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友人との付き合いの良さとは?
- 友人がいて、人づきあいの煩わしさを差し引いても、良かったと思うことは何ですか?
- 私には友人がいませんが、一人で過ごすことを好む私でも、友人がいる良さを感じたことがあります。友人との付き合いが難しいと感じることもありますが、良かったと思う点は何でしょうか?
- 友人がいて、人間関係の煩わしさを差し引いても、価値あるものがあると感じることはあります。一人でいることが好きな私でも、友人との関係は大切に思っています。そこで、友人がいて良かったと思うことについて、皆様の意見をお聞きしたいです。
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こんばんは。 最後の部分が問いかけのようになってましたので、また回答いたします。 >どこが違うのでしょうか。。 本当の友達と呼べる人は多くはいません。 考え方の共感できない人、話が合わない人と一人よがりな人は顔色見ながら、話題づくりって感じで気を使うし、一緒にいて疲れるので友達としてはお付き合いできません、それこそ接待のような感じになりますね。 愚痴や悩みを相談しても理解し合える人、考え方の近い人は話に共感できるし、長い時間一緒にいても素が出せて、逆にストレス発散が出来て、お互い楽しい時間を過ごせます。 【自分の魂と近い人】・・かな。 何度かお話しているうちにこの人とは気が合いそうだなとか、合わないなってわかります。 恋人、夫婦等でも同じ事がいえるかも知れません。 もちろん、お互い思いやる気持ちと人としてのマナーをわきまえなければいけませんが。
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- shizumo
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自分は自分、人は人。自分が人付き合いがわずらわしいと孤独を選んだのなら寂しいと思ってはいけない。一人でも孤高を保ちスナフキンのように一人静かに暮らすことに幸せを感じればいい。 他人の話を聞きたくないが自分の話は聞いて欲しい。当たり前だがそんな都合のよい、ムシのよう人はいないだろう。そこはわかっているようなので友人探しはしても意味がない。 友人がいればいいこと?いざとなったらお金を貸してくれる。同時に自分が貸す側になるかもしれない。 だから一人を楽しむ努力をしなさい。一人でしか出来ないことをすればよい。 これからの人生計画で、もちろん結婚もせず子供も作らないことが決定するわけだから、他人よりも確実だし不確定要素がないから、かなり自由に人生を楽しめると思う。良いと思うよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 良いと思うよ。と言っていただけて、何か安心しました。 私は、普通の人より心理的距離を多く必要とします。 人と同じことをするのは、私にとって背伸びです。 私は普通の人とは違うから、普通の人と同じことは出来ないと見限って、 「友人はいなければならない」という固定観念を捨てました。 孤独は迷走の末にようやく辿り着いたものです。 その孤独の中で見つけたのです。 寂しいという気持ちと、これは私の求める生き方ではないという確信。 自分でも強欲だと思います。 それでも、やはり、これ以上自分を欺くのは嫌なのです。 この質問は、誰もが持っていて、私だけが持っていないものは何か、 それを知りたくてさせて頂いたものです。 私が私らしく、豊かに生きるにはどうしたら良いのか? その解を求めるために、私のこれまでを全否定してでも、それを知りたいのです。
- eroero1919
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誰だって、人付き合いというのは多少なりとも煩わしいものです。そして、そんな煩わしさをいちいち感じないのが友人のいいところです。 人付き合いってのは、レベルがあります。顔だけは分かる程度。挨拶を交わす程度。二言、三言言葉を交わす程度。単なる知り合い。知り合いよりちょっと仲がいい程度。友人。そんな感じです。 誰でも最初は見ず知らずから始まり、なんとなく挨拶や言葉を交わすようになって人付き合いが始まります。けど、大抵最初に話し始めた人とは単に席が近い人だったりしてあまり話が合わなかったりして、そうこうしていろんな人と付き合っているとその中にいわゆる「うまが合う」人がいて仲良くなる、という寸法です。てか、小学生の時のクラスの最初の方ってそんな感じじゃありませんでした? しかし友達とてもいろんなレベルがありまして、知り合い寸前というか何か都合が悪いことが起きるとあいつは友達じゃねえよ単なる知り合いだなんていう薄情な関係から、無二の親友まで存在します。仲のいい友達、親友なんて呼ばれる関係のいいところは「お互いに相手のことをよく知っている」ことです。これは時に親や恋人などよりよく知っていることがしばしばです。何もいわんでも、あいつの考えていることがわかる。また、自分がいちいちいわなくても自分のことを理解してくれている。そういう関係です。 質問者さんは、そういう友達以前の、知り合いよりそれ以前のせいぜい顔見知りとかその程度のところから先に関係を進めていないから「煩わしい」から先の風景を知らないのです。見たことがない、行ったことがないのですからわかるわけがありません。 最初にも書きましたが、人間関係は煩わしいものです。しかし人間というのは慣れの生き物でもあります。質問者さんも働き始めた頃は退勤時間まで働くことがとても苦痛だったはずです。私も新入社員の頃は退勤時間の2時間前になると30分ごとに時計を見ていたものです。でも今は、3日連続で12時間労働をやったりします。人間はそのくらい慣れる生き物なんですね。 友人を持つ楽しさを知りたければ、うまの合う友人と会えるまで人付き合いを続けなければならない煩わしさを乗り越えなければなりません。 うまが合う人、合わない人ってのがいるんですよ。どうもあいつとは仲良くなれそうにないとか、あいつとは気が合うとかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >「煩わしい」から先の風景を知らないのです。 お恥ずかしい話ですが、「煩わしい」の先に何か在るという発想から、ありませんでした。 「ウマが合う」とか「気の置けない仲」というのは 映画や理想論の中だけの話かと信じていましたが、そうではないのですね。。。 世の中、私の知らないことばかりです。
- nnh43788
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お礼ありがとうございました。 あなたの質問文を見た限りでは、少し傲慢な方かな・・・と勘違いしました。 ごめんなさい。 素直な素敵な方じゃありませんか・・・ あなたなら、疲れない癒しの友達が出来ます。 ただ、友達を作る訓練(?)が少し必要かもしれませんね。 いいヒントを得られるのは「映画」です。 映画ですから、誇張してあるのは差し引いて・・・ べたべたしない、疲れない・・・素敵な関係の友達が描かれた作品がたくさんありますよ。 大親友だと思っていたのが、実は自分をおとしめた犯人だった・・・なんてのはダメですが(笑)
お礼
何度もご回答ありがとうございます。 そうですね。 映画は、心をもう一度学び直すのに使おうと以前から検討していました。 今回のように、私の知らない心の常識が沢山出てきたらどうしようと尻込みしていたのですが、 勇気を出して見てみようと思います。
もう一言付け加えます。 今まで会社関係、友人関係の結婚式で発起人、友人代表、歌、その他色々頼まれても、正直きついと思ってもすべて引き受けてきました。 その中で、人とのかかわりも数多く学び自分も成長出来たと思います。 今までの御縁を大切にして生きてきたのでその友人たちが私にとって 今では宝もののようになってます。
お礼
度々ありがとうございます。 どうやらキツイ・シンドイの定義も私のそれは普通と違っているようです。 私の人つきあいは、何故でしょうね、言うなら接待に近いのかもしれません。 人付き合いのルールを守ることと、「おもてなし」と。 どこか違いますね。 どこが違うのでしょうか。。。
お礼をいただきまして、 あなたと少し感覚が違ってるようです、意志の疎通が取れていて、長年の友人たちは私にとって長い時間いても家族より疲れません。何でも話せます、息抜きでもあるのです。彼女たちも私に対してそう言ってます。 家に泊まりにもきますしね・・飲みすぎていつも素をだしてますから、 お互いに宝もののように大事ですね、そう言い合ってますよ。 もう家族ぐるみの付き合いですね、親戚以上のね。 そんな感じです。
お礼
度々有難うございます。 >あなたと少し感覚が違ってるようです、 もしかするとそうなんじゃないか、もしかしたらそうなんじゃないか、とは 以前から薄々感じてはいました。 君はなにかを勘違いしている、とは誰から言われた言葉だったか。 なんだか悲しくて涙が出てきます。
- nnh43788
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私は、友達無く生きていけないかもしれません。 友達は、自分の鏡のようです。 誠意を示せば、誠意で返ります。 信頼関係が築ければ、腹を割り、失敗も惨めさもさらけ出せます。 嫌に思ってる共通の人間がいれば悪口を言ってガス抜きも出来ます。 どんなに時間が空いても、不安にならず・・・安心していられます。 そのかわりルールがありますよ。 金銭面は勿論、精神面のやり取りも五分五分にしないと無理です。 自分の話しするのはいいけど、相手の話し聞くのは嫌では・・・質のいい友人関係は望めないと思います。 聞いたふりも直ぐに分かりますから、次は無いでしょう。 そんな面倒くさいのいらないという人も、それで有りだと思います。 それぞれの価値観ですから・・・ あと昔の人は良いことを言いました。 「親しき仲にも礼儀あり」これはとても重要に思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >信頼関係が築ければ、腹を割り、失敗も惨めさもさらけ出せます。 >嫌に思ってる共通の人間がいれば悪口を言ってガス抜きも出来ます。 >どんなに時間が空いても、不安にならず・・・安心していられます。 友人とは、そういうものなのですか。 私にはそういう発想はありませんでした。 このような人を友達と定義するなら、友達つきあいは疲れようがなさそうです。 皆、ご回答者様のような発想で友達を持っていらっしゃるのでしょうか。 もしそうなら、私は友達の居る居ない以前に、 友達とは何か、今まで知らずに生きてきたことになりますが・・・ ご回答を前向きに捉えていきたいと思います。
そんな都合のいい人間は多分いないと思われます。 私は同性(女)の友人は多い方ですが たとえ長年の友人で意志の疎通が取れてても、私の中では、【give and take】 の気持ちが基本ですね。 それと相手を思いやる気持ち。 【類は友を呼ぶ】ですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
ご回答ありがとうございます。 >そんな都合のいい人間は多分いないと思われます。 同感です。 ギブアンドテイクについては緒論ありそうですが、相手を思いやる気持ちは 人付き合いをするうえで必須だと私も理解しております。 私はそれをツライ・シンドイと感じるからこそ、孤独を好んでおります。 友人とのつきあいがあると、どうにも疲れてしまうのです。 それでも皆友人をお持ちの御様子です。 それは何故? もしや、友人をお持ちの方は人付き合いをツライ・シンドイとは感じていない? それとも、ツボを押さえれば人付き合いは簡単なことだったりするのか? あるいは、ツライと感じても友人を持ちたいと思っている? 友人を求めようとする前に、その点をある程度客観的に理解したいと思い、 質問させて頂いた次第です。 つまらない質問であることは承知しておりますが、 何卒お付き合いください。。。
お礼
何度も、本当に恐れ入ります。 ありがとうございます。 御教示いただいた内容と、私がこれまで友人の定義を間違えていた事実を突き合わせると、 ・私は今までに会ってきた人の誰とも、考えを共感できなかった ・私は今までに会ってきた人の誰とも、話が合わなかった ということになりますね。 ・・・大変厳しい結論です。 時間をかけて、厳粛に受け止めたいと思います。