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京阪電鉄はなぜ梅田乗入を諦め中之島新線を造ったのか
- 京阪電車の中之島新線は散々な成績であり、存在意義がほとんど無いと言える
- 中之島線の利用者数は予測よりも少なく、京阪電鉄の判断ミスがあった可能性がある
- 梅田乗入を断念し、中之島新線を造った理由は明確ではないが、梅田に乗り入れることで新線の価値が上がったと言える
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梅田の乗入計画はおっしゃるとおり戦前の話ですので、「梅田がだめだったから中之島」という考えはさすがに成り立ちません。ターミナルの立地が違いすぎますし、経営判断上もそのようなことはありえないと思います。梅田の乗入計画については、阪急京都線(当時の新京阪線)の梅田乗入という形で一応目的は達成していますし、京阪本線についてもその後淀屋橋への乗入を達成しました。そこには「梅田がだめだったから淀屋橋」という考えがもしかしたら当時あったのかもしれませんが、その後延伸計画が具体化しなかったことなどを鑑みると、京阪の路線網形成としてはこの時点で一応の完成をみている、といってよいのかもしれません。 で、これらのことと中之島線は全然別のことと考えた方がいいように思います。中之島線を建設し、保有しているのは第三セクターの中之島高速鉄道(第三種鉄道事業者)で、京阪(第二種鉄道事業者)はその運行を任されているにすぎません。京阪としてはもちろん自社の路線であるかのようにPRし、第二種鉄道事業者であるという意味ではそれも間違いではないのですが、実態は、京阪のほか大阪市などが出資する第三セクター(中之島高速鉄道)の路線です。大阪市としては、鉄道空白地帯(特に大阪市役所をはじめとする公的機関・施設が集まる中之島)を解消することを中之島線の存在意義とみているでしょうし、何より既存の市営地下鉄の路線との干渉(利用者を奪い合うようなこと)は避けたいところでしょう。それゆえ「鉄道空白地帯を何となく路線網として埋めた」的な存在になっているのではないかと思います。結果的に過去のモンロー政策とは矛盾しているようにみえますが、当時とは違って今の時代、大阪市が中心部で単独の市営事業として鉄道を建設できるほどの財政力はないし、通勤・通学人口の減少やマイカーの普及などで、将来鉄道利用者が大幅に伸びる見込みは絶対にありません。それに、もともと京阪と直通する計画なのであれば京阪を第二種鉄道事業者にたてた方が利用者にとっての利便性もあります。一方京阪としても、今の時代に単独で新線建設、というのもなかなか厳しい状況にあるなか、第三セクターに出資するという形であれば行政(=税金)という後ろだてがありますので経営上のリスクも回避できるといえるでしょう。 なお、阪神なんば線も第三セクター(西大阪高速鉄道)が建設し、保有しています。 http://www.nrr.co.jp/
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- TheBodyVentura
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確かに素人目にみても「なんでこんなトコに」って路線ですよね。 梅田乗入れが便利なのは明らかですし、阪神梅田に乗り入れしてくれればいいのにと思うのですが、やはり建設が困難なのではないでしょうか。乗り入れたとしても、大江戸線や、東京駅の京葉線のような、とんでもなく地下深くになってしまいそうですし。 それに梅田起点となると、京橋のスルー具合はとても高くなると思います。ホテル京阪、京阪駅ビル、京橋の商業施設との兼ね合いもあるのではないでしょうか。 朝日新聞とかフェスティバルホールのとこにビル建ててますよね? あそこに肥後橋駅と繋がる地下街ができるという話ですし、四つ橋線が阪急十三駅まで延伸して阪急が乗り入れの予定や、新大阪から関西線の難波までの地下鉄の予定がありますし、それらとの乗り換え接続を目論んでの淀屋橋以西への延伸なのではないでしょうか? ゆくゆくは阪神へ乗り入れできる西九条、京阪ホテルのあるUSJ、本庁舎になるかもしれないWTCのある咲洲エリアへの延伸も考えているのだと思います。 早くそれらが実現すれば良いですが、今のままだと、なんというか、末期の南海天王寺線、高野線の汐見橋駅のような哀愁感漂う路線になりそうで。。。
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回答ありがとうございました。 京橋の商業施設を守る、と言う考え方は企業行動としては分かるような気もします。ただし乗客に「京橋駅での乗り換え」と言う代償を強いるわけですが。 中之島以西は、西九条まで行こうが、咲洲まで行こうが、乗客の大幅な増加は見込めないと思っています。貧乏くじを引くことになると思います。言い過ぎでしょうか。
>そのことを、京阪電鉄首脳は分かっていなかったはずはないと思います。 それでも、時折、大企業のトップと言うのは、 同業他社が開いて育てたターミナルに接続させることをよしとせず、 自社で、そのあたり一帯をこれから育てるのだと言う 考え方をすることが、往々にしてあるようです。 私のようなど素人の一般人には、そのような 崇高で壮大な考えは無謀にしか思えませんが。。
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回答ありがとうございました。 京阪にとっての「自前のターミナル」は、京橋なんでしょうかね。それとも、何か別のことを考えているのでしょうか。私にも、良く分かりません。何十年と言うスパン見続けないとわかりませんね。
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回答ありがとうございました。大変参考になりました。 良くわかった点が一つと、良く分からない点(新たな疑問)が一つあります。 良くわかったのは、中之島への乗り入れは「京阪電鉄の思惑」と言うよりは、「大阪市の思惑」が大きく作用したのだ、と言うことですね。 確かに中之島西部は鉄道空白地帯ではありますね。 ただ、そのような観点で見ても、「梅田駅」から「中之島駅」へ地下鉄と京阪を乗り継いでいけば410円もかかりますね。 「中之島へのアクセス」を「どこから行くか」と言う視点で考えた時、「京阪沿線」よりは「大阪市内」の方が多いような気がします。その仮定が正しいなら、中之島線は使い勝手の悪い路線という感じが否めません。 ドイツの都市内交通に見られる交通連合方式と言った運賃制度・システムが欲しいと思います。これは、「(日本のJRにあたる)DBのSバーンに乗ろうが、地下鉄(Uバーン)に乗り換えようが、都心の一定区域の中なら、運賃が1.2ユーロ均一とか、2.4ユーロ均一」と言うものです。(参照:http://www.mvv-muenchen.de/de/home/index.html) さて、もう一つ、「新たな疑問」と言うのは、 「では、1997年に開業したJR東西線は、なぜ梅田(北新地駅)への乗り入れができたのか」 ということです。こちらも、線路など鉄道施設は第三セクター会社の関西高速鉄道が保有で、JRは列車の運行・運営を担当している格好ですね。 こちらは1971年(昭和46年)に都市交通審議会の答申が出た後、しばらく日の目を見ませんでしたが、1989年に 「片町線と福知山線を相互直通運転で結ぶことによって、東西方向の都心貫通型広域鉄道幹線を形成するために必要な路線、大阪環状線の混雑緩和にも資する路線」として再度位置づけられ、着工された とあります(Wikipediaによる)。 「大阪環状線の混雑緩和に資する必要があった」なら、京橋駅で大量の乗換客を大阪環状線に吐き出している京阪電鉄にも同じことは言えるわけですし、「中之島西部地区の鉄道空白地帯解消」が目的ならば、JR東西線にも同じことが言えたのではないか、と思います。 しかし、結果はこうなった。これは、事業着手時期の差(JRが約10年早い)が理由であると言わなければならないのでしょうか。 北新地駅の1日の乗降客数は約10万人です。梅田地区へ乗り入れたなればこそ、この数字は出たと言えましょう。 何だかJRに恨みがあるような物言いになってしまいましたが、無論そういうわけではありません。 ただ、それにしても京阪は貧乏くじを引いたなあ、という感想を禁じ得ません。 私は山陽電鉄の沿線住民ですので、大阪に来るときは大概阪神で梅田まで来ますが、京橋やOBPに用事がある時は、たまには渡辺橋まで歩いて中之島線に、またたまにはJR北新地駅から京橋まで乗るか、という気分でいます。 長々と失礼いたしました。ありがとうございました。