※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自己不信から立ち直った人へ)
自己不信から立ち直った人へ
このQ&Aのポイント
家庭環境を原因にいじめや不登校を経験し、人見知りな性格になりました。しかし、人間関係に自信をなくし、友人のいない自分を隠す日々が続いています。自分は魅力がないと思い込み、寂しさと快適さを感じながら生活しています。
両親の教養や知的好奇心の欠如から、自分は反対の人間になりたいと思い行動してきました。しかし、自分の存在を客観的に見つめるたびに、小さくまとまって生きていくしかないのではないかという恐怖に襲われます。
過去を振り返ることなく、楽しいことに目を向けているけれど、時折悲しさを感じます。図太く生きたいと思いつつも、どんなアドバイスでも結構です。
いまは充実して過ごしているという方の話を聞きたいです。
私は、家庭環境を主な原因として、いじめ、不登校を通して、非常に人見知りな性格です。小学校から始まり、簡単な付き合いの友人が少しいるだけでした。上辺だけの関係をつくることも上手くありません。
積極的に人がいる場に赴くことで人並みの関係を築けるようになろうと試みましたが、逆に大学内外で関わったことを通して、より人間関係に自信をなくしました。今いる友人知人と遊んでも楽しいと思わなくなりました。(あちらもかもしれませんが)だいたい、いつも自分から誘う立場だし、自分はあたりさわりのない会話しかできないので、なんだか会話も楽しめないんです。友人のいない自分を隠してるのもありますが、際立った趣味や活動がないから話のネタもないのです。寂しいけれど、だったら会わなくていいか・・・という感じです。何かしらの活動を通していたときは、親しくしていた人とも活動を終えれば、疎遠です。そんなに魅力がない人間なんだと思います。今は人に期待する気持ちと人と過ごす楽しさの両方からはなれた状態で、快適であり寂しくもあります。
両親ともに教養や知的好奇心のない人だったため、自分がどういう環境で育ったか気がついてからは自分は親と正反対の人間になりたいと思い行動し続けてきました。(学費など払ってくれた父親には感謝しています。)
しかし、世の中における等身大の自分が見えるにつれて、自分も小さくまとまってひっそりと生きていくしかないのかという恐怖があります。過去を振り返らずに、楽しいこと今やらなければならないことに目を向けている分には気は楽です。それでも、たまに客観的に自分を見たときに、とても悲しくなってしまうのです。図太く生きたいのですが。
どんな切り口でも結構ですので、なにかご回答くださるとうれしいです。
お礼
>ご両親についても教養のない、知的好奇心がない=ダメな人間ですか? だめな人間とはいいません。たんに私はそういう生き方に共感しないだけです。 責めても、何か期待しても、私の現実は変わらないことは承知です。愚痴りたかったのです。親が世間一般の知識常識とまっとうな教育方針のある家だったならば、と。 呪縛なんでしょうか。このまま齢を重ねたとき、いい自分の像が浮かばないのです。 ご回答くださりありがとうございました。