なぜ「知りたい」と思うことが可能なのか?そもそも「知りたい」とはどういうことか?
以前別のカテゴリで私が拙い回答を試みたときに
20世紀の言語観について聞きかじったことをつなげてみたら
次のような疑問が浮かんできました.
1.言語と概念は,別々に存在していたものでその間に対応がついている
のではなく,名前をつけることによってはじめて概念が存在する.
(ソシュール?構造主義?)
2.したがって「人間が世界を認識すること」とは
「世界を言語で記述すること」と同値である.
3.なので,人間が記述に成功したものが世界のすべてである.
なぜなら記述されてないものは,存在しない,としか言いようがないから.
4.ところが人間には「分からないからもっと知りたい」という気持ちがある.
知らないことなのに(=存在していないのに),どうして知りたい
(そこに何かがある)と思えるのか?
私がぼんやり考えてみたところ,知らないことは言語になってないから
他人と話す限りは存在しないのだが,自分の中では
(言語になってないから他人には通じないけど)存在する,
ということかな,と想像してみました.
どなたか4.に現れた疑問を解消していただきたくお尋ねいたします.
私の理解は非常にあやふやだと思いますので,
「この部分がぜんぜん違うんだよ!」とかこてんぱに指摘してください.
ただし,私は哲学や思想史などについては素人ですので
勝手なお願いですがなるべく分かりやすい言葉でご説明ください.
ちなみに私が回答を試みた質問は
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=281646
です.