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みんなが幸せになるには
みんながみんな幸せになるような時代は来ると思いますか?僕は来てほしいです。
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最近、 「仲間意識」が強い、 「仲間」に憧れる、 そういう人が増えているそうです。 しかし、その実態は、 「仲間の為に、自分が何かする」よりも 「自分の為に、仲間が何かする」事を期待して、 「お互いに切磋琢磨して、成長する」よりも 「同程度の仲間に囲まれて、現状維持で安心する」事を期待して、 という様に、「自分の利益だけを考えて」の事だそうです。 例えば、某海賊漫画が非常に人気がありますが、 「あんな風に、仲間を助ける為に行動したい」よりも、 「あんな風に、自分を助けに来てくれる仲間が欲しい」 「あんな風に、自分に力を貸してくれる仲間が欲しい」 「あんな風に、自分を受け入れてくれる仲間が欲しい」 と思う人の方がずっと多いそうです。 >みんながみんな幸せになるような時代は来ると思いますか? これを本気で望み、真剣に考え、実行した・しようとしたのが、 「共産主義」「共産主義者」 「社会主義」「社会主義者」 です。 「皆の為に、お互いが協力し合い、勤勉であり続け、働ける者が働けなくなった者を支え、多く持つ物を分け合って、足りない物を補い合って、互いに敬意を払って生きていく」 のが、「本来の共産主義・社会主義」の在り方で、読書や音楽、映画、演劇等を楽しむ事に何ら制限はありませんでした。「不道徳な恋愛」は「規範を乱す」ので駄目でしたが(結婚を前提の真剣なお付き合いは良し)。 実は「共産主義・社会主義」は「性善説(人間の本性は善である)」が大前提のものでした。 しかし、人間の本性は「悪」だった為に、 「他人を働かせて、自分は楽しようとする」 「他人から奪うばかりで、自分の物は一切分け与えない」 という「人間というもの(一部の支配者・独裁者のみならず、一個人・一市民まで)」に、「共産主義・社会主義」は悪用され、ついには 「共産主義は、失敗だった」との烙印を押されたのです。 これは、「人間自身の行動によって、『人間の本性は善でなく、悪である』と証明された」というのも同然なのです。 貴方は、「みんながみんな幸せに」と書かれていますが、 「他人より多く持っていないと、幸せじゃない」 「他人より楽してないと、幸せじゃない」 「他人より上にいないと、幸せじゃない」 「他人が何時でも自分を優先しないと、幸せじゃない」 「他人と同じ位しか持っていないのは、不幸」 「他人と同じだけ働くのは、不幸」 「他人と横並びなのは、不幸」 「他人の為に譲ったりほんの少し我慢したりするのは、不幸」 「他人より楽して、他人と同じ位に持てるなら、幸せ」 「他人より楽な仕事で、他人と同じ報酬なら、幸せ」 「他人より程度が低くても、同じに見られたら、幸せ」 こういう人達が存在するのが紛れもない事実である以上、 「みんながみんな幸せに」というのは、不可能です。 既に歴史上、 「最大多数の最大幸福」 という概念が提唱されています。 (最大幸福、とは「最大公約数的幸福」という事) 「みんな」が「完全に」幸福となるのは不可能なので、 「出来る限り多くの人」が「譲歩し合って、落とし所を見つけて」幸せになる・なれる可能性が追求されたのです。 因みに、私は幸せです。少なくとも、自分を不幸だと思った事はありません。 それは、「今迄何の苦労も無く、ちやほやされて、楽して生きてきた」からではありません。 一つには、 「自分の幸せを、自分で決めている」 からで、もう一つは、 「幸せにしたい人達がいる」 からです。
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世俗を捨て、山にこもって仙人になる。 さすれば道は開かれん‥。 山頂、空に近いところであれば尚よろしい。
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お礼
仙人への道が幸せとは限らないと思いますが。 とりあえず回答ありがとうございます。