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悲と喜に関する思い出
ひょんなことから、 「悲」の要素が私の中にないことに気づきました。 この際 喜怒哀楽に関する要素がどれだけ出てくるか考えようと思って、ひたすら考えたら「喜」に関しても、あまり要素がありませんでした。 悲しかった経験がなかったはずはないのに、悲しい要素が全部抜け落ちてるというか…うまく言えませんが。 それについて深く考えすぎて 手に負えないので、皆さんの意見というか、考えを聞きたいです。
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noname#250876
回答No.2
親しい人が亡くなったら、とか思ってしまうだけで悲しくはないですか? とことんまで自分のことしか考えられない人は、思いやりとか他者への共感が薄くて悲しいという感情を持たないと聞いたことがありますが、そういう人は自覚しないでしょうから、質問者さんは違うと思います。 過去に、悲しすぎる体験をしていて、もしかしたら悲しみを感じるセンサーを自分で封じてしまっているのかもしれませんね。
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- hiro822
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回答No.1
悲がないのはいいことですね。 でも、そう単純なものでもない。 人は忘れる生き物なので、忘れたほうが楽に生きることができる悲に、 思い出のが少なくなる可能性はありますね。 あと、悲は受け入れるのが嫌だから、感じてはいるけど意識の上になくて、 無意識の中にある可能性はあります。この場合は、後で厄介。 喜も少ないのであれば、リスクをとっていない可能性はあります。 喜を求めるから、悲があるわけで、 喜を求めない、つまりリスクを恐れていると、悲は必然的に少なくなると思います。 それでは内容の濃い人生にはなりにくいと思います。
質問者
お礼
喜を求めないと、悲は必然的に少なくなる…確かにその通りですね。 受動的に生きてる面があるので、それが影響してるのかもしれません。 ありがとうございました。
お礼
自分のことしか考えられない人は、悲しいという感情を持たない… そうですね、相手がいてこその感情ですし。 悲しみのセンサー、確かに封じてるかもしれません。 ありがとうございました。