こんにちは
>箸の持ち方、鉛筆の持ち方......未だ未だ此れ丈けでは在りません
日本人にとっては毎日の生活の中での、所作、作法、エチケット、礼儀、マナー等々の何百年にも亘る積み重ねの賜物の結果が、例えば「箸の持ち方」、「食器の持ち方」、「筆記具(此の場合鉛筆)の持ち方」、「敷居越しの仕方」、「襖(ふすま)開け立ての仕方」、「履物の作法」、「上座、下座」、「正座の仕方」、「未だ未だ一杯在りそうですぅ............(恥)」
後、日常とは少々懸け離れますが、お花、お茶等の素養の有無。
でも此れ等は、直接、生きるの死ぬのとは関係在りません、別に持ち方少々悪くても食べられれば好いや、字が読めれば好いや、敷居を踏もうが好いや、ドア(現代は襖が減って来てますが)の開閉(音や、続く人への配慮等)出入り出来てりゃ好いや、目上を前にしても胡坐(あぐら)で何が悪い...........言い出したら切りが在りません。
でも此んなの嫌ですよね、自分の身内(旦那、妻、娘......)が朝から晩まで、毎日此んなだったら如何(どう)しましょ?
私もひと様に説教出来る程の器は持ち合わせては居りません、でも然(そ)うは言っても好い意味での「人目」は気にす可(べ)きだし、他の人を反面教師にして自省し、好い方向へ自分を律したいと思いますが、如何でしょうか?斯(こ)うゆう「人と人」との目に見えない処での、気遣い、思い遣りの蓄積が「躾」や延(ひ)いては「日本の文化」へと繋がって来て居るのではないでしょうか?日本に生まれて好かったと思い度いですね。
※因みにrieuryさんの御質問の2っつ後(QNo.7029303)にも、何か同じ様なQ&A在りますね.......「迷い箸」並みに迷いました、浮気せず此方にしました.....
お礼
ありがとうございます。