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1992年くらいで現在の状況を想像できたか?

1992年くらいに、現在の状況(携帯電話を持っている、メールが可能、インターネットで市民革命が始まる、電子書籍がある)を想像できた高校生がいたでしょうか。、 小説を書いていて主人公の友達に、 「将来は、会ったことの無い人とコミュニケーションがとれる時代になるよ」 といったことを語らせようとしています。 これが現実的にありえるのかどうかを悩んでいます。 ちなみに主人公の友達は、京大を目指している進学校の高校生を設定しています。

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回答No.6

1992年にアマチュア無線をしていた人なら容易に想像できます、アマチュア無線は、短波帯という電波を使い、海の向こうの見知らぬ外国人と無線で通話することができます、すでにアマチュア無線電波を使い、ラジオテレタイプというキーボードでアルファベット文字を送ると、遠くは離れたアマチュア無線局に、文字通信ができ、すでに、船舶通信に使われていましたし、画像を海外へ送るスロースキャンテレビ静止画通信もしていました、無線で地図や絵、天気図を送る無線ファクス通信もありました、無線通信のために電波状況が不安定で混信、雑音で通信が途絶えることもありましたが、、当時のアマチュア無線の雑誌にも、軍事パソコン通信の民間開放版であるインターネットことが紹介されていました、当時電電公社の固定電話の送受話器に音響カプラーを介してパソコン通信をするPCーVANというのいがすでに行われており、高い電話通信料に泣かされていました、電電公社に時代です、インターネットのメール通信は、、テレタイプ通信のコンピユータ化です、インターネットのない時代今から40年前の高校生はアマチュア無線通信で見知らぬ人と情報交換していましたし、当時は、高価な真空管式アマチュア無線機が姿を消しつつ高性能低価格のトランジスタ式アマチュア無線機が販売され、物によっては価格が1/10位までさがったことを記憶しています、ですから想像できる高校生はアマチュア無線をしていた高校生中には多数いました、携帯電話はすでに米国では昭和25年ごろから自動車電話が販売されており、自動車からアマチュア無線の電波を使い自由に電話をかけるフォーンパッチシステムがありました日本では電波法で禁止されていました、日本のアマチュア無線機メーカーは欧米への輸出品には電話のダイヤル機能、送受話器を搭載したフォーンパッチシステム登載品を輸出していました

ken-ken-k
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  • U-Seven
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回答No.7

将来というより1992年にはすでにインターネットやメールは有りました。 このときのOSはDOSでしたので設定とかやや難易度が高くまだ一般的ではなかったです。 日本ではWindows95以降から本格普及したというのが実情です、その前のWindows3.1では英語版(米国版)にはインターネット機能が組み込まれていましたが日本語版には搭載されていませんでした。 (ここで差が付いた) 1992年ではすでにいくつかの高校で実験的にインターネットの教育実験がされています。 例として下記 http://www.kageto.jp/data/kinki.htm ですからこの高校の生徒は1992年にインターネットや電子メールを経験していたわけです。 携帯電話もさすがにここまで小型のものは有りませんでしたが移動体電話として自動車電話は1972年12月に東京23区内で開始されています。 参考として下記、「移動体電話の歴史」 http://www.interq.or.jp/blue/rhf333/K-HIST.htm 1992年時点で「将来」と言うのは違和感を感じます。 すでに現実(初期)となりつつ有る時代です、ただ一般的にはまだ認知が低いだけという状況です。

ken-ken-k
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  • 41457
  • ベストアンサー率18% (136/752)
回答No.5

 87年に、22歳でしたが、webのある、PCの研究を個人でやっていました。   92年なら、そのあとですから、十分に考えられます。   ちなみにそのPCは、メーカーに売りました。予算が尽きてです。   そのPCには、USBが搭載されていて、USBメモリーの原型と、HDD、SDカードが語られている中にありました。CD‐RWドライブも噂になっていました。ソフトは外注で、基本は殆んど他人任せでしたが、USB3.0までを研究しました。今有るものは、当時考えていた範囲を超えていません。唯一、有機ELが考え、空想になかった。BDは、空想の範囲に有り、私ではなく、同類の人達によって、研究されていました。webは、空想を現実化させる、力が有る。秋葉原が舞台です。 

ken-ken-k
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noname#155097
noname#155097
回答No.4

その頃、すでに社会人でしたが 我々の世代は1970年頃すでにウルトラセブンで、 腕時計型のテレビ電話を目にしていましたので、 大人になる頃にはそういう時代が来るのだろうと 思っていました。 また、1990年くらいには、アップルのCEO スティーブジョブスが、今のアイパッドのようなもので 配信された本を自由に読むことができる。 というようなことを言っていましたので、 これも近い将来出現するだろうと思っていました。 電子メールはパソコン通信というような形で当時すでにあったように思いますし、 将来、パソコンで世界中の情報を瞬時に手にいれることができる。 というようなこともすでに喧伝されていました。 ある程度、パソコンに興味のある高校生なら、 想像できていたのではないか。と思います。

ken-ken-k
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  • 4610_5656
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回答No.3

それよりも前に 手塚治が漫画の中で携帯電話のようなもんやら TV電話やら描いてたし 宇宙家族ジェットソンなんてワーナーのアメリカアニメでもTV電話して、会社に コンピューターのボタンを押す仕事が疲れたってシーンも書かれてるし かの万博でもそういう未来予想図みたいなもんはとっくに描かれてた。 映画の中でも車にコンピュータがあり行き先を案内してくれるSFもあったし 1800年時分からそんな妄想はあったし、それが今の現代で現実化できちゃっただけ コンピューターの未来なんて、大型の電気計算機が出来た頃から 小型化、高性能化 一人一台 家にいながら通信で勉強が出来てなんて予想図があったんだから なんもおかしくないでしょう。 想像というより未来想像力の豊かな高校生でしょ。

ken-ken-k
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回答No.2

SF映画ではテレビ電話などが使われていた時代ですね。 もちろん本物のテレビ電話ではなく、空想を映像化しただけです。 しかし、当時の発想があったから、今の状況ができあがったのでしょうね。

ken-ken-k
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  • kusirosi
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回答No.1

ん、質問者さんが1992年当時思っていたとおりでは???? ・「将来は、会ったことの無い人とコミュニケーションがとれる時代になるよ」 えー、文通(雑誌に、よく文通コーナーあった)とかテレクラとかアマチュア無線とか だいぶ前からあるんだけど?????????????????????????????  私の経験では、すでに、NTTドコモの超小型携帯電話ムーバが91年に出ていて、インターネットの存在はあまりしられていなかったが(たしか、この年初めての日本語ホームページができてるはず)、ニフティサーブやPCVANとかパソコン通信は盛んでEメールやりとりされてるし、92年には、T-timeやエキス・ハンドブックのボイジャージャパンも創業されショボイけど電子ブックも出ていましたから、その程度の予想は、つくでしょうね\(^^;)..

ken-ken-k
質問者

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