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なぜ人は「王道」と言われる物を作るのか
- 人はなぜほとんどの場合、創作物を作るときに「王道」と言われるような展開やキャラクター設定を選ぶのでしょうか?視聴者や読者が予測できたりどこかで見たような展開を作る理由は何でしょうか?
- ドラマや漫画、小説などの創作物には、恋愛相手の記憶喪失や爆発を阻止するなど、王道と言われる展開がよくあります。なぜ安易な展開を選ぶのか、独創的な作品が少ないのはなぜでしょうか?
- なぜほとんどの人は創作物を作るときに「王道」と言われるようなものを作ってしまうのでしょうか?個性的な作品もある一方で、なぜ予測できたりどこかで見たような展開を選ぶのでしょうか?
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質問者が選んだベストアンサー
20年以上前に読んだ本の内容なので細かいところまでは覚えていませんが・・・ 人間が人間(擬人化した動物も含む)のドラマを創作する際の起承転結のパターンの数には限りが有って、ある学者の説によると『全てのパターンの組み合わせはシェークスピアの時代に使い尽くされた』そうで、それ以降の作品は全て(悪いいい方だと)二番煎じということになるというレポートでした。 もちろん、時代によっては物語の中心となる常人離れした力を持つキーマンが、全能の神の血をひく子であったり、忍者であったり、エスパーであったり、宇宙人であったりという細部は変化が加えられていても軸となるストーリーが「誰も似たストーリーを書いたことが無い」というのは出て来ないそうです。 極端に言えば主人公が存在する映画を観に行った場合、始まる瞬間に考える結末は「主人公が死ぬor死なない」の二択であり、誰もがそのどちらかだと予想しているわけです。 すみません、我ながら説明が下手です・・・。m(__)m ただ、これを逆手にとっていて面白いと思ったのは(ちょっと古いですが)「ひぐらしのなく頃に」ですね。 もともとがライトノベルゲームだったということもありますが、一つの基本となるストーリーに対して無限の結末とそこにいたる過程があるという漫画Ver.は色々と読者にも考えさせてくれていい作品だと思っています。 なんか、グダグダの回答となり失礼しました。^^;
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エンターティメントのうちですから、王道というより「お定まり」「お約束」を観客が期待するからです。 制作者側は、お約束通り行くか、はずすか、で狙いを定めます。 「そう来なくっちゃ!」という期待。 「おっとそう来たか!」という意外性。(それもお約束のうちですが) 落語なら最後にオチがなければ客は納得できません。 なんだか出るものが出ないような気分の悪い後味を味わいます。 恋愛ものならこういう展開、サスペンスならこういう意外性、とすべて期待のうちです。 小説であれば読後感というのが大事なように、客が良い気持ちで終われるような型をつくってやらなきゃいけません。
お礼
確かに見る側の期待に沿えるかが、重要ですね。 とてもなるほど~と思いました。ご回答ありがとうございました。
補足
なるほど。 自分の浅知恵では思いつかないことでした。参考になります。 あえてはずすか あえて約束通りいくか…製作側は考えるのですね。 そこでまた少し違う疑問なのですが、 「故意」の場合の理由は回答頂いた内容でとてもよく理解できたのですが 独創的な創作をしたい場合に、作ってみて見直したらありきたりな内容になっていた…なんてこともありますよね? 凡人な考え方のせいなのか、個性を出すはずがいつの間にか王道に沿ってしまった… これはなぜなんでしょうか。
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お礼
もう使い尽くされた…確かにそうですね。 何もかもが全く新しい!というものはない気がします。 ひぐらしのなく頃に…斬新なストーリーですね。読んでみたいな、気になります。 >グダクダの回答 とんでもないです!むしろとても知的な文章(他の回答者様も)でらっしゃるので、私の質問やお礼文が稚拙でお恥ずかしいです。 とても参考になりました。ありがとうございます!