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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:中学卒業式後、受験校を皆の前で発表しましたが???)

中学卒業式後、受験校を皆の前で発表しましたが???

このQ&Aのポイント
  • 我が子の中学卒業式後、学級で受験校を発表することになりましたが、親としては戸惑いを感じました。
  • 担任の先生が子供たちに受験校を発表させることについて疑問を抱いた親の声があります。
  • 子供の進路を知られたくないと思っていた親は、学級で全員の進路を聞かされることに腹が立ちました。

質問者が選んだベストアンサー

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  • sarahbeeze
  • ベストアンサー率35% (379/1072)
回答No.3

元校長です。 それは、進路公開といって、日教組がつよいところではよく行われていた中学校の取り組みです。現在では、間違った取り組みとして総括されています。 進路を公開することで、クラスのみんながひとつになる、という組合教師の単純な思い込みから始まったものです。 私の勤務していたところでは、10年くらい前から、委員会の指導もありそういう取り組みはなくなりました。 進路はプライバシーに属することでもあり、言いたくない子どもにはその権利を認めなければなりません。それを強制的に言わせるわけですので、人権を無視しています。 若い担任ということですが、おそらく年配の教師からそういうことを聞いて実際にやったんでしょうね。私も腹立たしく思います。今でもまだやっているところがあるのかと。 このことは、ぜひ校長の耳には入れておかれたらどうですか。この取り組みはその担任だけの思いつきとも思えず、学校の教師の間で文化として残っていることも考えられます。 次の卒業式では、同じことをしようという人が出ても不思議ではありませんから。

mayutti
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 なぜこのようなことが起こったのか、疑問点が解けました。 学校に報告すべきだったと思いました。

その他の回答 (8)

回答No.9

法律家としての意見を言えば、進路は憲法13条で保護の対象となり得るプライバシーといえるので、それを公にすることを強制することは、法的に問題があります。 ただ、ひとりの社会人としての意見は、No.6さんと同じです。 私は、副業で、20~30歳くらいの引きこもり等のサポートも行っております。一部の現代の若者の苦悩を目の当たりにしています。 若い時に、守られ過ぎて、苦しみ、挫折、不条理、無力さを経験できなかった若者が、一人で生きてゆけると勘違いし、結局は、本人が悲惨な末路を辿ることになる。 子供が、成人し、社会に出来ない時になって、はじめて親は気付きます。成人した子供は、法的に親が守れないことを。 質問から外れていまいました。 私が教師だったら、問題を避けて、このような卒業式?はしませんね。 もちろん、教え子の将来のためではなく、親からのクレームに対応するのが面倒だからです。

mayutti
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 法的に問題アリがわかって、納得でき、すっとしました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.8

 何か釈然としません。その教師にとっては「教員生活最後の卒業式」という思いが先走ってしまったのでしょうね。  「私が過ごしたこの学校ともこれでお別れ」として卒業式の本来の主役である「生徒」の巣立ちを祝福することを何処かに置き忘れ、一人悦に入っていたのでしょう。  生徒にとってこれからは一人一人の進む道も異なります。家族の都合で地方に転勤となり地元を離れざるを得ない生徒もいれば、志を叶えることも叶わずに別の道を選択せざるを得ない生徒もいます。ましてや公立高校の合格発表の前日であれば今後の進路も定まらずに不安な気持ちでいる生徒もいるはずです。  ですからその人物が卒業式後の教室で生徒や父兄を前にして先ず発すべき言葉は「皆さん、今日は私から話したいことがあります」といって自らか職を退くこと自ら話し、同時に「皆さんが卒業後にここを訪ねても私はいません。皆さんの話を聴くこともできません。ですから先ず一言、謝らせてください」と自らを吐露すべきだったと私は思います。中にはその教員を慕っていた生徒がいる可能性もあります。そうした生徒の気持ちすらも踏みにじる行為にもあたると思われます。  学卒後直ちに職場に入っても僅か数年の時間しか過ぎていません。そんな安易な気持ちで教育の道を志されたのではとてもではありませんが、堪ったモノではないというのが私の本音です。親業ならば子供を育てるのは一生の仕事です。教師とても同様です。職場に入り、規格外の現実と向き合い模索格闘し、自らも親業を兼業していきます。恐らくその先生が親となった時に初めて「自らが生徒にしてきたこと」の重さを知ることと私は考えます。でもその先生にとっての教員生活も「自分の華やかな青春の1ページ」としか映っていないのであれば、自省など求めることも困難です。  私は中学ではなく、大学で特任教授を務めさせていただいておりますが、同じ教育に携わる者としてはこうしたアダルト・チルドレン(自らが未だ幼いことを理解していない物の考え方)をする人がいることは残念の一言に尽きます。少なくとも「進路」を一人一人発表させることは必要があるとは思われません。むしろ「一人一人に言葉を掛けて送り出す」ことが求められて然るべきだったと思われます。

mayutti
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 一人ひとりに言葉をかけて送り出すことはされていましたが、進路を発表させることに、「他言しないでください」など不満を述べる生徒もいたので、どんなにまとまって素晴らしいクラスであったにしても、してはいけない事だったんじゃないかなと、今さらながら思います。 教員生活を終えることも、伝えてほしかったと思います。

noname#137270
noname#137270
回答No.7

時代がちがいますが、ひとこと。。。 卒業する以前、受験する際にまず誰がどこの高校を受験するのかがわかりました。 わたしの住んでいたところは、独特の高校入試でした。 小学校の学区がXとすると、普通科ならY高校という具合に決まっていました。 ですから、公立の普通科高校へは、中学校の1/3の生徒が進学していました。 また、私立高校を滑りどめに受験するにも、前日に皆の前で注意事項の説明がありましたので、同じクラスで誰が受験するのかもわかりました。 中学は1学年12クラスあり、生徒数500人程度でした。 私立に進学した生徒はともかく、公立高校の普通科であれば、同じ高校でした。 バラバラになった生徒もいたものの、3分の1は同じ高校でした。

mayutti
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • maxvoice
  • ベストアンサー率9% (1/11)
回答No.6

なかなか厳しい意見も多いですね。 その先生のやり方はおかしいけれど、ちょっとはわからないことでもありません。 みなさん、自分の育った時代背景で物事を判断されますが、昭和の40年代頃って クラス替えがあったら、すぐに同級生名簿が配布され、そこには住所や出身学校 (高校ならば出身中学が)どころか親の勤務先まできさいされていたこともありました。 でもその時代の人たちは、それが当然のことだったし、同窓会をやるときも みんなすぐに連絡がとりあえた時代でした。 やれ権利意識が、プライバシーが主張されますが、一番の弊害はこういった情報が 悪用される時代になったことです。 こんな時代に育った親の人たちならば、子供に対して友達の誰々どこに住んでいるの?と 聞いても「家の住所までは知らない」なんて回答に、時々時代が違うと感じたことが 多いのでは? テレビの有名教育評論家たちが、青少年の凶暴犯罪や、子供たちの誘拐殺人事件などが 起きるたびに、地域のコミュニケーションが必要だ、なんて綺麗ごとばかり説いているけど、 この同窓会名簿にしても、今回の先生の質問は極端すぎるとはいえ、こういった案件に 対して世代をこえた議論がおこなわれることはありません。 3年間、同じ机で勉強した人間の進路を同級生さえ知らない時代に、 地域のコミュニケーションなんてとれるわけないだろと言いたい。 そりゃあ平成に生まれた学生は、同窓会名簿などはもってのほか、 入社面接でも履歴書み家族欄の記載がある会社など受けないと、このようなことに対しては 拒否反応が非常に強いです。 家族関係なども人間形成をするうえでは結構大切だし、その人、その人を知る上では採用するときでも いろんな要素の一つになると思うのだけれど。 一刀両断で否定するのもおかしいと思うけれど、今の時代は拒否反応が強いです。 でも、なんでもかんでも個人主義の時代になっていく。 それもまた恐ろしいことだと思うけれど。 先日、小学校の校庭が雑草だらけで、子供たちがかわいそうだと自治会からボランティアで 清掃を頼まれてきたが、若い夫婦ほど、ああだ、こうだと文句を言う人が多かった。 文句の一つの例として、お年寄りたちはゲートボールで校庭を借りているから清掃は当然だ。 私達には何の関係もないからやる必要などないいう主張でした。 何で子供たちのことを考えて小学校を綺麗にしようという呼びかけが、このように文句を 言われなけらばならないのかなと。 また別の事例では、自分が契約している駐車場の位置が、近所のおばあちゃん達の世間話の場に なっているのが気に入らないらしく、自治会に文句を言ってきた主婦がいたけれど、 「おばあちゃんたち、今日も元気だね、何の話? せっかく話が盛り上がっていて悪いのだけれど 車バックで入れるから気をつけてね」の一言で済ませることができると思うのだけれど。 これも契約料金は私が払っているから、私の持ち物、そこでの世間話など絶対に許せない。 法律的には正しい主張なのだけれど、単にそういう考えだけで済ましていい事なのかどうか。 人間関係が希薄になっているなら、近所で凶悪事件が起きても仕方がないし、 権利意識ばかりが重要視されているが、人間関係の大切さのほうが忘れられ去られている気 がする。 この質問と回答を読んだときに、表と裏の関係のようなものだと思いました。 友達の進路さえわからない、どこへいったのかもわからなければ人間関係の つながりなど深まらない。 ごく一部の親しい人間ならばメル友などで繋がっているという意見もあるけれど、 嫌いな人間、自分と合わない人間ならば同級生でも知らん顔、無関心となっている。 私の意見に批判も多いと思うが、こういう日本の社会になってきたことのほうが もっと寒寒とする気がするけれど。 バイクでひったくりをする若者は、お年寄りだろうが顔が見えないから罪悪感を 感じないと言っていたり、そしてその事はすぐに家庭の教育の問題ですまされるけれど、 他人のことに関心がなければ(他人の痛みがわからなければ)、こういった凶悪犯罪などは 解決しない。 個人情報が悪用される時代になったこと自体がいけないのだけれれど、といって、この先生の やり方が肯定されるべきことではないのは分かるけれど、 私の時代は高校の同級生(1クラス45人くらい)全員の進路は、全員が共有し知っていた。 進学高校だったので、3分の1くらいは予備校名が書いてあったけれど、別に何とも思わなかった (現に私も代々木って書いたし。 大学に通っている奴からも会えば頑張れよって言われて 嬉しかったし) またそれが当然の時代であったので、あまり違和感は感じないのだけれど。 まあ昭和の古き良き時代の話なのですがね。

mayutti
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3074)
回答No.5

 将来の夢くらいは言っても良いと思いますが、高校名はどうかと思います。  私が中学生の時に高校名を言うような事はありませんでしたが、言わないといけない状況になったら大変な事になっていたのは間違いないと思います。  クラスには受験した高校が全て不合格になり、二次募集の可能性にかけるしか無い状況に追い詰められている友人がいました。他にも家庭の事情で行きたい高校へ行かれなくなった人もいました。  幸いにも私の担任はその点の気配りができる人でしたので、傷ついた生徒を苦しめる事はしませんでした。  人それぞれに事情があり、言いたくない生徒がいる事を予測できなかったとすれば、担任として配慮が欠けると思います。  当の本人は間違いに気付いていない可能性もありますので、言うべき事は言った方が良かったと思います。

mayutti
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。

noname#220293
noname#220293
回答No.4

>でも担任が、「皆バラバラになり、どこに通うのかもわからないまま別れるのはいやでしょう?」みたいなことを話し、 昔あった青春ドラマを彷彿とさせる出来事です。 担任本人は 「ああ、良いことをした。自分の思い通りに生徒は動いてくれた」 と、主役を演じきって、自己陶酔していたのかも知れません。熱血ドラマの主人公になったすがすがしい気持ちでいたのかも知れません。 >担任が、「皆バラバラになり、どこに通うのかもわからないまま別れるのはいやでしょう?」みたいなことを話し、 「みんな、離ればなれでも、気持ちはひとつだよ。なあ、そうだろう」 みたいなクサイ台詞を言ったのでしょう。青春ドラマや青春映画を日頃見ていたのかもしれません。そして、教師とはこうあるべきと自分なりの理想像を作り上げていたのかも知れません。生徒たちには迷惑だったと思います。 今も社会生活の中のあちらこちらで、青春まっただ中を演じているかも知れません。 >担任は20代後半の若い先生で将来ある身なんだし、、、と思い始め、 生徒個人のプライバシーにかかわってくる出来事なのですが、若い世代の先生がそれに気がつかないというのは意外な気がしています。 このサイトでもときどき一部の先生に対して、世間知らずのお坊ちゃん、お嬢ちゃんという意見が出ますが、そうかも知れません。 つまり 「そのときの、一人ひとりの生徒の立場に立ったらどうか」 と自分を置きかえてみる視点が欠けています。 楽しい思い出を生徒たちに言わせ、青春ドラマを演じきった先生です。今の生徒たちは、そういう先生に合わせることができます。 「仕方がない、つき合ってやるか」 です。知らぬは担任ばかりと言うことです。

mayutti
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 この一件で卒業式の感動も吹っ飛んでしまいました。

回答No.2

私もおかしいと思いますよ。 そもそも高校にいかない子がいてもおかしくない状況ですしね。 幸い子供さんがそこまで気にしていないようですし この問題はこれ以上深く考えなくても良いのではないでしょうか。 責任をとってもらえないのかと書かれていますが 責任問題に発展するほどのことではないですし。

  • Pochi67
  • ベストアンサー率34% (582/1706)
回答No.1

 合格発表が卒業式の後なのは気遣って云々の問題かどうかは知りませんが…私はおかしいと思いますよ。  受験校のレベルも、実際その高校に通えるかどうかもわからないという点もありますが、高校に進学しない人もいるという点から考えれば、進路を発表させるというのは一般的ではないでしょうね。  進学したくても経済的理由等で就職せざるを得なかった生徒にとっては、惨めで悲しい思いをするに違いありません。  そういう生徒がいなかったとしても、いた場合には出来ないようなことをするのはおかしいですよね。  そもそも、誰がどこに行くか知りたいと思えば、直接会話をして聞けば良いことです。  話をする気もない相手の進学先なんて、知っても仕方ないじゃないですか。  内気で聞き出せない生徒の為に、多数の生徒が恥ずかしい思いをするのは間違っている気がします。

mayutti
質問者

お礼

ありがとうございました。 私もそう思います。私たちの時から公表してなかったのに、今、個人情報云々とうるさい時なのに、 発表させることに驚き、ずっと疑問でした。

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