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素朴な質問
こんにちは。 私が幼い頃、父は母に対して毎日の様に暴力を奮っていました。 しかし、そんな姿を見ていながら私を含む私の兄弟全員は父親っ子です。 なぜなら、母が奇跡的と言えるほどに知恵に欠けている様に見え、或いは奇跡的と言えるほどに強情である様に見えるからです。 もちろん、どんな理由があるにしろ暴力はよくありません。ですから別に母が悪いと思っているわけではありません。ただ「またやってる。本当に学習しないな。。。救いようがないな」と思っているだけでした。 こうした素直な感想は当時兄弟全員がほぼ一致していると思います。 傍から見れば結構なDV家庭。でもその実苦しんでいるのは父の方です。 天才的に父(だけではない)の心を逆なでする技術に長けた母は意識的にではなく無意識にそれができるほどまでに技が洗練されています。 そんな母は私を含む兄弟全員にそれを指摘されようが自分はだれのことも理解しようとしないのに「だれも解ってくれない」と被害者意識を増幅させるだけで全く学習しようとはしません。今でもそれは同じです。 ただ周囲が適応しました。 ※因みにそういう致命的な面を持っていつつも愛情深い人ではあるので兄弟みな母を愛してはいます。ただ警戒というか、そういう側面があるという知識を持っているだけです^^; そんな子供時代、父は忙しかったので私の希望とは別に私と大半の時間を過ごしたのは母です。 その母は毎日苦しんでいました。小学生になるかならないか位の子供が今自分を世話することで母は自分を支えているから、あえて世話をさせてあげなくてはダメだと考えさせた程です。 そういう訳で私はその頃こう思っていました。 「母が父にくっ付いているから父は力を奮える。離婚でもなんでもすれば苦しまなくて済むのに。」と。 つまり、自分を苦しめる人間に自分を苦しめる力を与えているのは紛れもない母その人であると考えていたわけです。 さて、世の中にはこれと同じ構造の問題がたくさん有るように見えます。 雇われていながら(会社(社長)の力として活動していながら)社長の悪口を言い続ける社員。 格差社会の悪口を言いつつしっかりと心の中に無視すれば良い格差社会を大切に維持している格差社会に物言う訳でもない一般民間人。 これらはみな心の弱さが起こす現象なのでしょうか。 別に心が弱いことを責めるつもりはありません。 ただそうなのかな?と素朴に疑問に思っただけです。 日常生活の中、悪人というのはほとんど存在しません。 しかし臆病な者、頭が悪すぎる者はいくらかいるかもしれません。 この人たちの言動が結果的に「悪」を興します。これは罪だろうか?などとも考えることがあります。 どうでしょうか。
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- key00001
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> そして、「悪口を言いつつ」「ものを言う訳でもない」を矛盾と捕らえるとは。。。 そういう枝葉末節に拘って、話をふくらますから、焦点がぼやけるんですよ。 そう言う展開を防ぐために( )にしたのですが、語彙の多い点を自負するアナタにはご理解戴けない様ですね。 語彙と論理性に関係ないですが。 『この「余談」と「例の一つとして上げただけ」と言う文章が、質問文構成上、重 要な骨子です。 仮にそれを省けば、質問(これらはみな心の弱さが起こす現象なのでしょうか。) における「これら」が消失し、質問の体を成さないです。 』 『「こちらの余裕が無い事ばかり・・」と言う人格をどう思う か?と言うのが最終的な主旨(問い)と言うことで宜しいですね? それであれば、洗剤の話でAだのBだのとダラダラと欠く必要もありません。 端的にそれだけ書けば、充分に伝わります。 この場合、ほぼ100%の確率で「その人は悪人である」と言う、質問者さんの お好みの回答が得られるでしょう。 』 のあたりにご意見を戴きたかったのですが・・・。 豊富な語彙では無く、出来れば端的・簡潔に・・。
- key00001
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> それよりもこちらの余裕がない事ばかりを指摘して全く内省する気配すらないA2はいったいどういうポジションなのだろう? > これについてどう思いますか? > というのが主旨です。 質問主旨が、どんどん変遷している様です。 > 格差社会の悪口を言いつつしっかりと心の中に無視すれば良い格差社会を大切に維持している格差社会に物言う訳でもない一般民間人 (「悪口を言いつつ」「物を言う訳でもない」が矛盾していますが。) > この質問の焦点は「バネでなくなった人は全ての責任から逃れ、自分たちがマヒする事によって生じる社会の歪みに対する責任を問われないのか?」という部分が強いです。 > 社会の歪みの被害者を可哀そうだと思いながら見つめる。 これらと「こちらの余裕がない事ばかりを指摘して全く内省する気配すらないA2」と、全く別の人格です。 硬直とか柔軟と言う以前に、主旨が変更した場合、超能力者や預言者でもない限り、理解は不能です。 また、当初質問文を読んで回答したら、「社長の悪口を言う社員の話もほんの余談のつもりで、格差社会も例の一つとして上げただけ。」とまで理解出来る人は、まず居ませんヨ。 この「余談」と「例の一つとして上げただけ」と言う文章が、質問文構成上、重要な骨子です。 仮にそれを省けば、質問(これらはみな心の弱さが起こす現象なのでしょうか。)における「これら」が消失し、質問の体を成さないです。 もう少し日本語や議論の構築に関し、学習なさった方が良いです。 それらはさて置き、「こちらの余裕が無い事ばかり・・」と言う人格をどう思うか?と言うのが最終的な主旨(問い)と言うことで宜しいですね? それであれば、洗剤の話でAだのBだのとダラダラと欠く必要もありません。 端的にそれだけ書けば、充分に伝わります。 この場合、ほぼ100%の確率で「その人は悪人である」と言う、質問者さんのお好みの回答が得られるでしょう。 言い換えると、最終的には「悪人は悪か?」と言う問いに限り無く近付いていますので、質問する必要性さえ消失しているかと思います。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
基本的には答えが得られない質問と、結論が得られない議論の構築をなさっているかと思います。 多くは申しませんが、たとえば > 「格差社会の犠牲者は可哀そうと思う人」は建前で言っているのではなく、自分のバネの無さによって生じている社会の歪みを全く自覚しておらず、完全に自分は無関係だと思いながら可哀そうと思っている人を想定して書きました。 と言う文章からして、少々矛盾があります。 「建前で言っている」 ≒ 「完全に自分は無関係だと思いながら言っている」 は、ほぼ同義です。 これを逆説で繋げて相違点とすると、結論・共通認識の構築は不可能です。 あるいは > いかに偉大/正当なリーダーが居てもそれを理解できる人がいなければ お話にならない。 > リーダーが居ないのも事実かもしれませんが、シップを見る力が人心の中で衰え ているのも大きな原因ではないでしょうか。 なども、成立しません。 こういう否定の仕方をしますと、議論の構築は不能です。 質問者さんは「オレはリーダーシップがある偉大なリーダーなのに、誰も付いて来ない」と言う発言を奇異に感じませんか? 「偉大/正当なリーダー」と言うのは、予め存在するものではないからです。 結果であり、偉大か正当かは、歴史が評価するからです。 たとえリーダーの資質があっても、それが理解されなければ、偉大なリーダーではありません。 理解されないリーダーシップと言うものは、存在し得ません。 「率いる力」を発揮した際に発生するのがリーダーシップです。 発揮出来なければ「リーダシップが無い」のです。 この手の構築が多く、質問内容も変化している様で、結局、質問者さんの論旨が見えません。
お礼
私のお礼があまりにも長かったのでやる気を失ってしまいましたでしょうか^^; 「建前で言っている」自覚がある 「本気でそう思っている」自覚が無い これは全く違う物です。 リーダーについても同じです。 相手の理解力に頼りすぎて言葉足らずである自分の非は認めますが、それでももう少し理解しようと試みてほしいなという気も少々。 key00001さんは考え方が少々硬い/狭い方でしょうか。 それともご気分を害されて冷静に考える事ができなくなっているのでしょうか。 私は話し方(文章の書き方)のせいか、オレこう思うんだけど、お前どう思う?と信号待ちでもしている状況で何気ない立ち話的なノリで始めた会話が何か会議室でスーツを着た人が何人も煙草をふかしながら話し合っているのかと想像してしまうほどのノリに変わってしまう事がしばしばあります。 もう少し軽く柔軟に受け捉えて頂けると私の主旨は解りやすいと思います。 社会問題ではありますが、もっと日常生活的な視点で私は話しています。 たとえば、川の上流で食器洗いに中性洗剤を使い、その排水をそのまま川にながしているAさん。下流で中性洗剤の混じった水を飲み続けて病気になったBさん。 Aさんには2タイプ存在します。 自覚があるのと無いのです。 有る方をA1、無い方をA2と呼びます。 それを見ている私たちはBさんの原因がAさんの中性洗剤の排水であると考えています。 Bさんの悲痛を聞いて介抱しているところにA2さんが来ました。 Bさんを見て可哀そうと言った。しかし我々から見ればA2こそBさんを苦しめている本人である。それをA2さんに言うと、一部のA2さんは改めるが、別のタイプのA2さんは中性洗剤を使ってはいけないという事を主張する事になる私たちの意見を聞いてストレスに感じ、私たちに攻撃を加え始める/攻撃しないまでも気分が重くなるので付き合いを止める(その社会では社会的抹殺に値)であろう。 自分でも自分や自分の身近な人のために色々としなければならない事も多く、どちらかと言えば忙しいと言える日常生活で余計なトラブルまでも起こしたくはない。だから何も言わない事が多い。 そうした日常、ストレスが溜まったりすると余裕が無くなり、A2さんに対してもう少し真剣に世の中の事考えろよ思うようになる。 余裕が無くなっているという状況は認めるが言っている事は間違っているわけではないと思う。それよりもこちらの余裕がない事ばかりを指摘して全く内省する気配すらないA2はいったいどういうポジションなのだろう? と思う事があるわけです。 これについてどう思いますか? というのが主旨です。 格差社会、環境問題など様々なところに同じ構造の問題はあると思います。 だからみなNGOとかNPOなどとして活動する。 しかし本来それらは必要か?我々一人一人が心がけるべき事ではないのか? という事なのです。 それをしない。 無知、臆病などは弱さの象徴のようなもので、どちらかというと守られるタイプ。 しかし、その立場を利用して(?)一向に内省する様子がないどころかどんどん増長しているようにさえ見える。 やはりこれは「弱いから」なのだろうかと思ったのです。 私もkey00001さんの視点方向や着眼点が読めない(お互いに相手を読もうとしている段階だからか)ので説明もぼやけがちです。 これで理解して頂けると幸いです。
- key00001
- ベストアンサー率34% (2878/8340)
お礼有り難うございました。 回答の方向性が違った様で、申し訳ありません。 > 私は見方を誤っているだろうか。 私は質問者さんの見方に対し、基本、賛成派です。 日本人は諸外国と比べても、まだまだ優秀な知性(知恵)と良識・品性(徳)を有した国民性である点は確信しつつ、行動面では消極的であり、それが一種の「陰湿化」と言う「悪性」になっている様です。 具体的に言い換えますと、日本は極めて「タテマエ社会」と言うことになります。 たとえば人前で「金が欲しい!」と言うのは憚りつつ、内心は誰もが欲しいモノです。 まさに本音と建前ですが、日本人は、本音・本心を隠して「偽善的」に振る舞う国民性です。 慎み深さとか、良性部分もありますが、陰湿さなどの悪性も生じてしまいます。 質問者さんの言葉を借りれば、「そこそこ知恵がある人は、徳があるフリをする」から、「格差社会の犠牲者は可哀そう」となるワケです。 お利口ちゃんで優等生な答えです。 ところが、本当に可哀そうと思ってるのか?は疑問です。 内心は「どうでもいい」「他人のコトまで面倒見切れるか!」などと思っている人が、少なくとも50%、多ければ70~80%以上は存在すると思いますよ。 50%と言うのは、選挙の投票率からも類推出来ますよね。 熟考の末、投票を棄権する人も居るとは思いますが、大半は「どうでもいい」と言う人でしょう。 日本人が建前でいくらキレイ事を言っても、行動面でこう言う数字に表れています。 既回答の流れで申しますと、本来は「可哀そう」と言うのがストレスで、投票とかボランティアなど、行動の動機になりますね。 ところが、実際に投票に行かなければ、それほどストレスには感じていないと言うことです。 本気で可哀そうと思うなら、最も福祉政策などが充実している政党に投票しに行くハズなのに。 この時点で、日本人の2人に1人くらいは、実際は無関心で、実際的な行為者では無いと類推されます。 70~80%以上と言うのは、投票する人の中でも「価値観」が違うからです。 そんなにみんなが「可哀そう」と言う価値観なら、「福祉!」とバカみたいに連呼している社〇党あたりが、もっと得票してますよね。 しかし現実は、資本主義・民主主義を標榜する保守政党が第一党,第二党です。 日本人の多くは、優しい理想論者よりは、厳しくとも現実主義者を支持しているんですよ。 ついでに申しますと、「価値観」と言うのも、「ストレス」と同様に非常にやっかいです。 たとえば価値観が違うから、ストレスを感じるんです。 親に「勉強しなさい!」と抑え付けられても、子供も多少その価値観を共有していれば同意します。 しかし当節は、ソコソコの大学を卒業しても、一流企業に就職出来る保証が無い様な状態ですから、「少しくらい勉強しても、どうにもならない」「大学に行ったくらいじゃ幸せになれるとは限らない」みたいな価値観も存在します。 現在を、価値観の多様化と言えばカッコ良いですが、確固たる強力な価値観が存在しないとも言えますね。 価値観は、リーダーシップなども強く関係します。 父権が強ければ、家庭はまとまりますし、社長や上司にリーダーシップがあれば、企業や部署は機能的・秩序的に運営されます。 現在、国がバラバラなのは、リーダーシップがある優れた政治家が居ないと言う点もありますね。 悪性のリーダーシップの代表の一人がヒトラーです。 ヒトラーや一部の判断者・命令者は悪であり、その命令に従属した兵士なども道義的な責任は免れないとは思います。 ただご質問主旨からすれば、「ヒトラーの考えには反対だった」などと言いつつ、当時反対票は投じず、しかもヒトラーの命令に服従した様な人を、最も考慮すべきかと思います。 そう言う人が「格差社会の被害者が可哀そう」などと言うだけの人と、全く同種の偽善者でしょう。 偽善でも、偽善行為は、何らかの実やリスクを伴います。 しかし、偽善的正論のみを言う人には、実はほとんど無いし、発言者はリスクや責任は負いません。 結局、言うだけの人は、正論を言いつつも、その正論を行う「誰か」に依存しているだけですから、実行者である「誰か」に、負担や責任を強いる存在でしかありません。 親が子供に「勉強しなさい」と言うだけでは、まずその子供は、親が期待するだけの学力は得られないでしょう。 目的は「子供に勉強させること」であり、「しなさい」と言うのは消極的な手段でしかないからです。 そう言う形式的・偽善的な人格が、「私は子供に『勉強しなさい』と言った」と言い訳し、挙句の果てに「学歴社会に取り残された子供が可哀そう」となるのでしょうか・・。 偽善は、行為者の動機は善ではないだけで、行為は善ですから、「偽善を行う」ならば構いません。 親の動機に関わらず、「子供に勉強させた」であれば、成果は得られます。 しかし「偽善を言う」と言うのは、正論・理想論などではあっても、それ以外の何でもないです。 問題解決策でもないし、問題提起でさえありません。 「全く中身を伴わない無意味なキレイ事」を「言うだけ」ですから、善悪の判断は難しいですが、個人的には質問者さんと同様、非常にタチが悪いとは思います。 「〇〇が可哀そう」くらいならまだマシですが、「憲法9条を堅持すれば、外国から侵略されない」などと同種と考えれば重大事で、国益・国論を惑わず様な、妄想的な理想論でも、理想論は人を惹きつける場合がありますので、『悪』と断じて良いかと思います。 更に言えば、沖縄基地問題で「最低でも県外」などと言うだけで、行動や現実が伴わなければ、それに本気で期待した沖縄県民にとっては、結果的に極めて残酷な行為だったと思います。 「偽善的なコト」を「言うだけ」であっても、やはり何らか悪性が含まれる可能性が高いと考えるべきかと思います。
お礼
こんにちは。 前回の私の回答でご気分を害されたでしょうか? もしそうなら言った内容について訂正はしませんが、ご気分を害したという部分を指してお詫びします。 申し訳ありませんでした。 さて、今回のご回答内に一つすれ違いであろう部分を見つけました。 「格差社会の犠牲者は可哀そうと思う人」は建前で言っているのではなく、自分のバネの無さによって生じている社会の歪みを全く自覚しておらず、完全に自分は無関係だと思いながら可哀そうと思っている人を想定して書きました。 そういう訳で、前半は少々すれ違っていると思います。 言葉足らずで申し訳ありません。 後半で私に対して少々の反抗的要素を感じたので一々一つ一つに答えます。 選挙については私は政治についてはほぼ完全に無知で、自分で行う訳ではない政治に対して政治家の悪口をいうつもりもなく、本当は個々が独立自律して長を必要としない社会が理想だと思いつつそんなものは空想でしかない、だから現状の少数の政治家&国民というシステムに甘んじています。 これは後の件とかぶりますのでここではこの位にしておきます。 価値観の多様化についても正直ただの放縦の口実が多い、またそうでなくても放縦者達の攻撃に逢わないように適当に口だけ合わせている人が多いだろうと思っています。 個人が持つ価値観がどれだけ社会に対する影響力を持っているかを本気で考えている人がしゃあしゃあと多様化などとは軽率に言えないであろうと思うからです。 この件は他に質問をした事があり、今ここで改めて触れようとは思わないので、あえて大切だから触れろと言われなければここでは触れようとは思いません。必要なら要求してください。 リーダーシップについては、歴史上には夥しい偉人がいますが、万人の理解を得られている訳ではありません。恐らくすべての偉人達に反対者が居たでしょう。恐らくその反対者達には自分たちの都合の方が大切で、理念など問題ではないからです。 つまり、いかに偉大/正当なリーダーが居てもそれを理解できる人がいなければお話にならない。更にその理念が人間/社会の核心に迫れば迫るほど理解されるのは難しく、たとえ理解されたとしても協力を得られるか否かはまた別の話になる傾向があります。 リーダーが居ないのも事実かもしれませんが、シップを見る力が人心の中で衰えているのも大きな原因ではないでしょうか。 偽善についてはもう一段幅を広げるというか深くすると話は変わりますが、現段階程度の範疇の話であればおおむね同意見です。 行動の伴わない発言については、何か一つの事柄に対して本当に追い求めた事がある人なら解ると思いますが、行動の伴わないキレイ事の発言であっても、その人がそれを言ったならそのすぐ後でそれに反する行為はできなくなる。 つまりキレイ事を行わない人は居てもキレイ事に反する行為を行う人は一人減る事になります。この一人を軽んじる様な人がいたら、その人が何か一つでも死ぬ気で守った事が無いのかな?と少々の疑問を抱きます。 もちろん、死ぬ気で守ろうとするものがあればこそ行動の伴わない発言を憎む気持ちもありますから、一概には言いませんが、今回のご回答にはそういう面が見えず、むしろその弊害の方が私には目につきました。何かの活動をした事がありますか? どういう弊害かというと、あらゆる活動は種の様な小さな小さな事、それこそ発言以前の思想から生じる訳ですが、その行動が伴っていない初期段階を見てそれを軽んじる(だけでなくバカにする)人が居ます。これはキレイ事の反対者、つまり悪人にとって心強い味方です。正義(正論)みたいな事を言いながらその実これから成長しようとする正義(正論)の芽を摘み取るからです。 これも先と同じように一段深く/広くなればまた反対の意見も生じます。 ただ、こういう弊害を見落としておられるのであろうなと見受けられたので書いただけなので引っかからないでくださいね。 意外に多くの種にさえなる前の段階の命のエキス状態とでもいいましょうか、本当に本当の最初のきっかけがこれによって奪われている事は多いと私は考えているのです。 醜く弱い生き物も、美しく強い生き物も初めは弱い卵。しかし同じ弱い者でも、卵から孵った直後でその姿は大きく異なります。 姿かたちは大人と同じ美をもったものもあれば、大人とは似ても似つかない未熟な状態の者もあります。 初めに唱える意見が高尚であれ低レベルであれ、初めの弱い段階である事に変わりはありません。ところがある程度の恰好を備えているとそれだけで大人と同じ土台に立たされ判断されます。ここに大きなストレスがかかる。これに耐えられない雛が多いのです。耐えられても歪んでしまう事も少なくない。 意味解りますか? 「発言だけしかしない」と大雑把極まりない鈍い見方をしていると多くのそれらの芽を摘むことになります。悪者の心強い味方でしょう? 最後に、誰かに何か言う時、それに伴った具体的な活動を何かしなければなりませんかね。 子供が勉強するために自分が勉強するのは素晴らしい事だと思いますが、全ての面で全ての件に同じ事ができるとお考えですか? 誰でも自分の生活のためにお金を稼がなくてはなりません。 それだけで殆どの時間を使い切り、そちらの活動ができない場合も少なくない。 しかし、本来社会活動は必要か?本来であれば否です。一人一人が一人一人の事に関してもっと誠実に考え、森を見ることばかりに専念するあまりに木が見れなくなっている様な慢心に陥る事無く謙虚に考え、聞き、認識し、判断すれば良い。 これは社会活動ではなく、一人一人の日常生活の話です。 その一人一人の日常生活は何に基づいているでしょう? 各々の知識や信念、世界観にでしょう。 それらに欠けていれば必然的に社会は混乱する。だから自分一人が努力する中、隣にいる人にも言う。この際にどこかのNGOで活動している必要がありますか? 給料の大半をどこかに寄付なり慈善行為に費やしている必要がありますか? それよりもこういう言葉を無視して良い口実に「おまえは行動していないだろう」と言う人のどれほど多い事か、考えた事がありますか? 明確な活動をしていないと認識できない、或いは受け入れる事の出来ない自分の鈍さ、或いは臆病を内省する人はどれ位居ますか? 時間的制約などもあってうまく言えずにもどかしい思いをしていますが、今回私の書いた内容を正しく理解してくだされば、key00001さんが今回回答してくださって指摘されている内容がそのまま全てkey00001さんに帰る事になります。 私のこうした考え方はkey00001さんの見解と比べてどうだとお考えでしょう? 別に私は論破したいわけでもなく、ストレス発散したい(部分はありますがそれだけではない^^;)訳でもありません。 ですから造り上げる為の会話ではなく、攻撃するための会話になりそうなら以後ご参加をお断りしたいです。 この点を今一度念頭に置いて頂けると幸いです。 よろしくお願い致します。
- key00001
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非常に面白い視点での考察ですね。 正論ですが、先に結論を申しますと、支配される側の「ストレス」と、そのストレスの回避行動と言うことです。 ストレスは元々は物理用語で、たとえばバネを押さえた際に発生する「反発しようとする力」を指します。 これを他人の言動等の外部要因により、心理的に蓄積する鬱憤の様な感情に転用したものが生体的なストレスです。 生体的なストレスもやはり心理的な力であり、それが表現された場合の一つが「不平不満」などの言動ですが、その原因・動機がストレスなんです。 ストレスは、重要な人間の行動動機の一つです。 他人の言動だけで無く、「暑い」とか「痛い」などもストレスの一種です。 たとえば暑いサウナがストレスの原因で「我慢が出来ない」「出る」と言う行動が、ストレスを発散・回避する行動になります。 ストレスが大きくなると、発散・回避の行動も早く大きくなります。 火であぶられると、瞬間的に反応します。 一方、簡単には発散・回避出来ない状態も沢山有ります。 それがご質問の人間関係などです。 たとえばサラリーマンが同僚と飲みに行けば、上司評(概ねは悪口的)が出ないコトは無いと言っても過言じゃないかと思います。 では、全てのサラリーマンが無能で、心が弱いのか?と言うと、そうではなく、将来、社長になる様なヤツでも、会社批判や上司の悪口を言います。 これは、支配・被支配関係に置かれるだけで、被支配側にはストレスが蓄積するからであり、不平不満などを言うのは、そういう関係における自発的な習性と言っても良いです。 たとえ、非常にのんびりとリラックスしている状態であっても、誰かから「その状態で居続けなさい」と命令されたとたん、ストレスに感じてしまうんですよ。 これが子供から冗談で言われたなら、コチラも冗談で「はーい!」とでも言って、何らストレスに感じませんが、もし親とか上司などから言われると、その支配関係がストレスになり、ストレスを感じると反発したくなります。 支配される側をバネとしますと、支配する側は「おもり」です。 支配者が存在した途端に、ストレスを感じますし、支配者を持つ支配される側と言うのは、常に抑圧状態にあります。 更にタチが悪いのは、そもそも支配・被支配の関係には「支配される側は、支配者を選択出来ない」と言う前提があるのです。 支配される側の視点で、反発したくなる支配側の存在を考えてみれば、ご理解戴けると思います。 ご質問文に書かれている親,上司,為政者など、自分で選べないと言う点は、全てに共通します。 ご両親の場合、夫婦関係は対等ですが、この対等を言い換えると、相互に支配・被支配の関係とも言えますね。 お母様の言動が、たとえばお父様に対する文句の様なものであった場合、それはお父様の行動を抑制するストレスであり、それから脱却しようと言うお父様のDVになります。 そのDVは、お母様の言動などの自由を損なう、お父様による支配行動ですから、お母様にとってのストレスになります。 モチロン、ストレスが行動に出易いと言うのは、忍耐強くないワケですから「心が弱い」と考えても差し支えありません。 また、ストレスの回避や緩和は、色んな方法・手段があります。(代表的なのは気分転換など。) その方法・手段を知らない人が、多大にストレスを蓄積したり、頻繁に反発行動をしてしまうのだから、知性面での問題もありますね。 少し言葉は悪いですが・・「頭が悪い」と言っても差し支えないでしょう。 この辺りまでは、非常に正しい考察だと思います。 ただ、あくまで自発的な行動であり、人間も生物である以上、どうしようも有りません。 「悪」とか「罪」は、やや言い過ぎかと思います。 むしろ、質問者さんくらい的確な考察が出来る人なら、お母様に気分転換などを適切にアドバイスしてあげて下さい。 それをしない方が、「悪」とか「罪」だと思いますヨ。 少し余談かも知れませんが、格差社会についても触れますと、ストレスの慢性化でマヒし、反発することさえ放棄した人の「依存状態」が原因の一つではないか?と思います。 ストレスを感じるには、少なくともある程度は自立したバネである必要がありますが、全ての支配などを従順に受け入れて、自分は棒の様な状態になってしまったり、ストレスから逃げ回ってる様な人は、ストレスに鈍感になってしまいますからね。 支配者側が過度に負荷を掛けていることの責任は多大です。 しかしその責任を問えるのも、問題解決に努力するのも、自立しストレスを感じるバネの様な人だけです。 バネであることをやめた人は、強いバネに依存する、ストレス社会のお荷物と言わざるを得ません。 誰もが多くの人のリーダーになる様な強いバネである必要はありませんが、全ての人は、少なくとも自分だけは支えるバネであるべきかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問文の導入として私の過去の事を書きましたが、現在はもうすでに対策を取ってあり、それに悩む事もありません。 彼女と身近に長く接すれば解る事ですが、彼女には何を言っても無意味です。 社長の悪口を言う社員の話もほんの余談のつもりで、格差社会も例の一つとして上げただけ。 私のこの質問の焦点は「バネでなくなった人は全ての責任から逃れ、自分たちがマヒする事によって生じる社会の歪みに対する責任を問われないのか?」 という部分が強いです。 そういう訳で、ストレスについてはあまり論点を置いていません。 言い遅れまして申し訳ありませんでした。 ヒトラーに従って大量虐殺をした人たち。 彼らは「命令に従っただけであって罪は全てヒトラー一人の上にのしかかる」のでしょうか?という趣旨です。 ヒトラーの力とは何でしょう?彼に従った大勢そのものでしょう。 もし彼らのした事が魂の底から無罪なのだとしたら、一体世の中に罪というものは存在するのでしょうか? 連日ニュースで報道されている殺人事件の犯人たち。 彼らの多くだって様々な理由により罪の意識に対するバネを失った人たちでしょう? 更に言うなら、バネで無くなった親に生み育てられた子供たちは、バネの性質そのものを知らずにバネの無い状態を自然だと思い込み、その状態を自分だと考え、バネを持てという事を何か自分の義務以外の余計な事を押し付けられている様に感じはしないでしょうか。 今まさに自分がバネを失っている事によって生じている社会の歪みの被害者を可哀そうだと思いながら見つめる。 もしそれを指摘しようものなら、親の敵のごとく思う知恵も徳も無い人たちが多い、そして現代の政治はその知恵も徳も無い民間人がかなり強い影響力を持っている。 様に見えない事も無いわけです。 ですから、私は見方を誤っているだろうか。 知恵も徳も無いのはお互いさまなのではなく、一方的に私であるが故に知恵も徳も備えている人々の事を理解できずにこのような事を考えているのであろうか? という訳です。 すみません。 せっかくお答えを頂きましたのに、質問の内容を半ば変えた様な運びになってしまいました。 ご気分を害されていなければ、引き続きご意見をお願い致します。
- qqqq1234
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世の中に善悪は存在しない。存在するのは「利害」だけ。 という言葉があります。 暴力が悪なのではなく、暴力をふるわれた人間に害が発生するかどうかでしかない。 質問の件で言うと、母は「暴力という害」よりも「同居という利益」が上回っていたと言えます。 この構図が何らかの理由で崩れ、暴力という害が上回ったときには 離婚するなり被害届を出すなりすることでしょう。 企業でも、悪口を言うことでの「ストレス解消という利益」と「バレたときの害」を自然と考えているはずです。 社長に向かって堂々と悪口を言う人はいませんよね。 要するに、利害の判断を見誤った者が社会における「悪」ということです。
お礼
すみません。 私は「善悪は無い、あるのは利害だけ」という意見に同意しかねます。 善悪の中に利害が含まれる事はあるかもしれません。しかしそれは善悪に付属した付属物であり、善悪の正体では無いと考えるからです。
お礼
多分、怒ってらっしゃるんですよね? 1度目で質問が少し変形してしまった事に関してはその時に既に謝った筈です。 しかも変形であって初めの趣旨から離れた訳ではありません。 初めのご自分の理解から今の理解が変わっている。私ではなくkey00001さんの頭の中が変わっているのではありませんか? そして、「悪口を言いつつ」「ものを言う訳でもない」を矛盾と捕らえるとは。。。 「もの申す」という言葉の意味をご存知ですか? 少し前、自分の理解力が著しく低い自覚が全くなく、相手の表現力不足のせいにしてふんぞり返っている○○な人をたまに見かけました。ネット上で。key00001さんは私に「久しぶり」という感想を抱かせつつあります。 正直私も今は頭が少々参ってしまっているので表現力不足は認めますが、それを踏まえてもkey00001さんの理解力というか日本語語彙の無知とでも言いましょうか、この類いの事を疑います。 陰で悪口を言うが、公にもの申す訳ではない人は沢山います。 一つ一つのやり取りが長いので前文を読み返せと言うつもりはありませんが、少なくとも相手の落ち度を指摘(ではなく糾弾にみえますが)する際にはその指摘が正しいものかどうかその部分だけでも読み返す事をおすすめします。 これをしないで意味不明な反論をする人は面倒なので話したくないのですが、以後改めて頂けますか? ネット上で匿名であり、誰も実害を受けない状況下で自分の落ち度や欠陥を指摘されただけで正気を失う人をたまに見かけますが、人の振り見て我が振り直せと思う瞬間です。 因に今回の一連のやり取り内で私は自分の「至らなさ」は自覚していますが、間違いは自覚していません。 もしあるならもう少し的確に仰って頂けると嬉しいです。 間違いだらけの嫌みしか言えないのならもう止めて頂けませんか? まだ話したいなら改めてください。 私もkey00001さんとの話があまりにすれ違いすぎていて「それは違う」しか言うしかないと、この先に理解の希望が見えればまだ良いですが、単なる嫌みに対する訂正だけだとそろそろ面倒です。 間違いは仕方がありません。でも間違っている上に嫌みが強いと次は無視します。 よろしくお願い致します。