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目くじら立てる人って好かれるんですか?
小さなことで目くじらを立てる人ってどこにでもよくいますが、権力があるわけでもないのに、 だれからも責められず、小さなことで目くじらを立て続けて、存在していられる理由がわかりません。 どうして嫌われないんですか? そもそも、目くじらを立てる攻撃的な人って、一番、接していて嫌いな性格だと思うのですが、 一般的にはそうではないのですか? よろしくおねがいします。
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トゲトゲしている人の事ですね。 他人はマシンガンで撃つし、指摘されたらそれも強大な防壁で跳ね返し、お返しに手榴弾まで投げて来る。そう言う人の的になりやすいのは、その人より少し上か同じか下の人。 自信が無く、不平不満の固まり。それが、遺産が入ったり恋人が出来た途端に手の平を返したように優しくなったりして。 たいていは年齢が上がると苦労を重ねてトゲが丸くすり切れてくるのですが、逆に年齢が上がるとフラストレーションの度合いが上がる人もいます。 その場合、普段は人がいいのにブチ切れたり。なんでここで怒るのかわからないのに、一人で沸騰しているのは、一種のアレルギーじゃないかな、と思います。自分がそうだから周りを観察してると、空気の悪化「香水・殺虫剤・排気ガス・煙草」の直後にイライラし始める。 業務上で初対面なのに攻撃的な人を見ると、昨晩奥さんとケンカしたとか個人の事情だと思います。まず、自分のせいではないので気にしない事にしてます。 あまりトゲや攻撃がひどいと、まだ人間になれなくて損してるな、と思います。好き嫌いでは嫌いです、はい。
>>そういう場合の、許容の基準というのは、なんとなくではなく、客観的に妥当な基準で判断された、ということなのでしょうか。 ある事象や言動に対して、受け取る側が何処まで我慢できる範囲か、というのは判断基準自体が個人レベルなので、客観ではなく主観ですね。 なので、周りから見て「そこまで感情をあらわにしなくても」と思われる場合もありますし、逆に「なぜそこまでされて何も言わないのか」と野次られることもあるかと思います。 忍耐の限度(許容)を越えた多くの場合、抑えこんでいた反動による感情の噴出が著しくなり、怒りあらわになるとしたら、冷静な判断基準としての計測は困難かと察します。 そもそも「目くじらを立てる」「嫌う」という言動自体が、感情要因だと思いますので。 個人許容範囲における理性的判断としては、「敬遠」程度で留めておけるかと。
多分その人は、家庭関係に問題がある人か知的に問題がある人でしょう。 普通ならば初対面でそれをやってしまえば、もう終わりだと思います。 よほどテレビで放送されるくらい有名でしかも非常に高い能力がない限り、駄目だと思います。 目くじらを立てるというのは「お前とは関わりたくない」という意思表示であると思います。
- cucumber-y
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目くじらを立てる人=間違っていることをはっきり間違っていると言う人 攻撃的な人=歯に衣着せずモノを言える人 権力が無いということは相手によって柔らかく言ったり、言わなかったりではないということですね。 本人が「小さなこと」と思って発言したことでも、誰かを深く傷つけていることもあります。 人の顔色窺ったり、相手が権力者であれば看過したりするよりも私は好みます。 向上心を持った人なら間違いを指摘された時に「目くじら立てて」等と自分の間違えをなんとか正当化しようとする卑しい考え方はしないでしょう。
No.2です。 補足、ありがとうございました。 >主体性の無い日本人、多くの日本人が、だれの意向に賛同すれば自分の得か、を判断基準にしているということがあるのですか? 具体体を書けば良いのでしょうか? たとえば、あの小泉首相の郵政解散選挙がそうですが、どちらか一方が有利となると、雪崩現象を起こすことです。 日本では、よくあることです。 そして、具体的な方策(政策)よりも、「良い人/悪い人」で判断しようとするのも、特徴です。 一度「悪い人」のレッテルが貼られてしまえば、そんな人の支持をするなんて、余程のことがない限り自分が得をすることはないですからね。 今で言えば「小沢氏」でしょうか。 >そんな現実があるとしたら、主体性が無さすぎに思えました。 そう思ってみていると、いろいろとありますよ。 テレビなど見ていても、コメンテーターはみんな決まって批判ばかり、その批判の方向もほとんどみんな同じです。 酷いのになると「私は基本的に賛成だが、あえて苦言を呈すれば・・・」と、とうとうと批判するのも良くあることです。 そして、感情論だと「国民感情を・・・」みたいに、持論をみんなの意見かのように言うのも、当たり前です。 >世の中が、そんな人ばかりだったら、ばかみたいで嫌ですよね。 はい、(日本人は)そうだと思います。
- UTwTU
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補足にありました、表に出さない場合と、表に出す場合の、違いについてですが、 基本的には表に出さず穏便にすますのが日本人の体質ではないかと思います。 嫌っているということが相手に伝われば相手との関係が壊れる可能性が高いですから。 嫌いだと態度で示された相手を好きで居られるかといえば難しいでしょう。 嫌いな相手と円滑に社会生活を送るには表に出さないことが望ましいです。 表に出す場合は、相手との関係が破綻してしまってもかまわないと考えている場合や、所謂忍耐の限界の場合でしょうか。 前者は例えば友人や家族だが、絶縁する、といった場合、相手との今後の関係を考えるまでも無いですし、むしろ表に出すことで相手が変わってくれれば好都合です。 後者は大体が感情的になっている状態だと思いますので、その基準は人の怒りやすさの沸点に依存するものだと思います。
>>人に嫌われていて、人がそれを表に出す場合もあると思います。 表に出さない場合と、表に出す場合の、違いは何でしょうか? 忍耐の許容なのでは。 ちなみに私の許容は低いので、職場でもあからさまに嫌悪します。 あるいは、相手側が限度を超えた場合。
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ありがとうございます。 回答を拝見させていただいて、新しい疑問が湧いたのですが。 そういう場合の、許容の基準というのは、なんとなくではなく、客観的に妥当な基準で判断された、ということなのでしょうか。 よろしくおねがいします。
何に対して、あるいは誰に対して目くじらを立てるかによると思います。 たとえば、今であれば菅首相に目くじらを立てる人を批判するには、かなり勇気がいります。 (「俺は被災者の立場で批判しているのに」って絶対に言われますから) 基本的に日本人には「(自分が)良い人だから堂々と、(悪い人を)批判できる」という考え方があります。 また「俺を敵に回すと怖いぞ」と思わせられる人も、カリスマ性があると高く評価される傾向が強いです。 結局、主体性の無い日本人、自分が誰の意見に賛同すれば自分の得となるか、ばかりを探し求めているから、こんな風になってしまうのだと思います。
補足
ありがとうございます。 回答を拝見して、新しく疑問が湧いたのですが。 主体性の無い日本人、多くの日本人が、だれの意向に賛同すれば自分の得か、を判断基準にしているということがあるのですか? そんな現実があるとしたら、主体性が無さすぎに思えました。 世の中が、そんな人ばかりだったら、ばかみたいで嫌ですよね。
- UTwTU
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実は嫌われているけれど、誰も表に出してないだけではないのでしょうか? 小さなことで目くじらをたてる、以外にも色々あって嫌いな人が一人職場にいますが、「凄く仲がいいよね」といわれたことがあります。 その人は目くじらを立てすぎて仕事の相手にもキレられたりしているので、色々な人に嫌われているのではないかと思ったりします。 少々嫌われても存在し続けられるものですよ、人間。
補足
どうもありがとうございます。 回答をみて新たな疑問が湧き、質問したいと思ったのですが。 人に嫌われていて、人がそれを表に出す場合もあると思います。 表に出さない場合と、表に出す場合の、違いは何でしょうか? よろしくおねがいします。
補足
どうもありがとうございます。 目くじらを立てる人は、どこにでもいるんですが、有名でもないです、非常に高い能力も無いです。 家庭関係はわからないですが、なんとなく知的に問題があるというほうに思います。 自分の本音の負の感情を頼まれても無いのに人前で出す、という意味で、知性が低い、 ということなのでしょうか? たとえば、相手に非がある場合は、感情的な態度を示してもよい、という意見もありました。 目くじらを立てるなりの理由が相手にあれば、それは正しい行動となるんでしょうか。 意思表示ということなんですね、そういう意思表示をされた場合、関わらないようにします。 ありがとうございます。