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山本太郎さんの生き方に関心はありますか?
- 山本太郎さんが事務所を辞めて原発反対組織に参加し、大きな集団に対抗し独自の生き方を貫く姿勢は、何かを思っているのか理解できませんが、かっこいいと思います。
- 彼が放射線などに反発する理由は理解できませんが、私自身は被爆の恐ろしさを知らないため、彼の考え方を漠然と思います。
- 彼が安定した仕事を捨てて勝てない相手に反抗する姿勢は、リスクを冒してでも自分を貫く生き方であり、かっこいいと思います。
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質問者が選んだベストアンサー
勇気のある人だと思います。 それと同時に。 ああいう、顔を売って商売している立場であることを考えると 無謀な人だとも思います。
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No.3です。 質問の趣旨とは違い、済みません。 「忌野清志郎」氏の話が出ていますが、当時忌野清志郎氏自身が、その歌だけが話題になることを望んでおらず「もっと俺の他の曲も話題にしてくれ」とむしろ怒っていましたので、それほど確固たる主義主張があって述べたのではないと思います。 日本の場合、「他人を褒められる人ほど良い人」みたいな風潮があり、際限なく褒めようとしますが、そう考えれば当人(忌野清志郎氏)が亡くなってからの方がむしろ、美化され誇大評価になっているような気がします。 死人に口なしですから、利用できるものは何でも自分のために利用しようと思っているのでしょう。
- localtombi
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業界の掟として、“我が身がかわいかったら、不用意にタブーに足を突っ込むな”というのがあったとしたら、彼は自ら足を突っ込みに行ったんでしょうね。 知らずに足を突っ込んでしまった北野誠は、しばらく底なし沼でもがいていました。 今回は個人の思想や信条に関わる部分ですから、それをおおっぴらにしたにもかかわらず相変わらず番組などで露出していたら、スポンサーや視聴者など各方面から、あらぬ疑いや攻撃・非難を受けるだろうということで、局が自己都合で抑制して降番ということかも知れません。 忌野清志郎氏がかつて、「君が代」をパンクロック風にアレンジして歌ったことで発売中止騒動が起きました。また反原発ソングを歌っていましたが、彼が亡くなってこういう事故が起きた今では、また人気が出てきています。 結局のところ、(たとえ演出にせよ)唯我独尊的な路線で突き進んで権力に迎合することなく信念を貫き通す姿勢は、清志郎ファンにとってはそれが格好よく映り、局も「ペルソナノングラータ」として、深入りしない程度の接触を保つことで微妙なバランスが保たれていましたが、彼にとっては、世論に迎合して安定した収入を求め、ゴマスリ、保守的になることで自分の主義主張が折り曲げられることを嫌ったのかも知れません。 で、山本太郎氏も同じような道を辿ろうとしていますが、こういう業界に限らず社会というものはたとえ自分が正しくても、その「我」を殺すことで収まっている部分があると思います。 言いたいことを言わない、やりたいことをやらないことで、ギスギスせずに機能している部分があると思います。 そういう中で異端児が出ると、奇異に映ったり退けたり、KYと言う人もいるでしょうね。 優等生だったのにそうだったの?という驚きかも知れません。 事務所も慰留したそうですが、彼とファンとの間だけでは何の問題もないと思います。 むしろ番組のスポンサーや局、代理店などの関係を感じ取ったので止めたのでしょう。 安泰でいたければ「見ざる・言わざる・聞かざる」に徹しないといけない空気に耐え切れない結果の行動だと思います。 北野誠は封印して懺悔してようやく戻ってきましたが、山本太郎の場合はベクトルが全然違うので、多分戻ることはないかも知れませんね。 でもこれから「反原発俳優」というレッテルを貼られたまま、どうなっていくのでしょう? 電気に依存しているスポンサーの番組には出られないだろうし、そうでなくても「危うい旬のタレント」ということで、出番はなくなるでしょう。 原発は危ないとは誰もが分かっていますが、仕事や人生をかけてまで反原発をうたって行動することについては、個人的にはちょっと性急過ぎた感じを受けます。 一般的に思えば、会社員が反原発運動に身を投じるために会社を辞めるようなものですね。 反原発といっても、その意思表明の仕方はいろいろあると思います。 それは、自分が置かれている社会的地位や状況で判断すべきものと思いますが、彼の場合は順序を踏まずにいきなり先頭に立ってしまったという印象です。 反原発という強い信念があればあるほど、俳優としての道がどんどん閉ざされて行くというジレンマに陥っているような気がします。 彼の今後の身の振りの不透明さを考えると、単にかっこいいでは済まされない感じです。
お礼
>>こういう業界に限らず社会というものはたとえ自分が正しくても、その「我」を殺すことで収まっている部分があると思います。 それは、子供の頃から分かってます。単なる反発屋と一緒にしないで下さい。 かっこいいというより、何でもやる時は全力という生き方が、充実してて嫉妬しました。 本気を出してはいけない、本気を出して決めると、かっこ悪い、誰でも本気になりゃ大抵の事はできるという心からきてます。
補足
自分の場合、本気になって、死ぬ思いする負け人生を味わってますが。 群れは屑の塊りですが、確かに群れだけ合って強いです。でも、生き方として、自分は好きなんですよ
質問の趣旨と違うと言われるかも知れませんが、 確かに「大きな群れに対抗する生き方」が格好いいと思う心理は理解できます。 しかし、あくまで当人が何を訴え、そしてそれに対して自分はどう思うかで判断するべきであって、それが大きな群れに対抗しているのか、群れているだけなのかは、「表現の仕方」であって、さほど重要な問題ではありません。 日本人の場合、このようなレッテル貼りが大好きで、たとえばうまく因縁付けして「右翼」とでもレッテルを貼り替えることができれば、それだけで評価が下がります。 つまりどうやってうまく「レッテルを貼るか」が重要で、今はそのレッテルが「大きな群れに対抗している」になっているだけに過ぎません。 また、質問者さんは「自分には理解できませんが」と書いていますが、当然ながら世の中のことすべてを理解できている人などいませんし、また今回の原発問題は難しい問題であり、断定した意見を言える人が素晴らしい人とは限りません。 むしろ、わからないこと(理解できないこと)をわかっている(理解している)事の方が重要な場合もあります。 また余談ですが「原爆」と「原発」を故意に混同して被曝の恐ろしさを訴える人がいますが、人を殺すための「原爆」といくら言葉が似ているからと、そのような論法はよくありません。
お礼
正直自分は、被爆の事も何も分からないです。知りたいとも思いません。 それが自分の死因になっても、別に何も思いません。情報を勝手に信じてるだけです
馬鹿とは思いませんが、かっこいいとも思いません。 嫉妬はないですね。
お礼
普通はそうでしょうね。
お礼
無謀で、小ズル賢い一般大衆の人間に無謀な馬鹿とか、損してるなぁコイツ。とか思わせた時点で、自分は、かっこいいと思います。 ある意味では、もう勝ってます。山本太郎さんは。 死ぬまでの、終着駅を何処にするか、また、何処で死んでも今ならかっこいいと思います。 大抵の人間(原発利権も当然無い)何事も、上で甘い汁吸って、奴隷をたくさん使って、良い思いして生きてる人間以外、心では、馬鹿だと思っていても、真似できない人などに、誇られます。 何か動けば、賛同は望めます。政治家にも慣れない事も無い。もうすでに、リードしてる。この見方は、悪い見かたで、本人は毛頭そんな考えないかもしれまですが、腹の中は本人以外絶対に見えません。 疑ってる訳ではないです。単に、やられたと・・・嫉妬してます。なにせ、生き方がかっこよすぎるので 弱い物いじめたり、善意の弱者騙して、のうのうとして、恥らないなく生きてるような奴と違い、嘘でも 今後のための売名でも、今こうして、勝てないであろう敵に向かって、動き出した彼が自分は好きです。 男だからか、そういう生き方が好きで、かっこいいと本気で思います。顔売って商売してる人だからこそ尚かっこいいです。 一般人が反対運動しても、あまりかっこよくないですが、(逃げ道が多すぎる)でかくなった人間が、全てを失う覚悟で、大衆的に見て、圧倒的不利で、無謀で馬鹿で、正義感にもえた、非道徳的行為ではない戦争を仕掛けるのが、南の帝王の数千倍かっこいいです。 できる人間が馬鹿を演じたり、できる人間が負け戦に向かう闘争本能が、好きです。 許可書通りのつまらない人生や、教科書無視だけの不良の万倍かっこいいです。