてみんなそれを知っているからいざ鎌倉とみんながこぞって彼に救いの手を差し伸べたのだと思います。 人を頼るのがヘタな人は、他人の世話になるのが屈辱的と考えていますから、当然他人の世話なんかしないと思います。あるいは世話をしても「お前が困っているから世話をしてやったんだよ」とどうしても上から目線になってしまうと思います。 でも、そんな人に仮に世話になったとしても感謝の気持ちを持つでしょうか。義理堅い人なら、自分が受けた義理は返そうとは思うでしょうが、しかし自分が受けた義理以上のことは決してしないでしょう、義理堅い人でも。「俺があんなに面倒を見てやったのに、いざとなったら裏切りやがって」なんていう人をよく見かけますけど、他人からすると「アンタは面倒見ていたんじゃなくて、利用していたんでしょ」なんていうことがしばしばあります。やっぱり普段が大切だということです。 絆が大切と思われることはおおいに結構ですが、それが「今はアタシが困っているから。困らなくなったら、他人の世話になんかならないもんね」なんて思っているのであればそれは見抜かれると思いますよ。 わたしゃ、質問者さんは内心そう考えているんじゃないかと思っていますけどね。 あと他人の好意に甘えるなら、しょうもないプライドは捨てて相手の懐に飛び込まないとダメです。私はかつてやりたいことがあったのですがちょいとしくじって業界を出入り禁止になってしまいました。 んで、何年も経ってからその出入り禁止を解いてもらうために、私は業界のボスのところに高級メロンを持って土下座しにいきましたよ。そこまでやってようやく「そんなら、出入りするくらいは大目に見てやる」ですよ。年賀状送ったくらいで再就職先を斡旋してくれるほど世間は甘くはないです。せめて菓子折り持って挨拶するくらいのことをやらないと。ただ、「そんな屈辱には決して耐えられない」というのなら、それはそれで生き方ではあると思います。人間誰でも優先順位というのはありますのでね。「その業界で仕事をする」より「自分のメンツ」が優先されるなら、それもまた致し方ないことだと思います。
お礼
いろいろといいお話を回答頂きありがとうございました。 >「自分より優秀な人物に囲まれた幸運な男ここに眠る」 とてもいい言葉ですね。 >自分より優秀な人を認めないというのは別の話です。 優秀な人に囲まれたということは、それだけその人も周囲に認められる存在だったということなんだと思います。昔から、その人の友人を見ればその人物がわかるといいますしね。 私は出会う人にはとても恵まれていたと思います。なのに情けない現状です。 昔は負けず嫌いもありましたけど、ここ数年は上には上がいすぎるので考えても仕方ないという心境で、逆にスゴイ人を意識しなさすぎて我が道を行き過ぎた感はあります。争うのは嫌いな(ずるいのか臆病なのかも・・)ので優秀な人はすごいなあと認めますが、嫉妬も競争心もなく視野からはずしていた感は思いあたります。 >「まず自ら与えているから与えられる」 こちらのお話も素晴らしいお話でした。 私も意外に人に尽くす性格でサービス精神旺盛なのですが、お話の方と違うのは利用されて、わりと踏み台にされるというか、何か自分では無意識ですが人に嫉まれるようなしゃくに障るところがあるのかもしれません。私に関わった方は皆さん結構幸せになっておられる気がするのです・・。 私が人の為にできるといっても仕事の範疇を少し超えた程度なので、お話の方とは尽くしているエネルギーも活動も比較にならないのでしょうが普段が大切だという事はおっしゃる通りだと思いました。 私の地方に住む母も高齢で6箇所の病院通いで自分の息も絶え絶えなのに、95歳で入所する所が見つからない親戚の為にツテのある老人病院にアタマを下げてお願いに行き色々な手続きを経て昨年末入所までこぎつけてました。見習うべしかも知れません。(徳を積むのが生きがいみたいな人です) >人を頼るのがヘタな人は、他人の世話になるのが屈辱的と考えていますから、当然他人の世話なんかしないと思います。あるいは世話をしても「お前が困っているから世話をしてやったんだよ」とどうしても上から目線になってしまうと思います。 こちらも、屈辱的とか上から目線というよりも後で迷惑を掛けるんじゃないか、とか卑屈になってしまうのです・・。まだまだ甘いのかも知れません。 >「今はアタシが困っているから。困らなくなったら、他人の世話になんかならないもんね」なんて思っているのであればそれは見抜かれると思いますよ。わたしゃ、質問者さんは内心そう考えているんじゃないかと思っていますけどね。 これは全く無いです。自分のしんまくは自分でというのがもともとの考えだったのですが、今回病的に心労に至ったので、自分でできるだけの事はしているけれど、もしかしてこういう時は今までお世話になった方(お付き合いがあった方)に弱音を吐いたりするのが人として正しい、というか付き合いの仕方なのかしら?というレベルで質問に出させていただきましたので・・そんな打算をしている余裕は無いです。 >あと他人の好意に甘えるなら、しょうもないプライドは捨てて相手の懐に飛び込まないとダメです。 このメロンと菓子折りのお話もとても参考になりました。 確かにおっしゃる通りでした。質問者様の貴重なご経験談に感謝致します。 >「その業界で仕事をする」より「自分のメンツ」が優先されるなら・・ 生活できるなら、、というところですよね・・。 色々考えてみます。 回答ありがとうございました。
- bekky1
- ベストアンサー率31% (2252/7257)
【誠実な性格なのですが、真剣すぎるのか??もっと軽いフットワークが必要なようです。 チャラチャラした感じではないけど明るい上手な世渡りの仕方をご教授いただけませんでしょうか。 どなたか宜しくお願いします。】 誠実は誠実だし、努力家は努力家なのでしょう。 ・・・が、しかし、私の職場にも、あなたに似たような男性がいました。 岡目から見ると、一人でがんばる、しかして、その実体は、自分で仕事を抱え込んで、グループワークとしてこなそうという ビジョンが最初からない。 自分にしか、出来ないと思い込んでいるし、他の人に説明して「自分がいなくても、間に合うように」仕事を運ぶという イメージが最初からないのです。 結局、自分が有能だと信じたい他のでしょうが、他の人が出来るところを見ると、あるいは任せるように すると、自分の存在価値に{?」が就くのではと恐れているんだろうと。 個人事業ではないのだから、会社での仕事は、ダレでもいつでも誰かが代わりが勤まるように 振舞える能力のある人が「有能」なんです。 ソレをアナタは「頼る」と表現するが、ソレも違います。 元から、自分をパーツとして考えて、仕事をする、 自分と同じパーツを他人が常にできるように日常的に振舞うベキなんです。 アナタの努力とはこれ、まったく方向性が違うでしょう・ その上で、さらに違うパーツも目指せるように自分をシフトしていくことで、組織は成り立ってる。 「頼る」・・・頼られる方も困ります。 アナタの手に余るようになって、今まで独り占めしてきたものを、どうにかしてくれ・・・は、ナシです。 個人としては有能なのでしょうが、組織として有用性の高い能力とは言いがたい。 パーツとして使える、能力かどうかを今一度、見直してください。 チャラチャラと見えるようなか、バリヤーをはるかしか選択肢がないのでは組織では、チャラチャラのほうがまだ 有用性が高いです。 スポットで使えるし、チャラチャラの道中で現状を発信しているからです。 賀状攻撃が有効だと、考えないほうがいいです。 それ以前にアナタを有効利用したいとおもう人なら、アナタの現状をみて、声をすでにかけているとおもう。
お礼
ありがとうございました。 >パーツとして使える、能力かどうかを今一度、見直してください。 前の方の回答お礼に書きましたがが、ちょっと特殊な仕事ではありました。 おっしゃる事は良く理解できました。ちょっと混同していたのかも知れませんね。 >チャラチャラと見えるようなか、バリヤーをはるかしか選択肢がないのでは組織では、チャラチャラのほうがまだ有用性が高いです。スポットで使えるし、チャラチャラの道中で現状を発信しているからです。 確かに、この持ち味の方は明るいので世渡りが上手くて最小限の自分の仕事だけして生き残ってました。 私はその方を養うべくその他の雑事も行ったが故に結局傷が深くなる結果となりました。 >賀状攻撃が有効だと、考えないほうがいいです。 それ以前にアナタを有効利用したいとおもう人なら、アナタの現状をみて、声をすでにかけているとおもう。 声は掛けて頂いたのですが、その時は私も混乱していて有効利用の本音も見えてしまい自分を委ねる事が できずお返事できずにおりました。プライドというより責任感から、安請け合いすると双方が後で困る、とか先方に迷惑がかかる、とか過剰に考えすぎるところがあるみたいです。 おっしゃる通り賀状はご挨拶程度(ご縁継続)に留めておこうと思います・・。
お礼
とても参考になりました。 タイプとしては一番下が当てはまる気がします。 仕事はクリエイティブな部類もやっており、自分で完璧に仕上げないと認めてもらえない特殊なものでした。 しかし組織の一部としての仕事もしていました。 × 怒りながらごはんを食べているようなタイプ、考え事が止まらないタイプ、 ○ 頭がよく、我が強いタイプ、努力家、仕事中毒に多いそうです。 × 胃のあたりにつねに怒りのような火のようなエネルギーがあります。 ◎ 個人の意志が強いタイプともいえます。オーラがあるタイプといいますか。 ◎ 個人主義で、知的好奇心旺盛、遊び心のあるタイプ、です。 >人間不信の傾向もあるかもしれません。特に頭のよい方。 もし完璧主義もあれば、なかなか人に任せることができません。 頭が良いかはわかりませんがこれもあてはまります。 鼻持ちならない人物にみえそうですが男女間のようなシチュエーションでは甘える事もできます。 仕事に於いては完璧が当たり前という指導を受けていたので、当たりは柔らかくても正確で責任感はありました。人に言われる自分のオーラは、意外にもどちらかというと優しそうで人が良くて間が抜けている風でした、、。色々な事があってからはちょっと暗くてため息ついて夢がなく現実的な風です、、。 >「ダメもと」精神がある人は強いです。 ここまで裾野というか、全ての札を利用できていない、というか心を開けていないのが現状です。 プライドより、人に迷惑をかけるのが面倒という気持ちが働いているようなのです。 >「グラウンディングをすること」 この言葉は知りませんでしたが、自分の状況を当てはめますと、職場と、付き合いの長い恋人と自分の心と大地にグラウンディングをしていましたが、昨年偶然ほぼ同時期に別な理由でどちらも揺らぎました。大地に張っていたと思われたものは前者が崩れると結構揺らぎました。まさにこの通りでした。>自分の根っこが弱いまま、他人にだけ依存していると、いざ疎遠になったときに、自分の足元が崩れるような思いをしますから。 でもバリヤーではなく、傷つきにくくなり、外部からのネガティブな影響を受けにくくなり、自分の幸福のために生きられるように変化する、というこの方法を再度考え直してみようと思いました。 自分自身のグラウンディング力を高める事と同時進行で・・。 >自分と同じような人たちと深いつながりをもつ=自分の価値観と共通する友人や集団の力を借りる事。 自分の価値観と合わない集団に属していると、人はだんだんエネルギーを消耗し、グラウンディング力も低くなるのです。その代わり、自分の考えを理解してくれる人や、価値観の合う人をさがすことです。 離職後もウマの合っていた人たちからは音信を頂いて賀状も頂きました。 しかしながら、自分が傷ついてしまって(病的で・・)お返事できずにおりました。 賀状というのはタイミング的にいい機会と思ったからです・・。 そのような方との再縁(頭からお願い事というのではなくて)から少しはじめてみれるといいのかと少しは気持ちが前向きになりました。1年前の出来事でもなかなか心の傷は癒えないものですね、、。 でも回答感謝致します。ありがとうございました。