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サイコパスという言葉に危険なにおいを感じませんか?
最近サイコパスという言葉を非常に簡単に使っているような気がしてなりません。 知恵袋の質問を見ていても「近所にサイコパスがいて・・・」の様な物も多いです。 私はサイコパスという言葉を簡単に使うことに非常に危険な匂いを感じます。 インターネットのサイトを見ていても「あなたの周りの危険な人物はサイコパスかもしれない・・・」などと書かれていたり、同じサイトにサイコパス診断テストなるものがあったりする場合もあります。 コレは非常に危険な考え方なのではないでしょうか? サイコパス診断を他人から見た目線でやるなどということは公平な診断ができるとは思えません。一般の人間(もちろんサイコパスの方も一般の人間ですが)をサイコパスと勝手に判断して社会から排除するなどということは絶対にあってはいけないと思います。 そもそも私はサイコパスという人格障害自体が本当に存在するのかもわかりません。 サイコパスという言葉は元は犯罪心理学からでてきたと聞きました。この言葉はあまりにも警察や司法に都合が良すぎるような気がします。犯罪を犯した者の動機などがわからなかった場合などに『サイコパスだから』という言葉で片付けられてしまうようになりはしないでしょうか? ウィキペディアのようなサイトでさえ『サイコパスは社会の捕食者であり・・・云々』と明記されています。 このような言葉が犯罪者等の更生を妨げてしまうような気がします。 ぜひ皆さんの意見を聞かせていただきたいです。
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- inemuriwanko
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当方も個人的に、サイコパスに関して調べているのですが、サイコパスの話は、確かにかつては一部の専門家の間でのみ、こそこそ話されるような「タブー」であったと思います。今日では、近年の様々な危機感を反映してか、そのタブーの垣根がはずされ、サイコパス情報があふれてきましたが、私の調べていた当初は大きな壁に阻まれて、まともな情報が手に入らず大変苦労しました。「その情報をもっと早く教えてくれていれば・・・」と思われる方も結構多いのではないでしょうか? 現在ある社会問題のうち、専門家が適切な情報を人々に提供しなかったことが原因ではないかと思われるものもいくつかあります。 質問者様のご懸念は、「中世の魔女狩りのようなことがおこるのではないか?」ということだと思いますが、高度な情報社会に生きる現代の一般大衆の良識を信じるべきだと思います(そうでないと、また情報が遮断されてしまうかもしれません)。ただ、サイコパスという言葉の問題に限って言えば、「精神病質」という言葉を日本語訳としてあてがうことも含め、はっきり言って大失敗だと思います。この辺は専門家の方たちに何とかしてもらいたいと思います。 >ウィキペディアのようなサイトでさえ『サイコパスは社会の捕食者であり・・・云々』と明記されています。 ということですが、まずウィキペディアは専門家でなくても誰でも書き込めるものであるということを再確認してください。今、確認した限りでは、いくつか誤りも見受けられますので、明らかに素人が書いたもののようです。書かれたものを鵜呑みにせず出典などを確認されることを強くお勧めします。本当に懸念すべきは、このように誤った情報が流れることだと思います。ただ、素人が遊び半分で書いている場合もあるかもしれませんが、おそらく本当にサイコパス被害に会われた方が、世間に警告を発したいという強い思いで書かれているケースも多いと思われます。 『サイコパスは社会の捕食者であり・・・云々』の部分は、確かに「え?」という感じですが、専門家の間で、サイコパスが「種内の捕食者、イントラ・スピーシーズ・プレデター(intraspecies predator)」と呼び習わされているのをご存知ですか? 詳しくは英語版ウィキペディアの方に書かれていますが、実際に多くの論文で(したがって公に)使用されている言葉です。つまり差別用語ではなく、実態を端的に表現した言葉だといえます。このことを、さらに理解するには本格的に勉強する必要があります。 >このような言葉が犯罪者等の更生を妨げてしまうような気がします。 いや、このような言葉で更正が妨げられてしまうような人をサイコパスとはいわないと思います。サイコパスを従来の更正プログラムにのせても、人の操り方を覚えるだけだと言われています。将来的に死刑廃止ということになれば、新たな更正プログラムの研究に本腰をあげなければいけないと思われますが、専門家の間でも「サイコパスの人格は石に刻まれたものである」という見方もあり、容易な問題ではないようです。
- nama777
- ベストアンサー率26% (183/699)
作家の貴志祐介が、作中で何度か取りあげたので話題になったものと思います。10年ほど前に話題になった「黒い家」とか、去年出た「悪の教典」。優れた作品だったし、小説としての目のつけ処としては秀逸だったと思います。 が、あくまで物語の中での話です。フィクションならではの誇張はあるだろうし、精神病理学の教科書どおりでもないでしょう。 >あなたの周りの危険な人物はサイコパスかも サイコパスを犯罪者予備軍という意味で捉えるなら、これは偏見~差別にあたり、いけませんね。逆に言うと、実際に犯罪を犯した人間を解析して理解するような場では、ありなのではないでしょうか。個人的には、サイコパスというレッテルを貼られる必要条件は、保険金あるいは無差別殺人など、新聞の一面にのるような大事件を実際に起こしていることだと思います。 ただし、言うまでもないが、十分条件ではない。質問者さんが言いたいのも要はこの一点だと思います。
- yasuto07
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あの、いみもわからず、安易につかうといういみでですよね。 サイコパスとは、精神病質者のことです。 精神病質者とは、厳密にいうと、10人に一人は、その範疇に入るようです。 実際には、風邪をひいて、せきをしている人より、おおいのですよ。 ですから、巷に、駅に、町に、会社に、その様な人は、沢山居るのが現実です。 われえますが。
- Vwiyoonn
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まず、ウィキペディアの記述は精神医学の立場においては、記述されているような特質を強く持った者をサイコパスと分類している、というだけの話です(わたしの印象ではいささか古めの情報を典拠にしているようにも感じられます)。また、分類を許されるのはそれなりの経験を積んだ精神科医などであって、素人が軽々にやっていいものじゃないんです(ウィキペディアのその項にもそう書いてありますね)。 で、一方、あなたが危惧を感じられたのは、他者に対する想像力を(半ば意図的に)放棄して、浅薄な印象やあやふやな伝聞のみで他者を自己とは完璧に異なった存在と見なすために、時にはサイコという言葉を使い、また別の時には在日であったりニートであったり民主党であったりヤクザであったり、その他諸々のネットのそこここにはびこる「あいつらは自分とは別物」という烙印を押すことによって、自分は彼らが関わっている(であろう)状況に対して一切関与したくない、と宣言したいという昨今の日本人の気分のことではないかと思われます。…実際、それこそサイコっぽくないか? って気もしますけど。 ま、それはそれとしといて、「あいつらとは違う」ってことだけで己の倫理性を担保しようって発想は、なんだか『えんがちょ』がどうのこうのっていってる子供みたいっていうか、呪いだの祟りだのを信じてる未開の人々みたいっていうか──。 意思疎通の道具として作られたネットと思考の道具としてのPCがもたらしたものが、より深い断絶と呪術的思考への耽溺だとしたら、…なんだかねぇ、って感じですね。
お礼
私も黒い家読みました! たしか主人公の付き合っている女性の考え方に共感した記憶があります… かなり誇張した作品だったのは間違いないですね^^; 素人が勝手にサイコパスと決めつけることに恐怖を感じます。 少なくとも私はそうゆう判断で差別する事だけはしないようにしたいです。 ありがとうございました