DCCは本当に生き残るすべはなかったのか?IV
http://okwave.jp/qa6926507.html 等で質問しましたが、視点をもう少し変えて質問します。
MDのライバルとして登場したDCCは、アナログカセットとの互換性を重視したのが売りでしたが、ニッチ市場にも残れず消え去ってしまいました。
今までの質問では、生き残れなくて当然の理由が多数あげられましたが、当方はそれでも以下の理由からいまだに納得できかねる部分が残るのも事実です。
イ:MDはDCCよりコストダウンがしにくいと言われたこと。MDの光磁気ディスクはPC用を転用したものだが、当時はPC普及率の低さなどから技術も未熟で、量産もしにくいと言われていました。一方DCCはこれまでのアナログカセットの実績があり、安く作れるとしていました。
ロ:海外ではMDもあまり普及しなかったこと。海外ではカセット人気の落ち込みが日本ほどではなく、途上国ではCDの操作性がほとんど理解してもらえなかった地域もあったので、従来のアナログカセットに押されてMDが普及しなかったのではないかという考えもあり、このことから海外では「ディスクよりテープ」という考えが根強かったのではないかと思います。むしろ、海外ではDCCがMDを凌駕していたのではないかという考えも出ています。
ハ:楽なものが普及するとは限らないこと。CDも最初期はなじみがあったレコードに押されて苦戦しており、新しいものよりもなじみのあるほうを選択する可能性も考えられました。そうなれば、互換性のあるDCCが有利になります。
ニ:テープ方式ということが普及の阻害になるとは限らないこと。VHSやアナログカセットへは根強い需要があり、DATも普及したとは言い難いもののDCCよりは売れました。
ホ:ソフト手作りならMD・DCCは両立できるという観測があったこと。かつてのVHS・ベータ戦争でのベータ敗退はレンタルビデオ業界がVHSにコミットしたことも理由とされた一方、MD・DCCでは「CDからダビングするためのメディア」として認識されたことでソフトがあまり売れなかったので、パッケージソフトの少ない両規格は両立できたのではないかと思います。
ヘ:発売当初にDCCゼネラルオーディオがなかったこと。1号機を単品デッキではなく、ポータブルやラジカセを出していればよかったのではないかと思います。
ト:MDサイドにも問題がなかったとは言えないこと。ポータブルMD初号機はポータブルとは名ばかりの大きさと重さがあり、MDシステムにもCDプレーヤーがなかったなど、問題点も散見されました。
チ:音質上の問題。MDは最初期は音質がDCCにくらべてイマイチで、普及の足かせになったとさえされています。DCCはMDより音質が良く、海外ではこちらのほうが主流になっていたのではないかという推測さえあります。
これらをもってしても生き残るすべがなかったのはなぜでしょうか?
また、当方の推論にはどこに見込み違いがあるのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 DCCの存在を知ったのは今から4年ぐらい前ですが、実物の写真を見たのは去年に入ってからです。なので、DCCについてはほとんど知らない状況です。 もし当時オーディオに詳しかったら、間違いなく「MDに残ってもらいたい。しかしDCCも消えないで欲しい」と思いました。 それだけに、もっとDCCも…と思います。 ※ポータブルでも録音できるものは編集も出来ますよ(^_^)
補足
ポータブルMD1号機であるMZ-1ですが、大きさが11.4cmX4.3cmX13.9cmと相当大きく、重量も690gと今のプレーヤーの約10倍もあり、価格も約8万と今のポータブルレコーダーの倍ぐらいしていたにもかかわらず、かなりの人気を集めたそうです。 もしかしたら、DCCも92年中にポータブルレコーダーを発売していれば…と思います。