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昔のPC事情とは?1984年頃のPCの話
- 1984年頃のPC事情とは?中学生の頃、先輩の部屋でプレイしたPCゲームの思い出。
- 当時、PCはまだ一般的ではなく、ゲームは主にファミコンやゲームセンターで楽しまれていた時代。
- 先輩はプログラムを1000行以上も打ち込んでゲームを作っており、当時のPC版ゲームは珍しかった。
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コンピューターの補助記憶媒体としてのテープは昔から使われてます。 今でもテープ媒体は使われてますよ。カセットテープではありませんが、リールタイプのモノとかDAT、LTOなど様々なタイプがあり、サーバーのバックアップで使用しています。 一部の公共機関ではデータ交換にテープを使用していたりもします。 当時、パーソナルコンピューターでフロッピィは業務用で高嶺の花。 5.25インチのフロッピィも10枚入りのモノで1万円とかした時代もあります。 シャープのMZ-80BなどMZシリーズは本体とモニター、データレコーダが一体になった当時のパソコンの代表格でもありました。 http://homepage3.nifty.com/mzakd/mzcatarog/mzcl80b.html パソコンでゲームと言ったら私はシャープのX68000を思い出します。 初代X68000にはアーケードゲームで一世を風靡した「グラディウス」がついてきました。再現度もかなり高くアーケードの裏技もほぼそのまま使え、グラフィックもサウンドも最高クラス。 その当時はパソコン雑誌も沢山ありましたね。 老舗のベーマガからOh!PCやコンプティーク等々。 投稿プログラムがソースで掲載されそれを打ち込んで遊んだりもしてました。言語もBASICだったら機械語だったり結構バリエーション豊富。 パソコン用ゲームはテープでも売られてましたよ。 やったことはありませんが結構話題になりました。 http://www.retropc.net/fm-7/museum/softhouse/koei/140002600.html 光栄の信長の野望(PC-88版)なんかはBASICで作られていたみたいで、ゲーム中Breakキーを押すとプロンプトが出て変数の値を書き換えて再実行すると兵糧が増えたりと悪い事して遊びました(笑)
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- dezimac
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その頃のPC-88やX1、MSXとかの家庭向けマシンだとまだカセットテープも健在と言うか主流の時代ですね。 データの記録に使うのは極普通の音楽用のカセットテープ&レコーダーです。 マイコン(当時はまだパソコン(PC)と呼ばずにこう呼んでいた)にはカセットテープ用の専用インターフェイスがあり、そこにレコーダーを接続していました。 FDDとかのようにカセットデッキを内臓したマシンもありました。 基本的には10年以上前まではネット接続で主流だったFAXモデムと同じような仕組みで、データを「ピーガーゴロゴロ」とか「キュルルル」といった感じの人の耳には雑音にしか聞こえない音(アナログデータ)に変換してテープに記録していました。 機種によって転送速度が違い音の高低である程度判別できた(笑) 読み書きには数分を要しました。 主な言語はBASICで、本体ROMに入っていたBASICで全てをこなしていたようなものです。 DOSもあったけど、今のようなOSとは雲泥の差。 マイコンBASICマガジン等の投稿プログラム等を打ち込んでは楽しんだものです。 BASICも機種ごとの方言が激しかったから、それように書き直し(移植)も多かったし。 こちらで当時の貴重なマシンの数々が見れます。 http://www.toragiku.com/kopa.htm
お礼
パソコンをマイコン、ん、そういえは、「太陽にほえろ」のマイコン刑事、思い出しました。回答ありがとうございました。
- linea13
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前の方とダブルかもしれませんが、参考にしてください。 私は昭和54年ごろのNEC製PC8001からのユーザーですが、当時のパソコンにはカセットインターフェイスというものが内蔵されていてカセットテープにラインをつなぐことでデータの保存、読み込みを行っていました。ラインには録音用、読込用とカセットレコーダー制御用の3本で結ばれ、パソコン側からCLOAD、CSAVEとかいうコマンドで読み書きを行っていました。 PC8801mkIIシリーズあたりから5インチフロピィディスクドライブ(FDD)がパソコン本体に内蔵されたものが出てきましたが、PC8001はもちろん、PC8801もFDDは20万以上もする高価な装置を別に購入する必要がありました。 カセットテープを外部記憶媒体とするのは安価ではありますが、データの保存や読み込みに要する時間は短くて5分とか長いと10分以上になることもありました。 しかもパソコンとカセットテープレコーダーとの相性が悪いとエラーとなり、もう少しで終わるところだったのに、また最初から読み込みをやり直すなど、今ではとても考えられないような状況でした。 このような状況でパソコンでゲームをするときは、高価なカセットテープのゲームを購入するか、またはアスキーやI/Oなどの雑誌で発表されたゲームのプログラムを手で打ち込んで楽しむしかありませんでした。ゲーム用のプログラムはスピードを必要としないものならば、ベーシックでも可能ですが、早い動きのものはベーシックでは無理で、ベーシック以外にマシン語という16進法の2桁のコードを何ページにもわたって打ち込んでいくという結構過酷なものでした。 アスキーでは256文字以内のBASIC言語での1ラインプログラムを募集して優秀作を発表していましたが、これなどは短くて結構楽しめました。 なお、蛇足ですが雑誌で付録として最初に5.25インチのFDを付けはじめたのは月刊アスキーで、確か平成元年のころだったと思います。まだインターネットはありませんが、パソコンにつなげたモデムから電話回線を介してデータのやり取りを行うパソコン通信が本格的に始まったのも昭和の末期だったと思います。
お礼
FDD が当時はそんなに高価だったのですね。 ゲームするのも相当は苦労が、でも苦労の末、出来上がったゲームが動いたら凄く感動したでしょうね。今では得られないものが、得られたことでしょう。回答ありがとうございました。
- Frozen_
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あらかたの内容は先の方が書かれましたので割愛して、1984年だとPC9801Mが出た時代です。確かに5インチのFDDでした。石は086の8MHz位じゃなかったでしょうか?カセットデッキは次第に少なくなって、8インチや5インチのFDDが主体になってきましたね。HDDもありましたが普及するのはPC9801-VXが登場してからですね。 当時このVX-21は本体40万円、モニタは16色表示で40万円位でした。HDDは1メガ1万円の時代で40Mbの物が40万円の時代でした。そして石は286の10MHzメモリは標準で2メガ位でして、それに2メガ増設してなんとかウィンドウズ3.1がインストールできたそうです。 まあそんな状況でしたから、インターネットや動画などということは思いも寄らない時代でした。なんせ25年以上昔の話です。
お礼
40M、40万。まさに超高級ディバイスですね。
- Lescault
- ベストアンサー率40% (947/2331)
こんにちは。 はい、あの当時はカセットデープを記憶媒体とするのもかなり普通でしたね。 フロッピーディスクもカセットテープも磁気情報としてデータを記録するという原理は同じなので、カセットテープの利用も可能だったわけです。カセットレコーダのイヤホン端子⇒PCのデータ読み込み用端子をケーブルで接続して使ってましたね。但しカセットテープへの記録密度はフロッピーディスクよりかなり低いこと、またご承知のとおりカセットテープでは信号を素早く探すことはまず無理なので、目的データの呼び出しに時間がかかったり大変でしたね。ほんと、フロッピーディスクはすごい媒体、ハードディスクにいたっては光り輝く超高級デバイスだと思ってました(笑。 それでもお金が無い私や友人たちはカセットを使ってましたが、再生するレコーダーや再生音量によっては上手くデータを読み込めなかったり、もう大変でした(苦笑。 こんな感じでしたね。 お役に立てば幸いです。
お礼
記憶メディア‐カセットテープ。フロッピーがそんな位置づけでしたか。1つのゲーム読み込みで5分以上かかってたと思います。 データ読み込みも苦労があったのですね。当時の情報ありがとうございました。
- frown_knight
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当時からちゃんと市販のゲームソフトはありました。これはBASICだったりマシン語だったりさまざま。 その一方、パソコン雑誌には読者が投稿したゲームのソースコードが掲載され、それを手入力していったものです。ほとんどがBASICによるものでした。 当時のPCはデータレコーダーの接続口が標準で付いており、専用ケーブルを使ってデータレコーダーなり、一般のテープレコーダーにつないでいました。
お礼
当時の貴重な情報ありがたいです。PC‐カセットデッキつなぐのは標準仕様だったのですね。早速の回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございました。 ベストアンサー決定です。