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フジTVアナが被災者に失礼極まりない質問?
ニュージーランドで発生した地震で右足を失った被災者に対し、フジ大村正樹アナウンサーが失礼極まりない質問をしたとして視聴者から抗議が殺到しているようです。 『右足が切断されると知った時どんな気持だったか』 『もうスポーツができなくなることについては、どんな気持ちか』 と本人に質問したことが人々の怒りを買っているようです。 ですが。。。 そんなに怒るような質問でしょうか。 本人や家族が怒るならまだしも、なぜ部外者が怒っているのでしょう。 彼はこれから否応でも片足で生きていかなければならないのです。 片足という現実から逃避するのではなく、片足であることに面と向かいあい、受け入れ、前向きに生きていくべきで、卑屈になったりイジケたりする必要は無いのです。 ですので、当たり障りの無い質問をする必要などなく、大村アナのようにストレートな質問をしても問題ないと思います。むしろ妙な気を使わずに質問するというのが、片足を失った彼に対するやさしさだと思います。 怒っている人たちは、片足になったことを気の毒に思っている、哀れんでいるから怒るのだと思います。 「哀れみ」は裏を返せば「蔑み(さげすみ)」です。 普段から障害者を蔑む気持ちがあるからこそ、片足を失ったことを気の毒に思うわけで、それが今回の怒りになっているのだと思います。 逆に言えば大村アナには障害者を蔑む気持ちが無いからこそこのような質問ができたわけです。 大村アナと怒っている人たちのどちらが酷い人間なのかを良く考えて欲しいと思います。 と私は思いますが皆さんはどう思いますか。
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- grbozu
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『ごめんなさいね。掘り返し、長文、適当に切り上げ』 確かに彼が絶望していなければ、あの質問に不快感を感じません。 ただ、絶望していない人用の質問をするにはまずアナウンサーは下記の事していないと正当化されません。 例えば、報道する前に「彼に絶望してますか?していませんか?」なんて訊いていたり「あなたにとって辛いと思われる事を質問するかもしれません」等の事前のやり取りがあり、それに見合った質問の場合です。 しかし、そのやり取りが説明されてないので、視聴者は一般的な考えを根拠に不幸だと思い込み「失礼な発言だ!」と言うでしょう。 それは、全体の経緯・相手の心情などをしらずに、また、一般的な考えだとして憶測で、一方的なバッシングする行為です。問題だと思います(おそらく質問者はここも指摘してるかと私は解釈してます) しかしながら、私は問題とは思いつつも、バッシングした人達の気持ちも分かります。 [以下、私の意見・結論] そこで、思ったのが報道側が視聴者に誤解をあたえた事が問題だと結論が行きました。あくまでもクレーマにも問題はあります、けどの結果です。 あと余談で、(仮に)絶望してる彼に活を入れて現実をみせる言葉は赤の他人のアナがするには軽率で専門家・保護者の仕事。 以上、不詳細な部分をアナ有利にして事実は残した仮定の話しでした。
- cucumber-y
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>何を恐れているのでしょうか。 www END
- cucumber-y
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>はっきり言うならば、 >「彼の気持ちは正確には分からないが、人よりも分かると思いたい。」 >ということだと思いますが違うでしょうか。 違います。 近似の経験を持っていれば持たざる者よりは分かるということです。 同じ学級で修学旅行に共に行けば、後に旅行中の話をしても行ってない人より共感できる 共に甲子園を目指し、グランドで汗を流した者のほうがTVで観戦していた同級生より負けた悔しさを共有できる 同じ職場で嫌な上司に虐げられた者同士は赤提灯で盛り上がりやすい こういうことですよ。 (独りよがりの悔しさから、こんなことも見えなくなっているようですが。) そんなことも経験されずに生きてきて机上で論をこねくり返しても私が同意することはありません。 卒業するまでに本を沢山読みましょう。 (まさか無いと思いますが「決め付けないで」みたいなトンチンカンなキレ方はご遠慮下さい。)
- cucumber-y
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>要するに、彼の今の気持ちがよく分かるのでしょうか、分からないのでしょうか、どっちなんでしょうか。 他人の気持ちが理解できると考えるほど傲慢ではないので、分かりませんと言うしかありません。 (こんな当たり前の事を質問したいというのは「自分は他人の気持ちが完全にわかったことがある」と勘違いしている方の発想ですね。それができるのは神や超能力者だけです。) ただ、不慮の事故で足を切断した経験を持たないご質問者さんよりは近いところまで想像できるとは言い切れます。 自分が理解できないことは「曖昧」で一生懸命平静を装って流そうとし、他人には「怖がってます?」「警戒しています?」「決め付けようとしています?」という決まり文句で己の偽りの優位を作りたがるのは文学に足を踏み入れたばかりの女子中学生の特徴そのものだそうです。 (コレが載っていた本のタイトル失念しましたが。) 私はご質問者さんを相手に議論もイジメもしようとはしませんよ。 どうぞ、ご安心を。
お礼
ありがとうございます >不慮の事故で足を切断した経験を持たないご質問者さんよりは近いところまで想像できるとは言い切れます。 彼の気持ちを誰かよりは近いところまで想像できる、と言い切るためには、彼の気持ちと、その誰かがどう思っているかを正確に知る必要があると思いますが、 でも他人の気持ちは、神や超能力者で無い限り分からないのですよね。 どっちともとれるような曖昧な答えをしようとしたために矛盾が生じたのだと思います。 はっきり言うならば、 「彼の気持ちは正確には分からないが、人よりも分かると思いたい。」 ということだと思いますが違うでしょうか。
- white_catcat
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#15です。 私の本音を聞きたいということですので、再度コメントさせていただきますね。 >インタビューに腹立たしく思ったそうですが、それは、インタビューの質問が足を失って絶望している人間に聞く内容ではない、と思ったからではないですか? そうです。 ただし彼が絶望しているかどうかは、近くに居ない私にはわかりません。 >彼が絶望していると思っていたということですよね? >どうして絶望していると決め付けたのでしょうか。 「被災した彼へのインタビューが失礼」だから「彼が絶望していると思った」という図式は、私のコメントにはまったく無いです。 逆に私があなたに聞きたいですね。 どうしてそう捉えているのか。 まるで、彼が絶望していなくてはおかしいような書きぶりです。 だから前向きに生きる「べき」なんて考えるのでしょうか。 彼が被災して辛い思いをしているのは確実でしょう。 喜んで障害を負う人なんて(一部を除けば)居ないと思います。 でも「辛い」と「絶望」はイコールではありません。 辛さを乗り越えるかもしれないし、ずっと引きずるかもしれない。 それは本人のみ知ることです。 ただ、辛さをずっと引きずる自由も彼にはあるといいたいのです。 障害を負った人は前向きに生きなくちゃいけないなんて、誰が決めたのですか? 後ろ向きに生きたっていいじゃないですか。 >それは、あなたの心の奥底に、彼が絶望していて欲しいというダークな願望があったからではないですか? ホラ、あなたは人のコメントをよく読まずに自分の考えを押し付けていますね。 飛躍した理論から導き出した見当違いの意見になっていることに気がついていますか? 私は彼が絶望しているなんて一言も書いてませんし、思ってもいません。 なんでそんな意味の無い願望を抱かなくてはいけないのですか。 アナウンサーの話から飛んでしまいましたが、あなたは相当思い込みが激しいように見受けられます。 たくさんの回答にコメントされているので真面目に考えてのものだと思いますが、時には自分の考えは違うかもしれないという自己を見つめる目も大切ですよ。
お礼
ありがとうございます。 >逆に私があなたに聞きたいですね。 >どうしてそう捉えているのか。 例えば、彼が足を切断したのではなく、足を骨折したとして、 インタビュアーが 「右足が骨折していると知った時どんな気持だったか」 「スポーツがしばらくできなくなることについては、どんな気持ちか」 と聞いた場合、それを失礼極まりない質問だと感じる人はほとんどいないと思います。なぜでしょうか。彼が絶望していないと思っているからです。 また、上記の例の彼は絶望してはいないでしょうが辛いとは思っているかもしれません。 上記の例でもあなたはやっぱり失礼極まりない質問だ、と感じるのでしょうか? >後ろ向きに生きたっていいじゃないですか。 何かダークな空気を感じます。あなたの願望としてはどうなんでしょう。彼に前向きに生きて欲しいのでしょうか。後ろ向きに生きて欲しいのでしょうか。 それと、私が自分の考えを押し付けていると思い込んでいるようですが、 押し付けるならば私は、 「あなたの心の奥底に、彼が絶望していて欲しいというダークな願望があるのです。」 という言い方をします。聞いているだけなのですからダークな願望が無いと思うなら無いと答えれば済む話です。思い込みが激しいのはどちらなのか、自己を見つめる目も大切だと思いますよ。
- cucumber-y
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回答が好きなのでやらしてもらいます。 >足を失ったあなたに対し健常者の知人が知った顔で「分かる分かる。つらいよね。うんうん」と言った場合、この知人は本当に分かってくれているんだな、と思うのですか。 他人の心が分かるなら、その方は人間ではなく神に近い存在です。 しかし、他人の心を分かろうと努力する姿勢を私は否定したりしませんでした。 私も人の心を持った人間だから。 >勝手に分かった気になって同情されることについてどう思いますか。 分かろうと努力しつつ私の事を心配し、自らの心を痛めているのであれば有り難く感じつつ、申し訳ないと思います。 >自殺を考えるほど絶望している人間がTVのインタビューを受けるでしょうか。 普通、受けます。 私が受けた講義では自殺者の80%以上は誰かに話を聞いてもらい、そのうえで自殺を止められることを望んでいるそうです。 >足を失った直後はそっとしていてほしいと思っていたあなたの目から見て、TVインタビューを受けた彼は奇異に写りませんでしたか? 見てません。 が、彼が気丈に振舞っていようとも奇異に感じることはありません。 >あなたの経験からの想像と、彼のとった言動はかけ離れていませんか。 かなり近いです。 私の場合、気丈に振舞う対象は切断の翌日に現場検証に私を集中治療室から連れ出した無神経な警察でしたが。 >それでも彼の今の気持ちがよく分かると言い切れるのですか。 言い切れません。 幾百もの彼の心情を想像することはできます。 そこが(健常者障害者以前の)一つの想像に縛られ、他者の意見が耳に入らなくなっているご質問者さんと私の一番の相違点です。 >あなたが思っているほど彼は絶望していないのではないですか。 私が想像するA01パターンよりは絶望していないかもしれませんし、私が想像するZ93パターンよりは絶望しているかもしれません。 >あなたの心の奥底には、足を失った彼が絶望していて欲しいと言うダークな願望があるからこそ、そう思ったのではないですか。 他人が絶望して自殺したニュースを見るのが楽しみですか?と他人に訊くことができる人としての心が欠けたと考えられるご質問者さんとは私は残念ながら違います。 姿かたちは同じ種に見えても・・・。 この差はご質問者さんの周りにいる方と私の周りにいる方の差のようにも感じます。 ご質問者さんも足一本切断されたら見えてくるものもあるでしょう。
お礼
回答ありがとうございます まず、私は回答者の方と論争したり論破してやろうなどとは全く考えておりませんので思っていることを素直にお答えいただければと思います。 あなたが何を警戒しているのかよく分かりませんが、警戒しすぎるあまり、うやむやな答えになってしまうようでは結局何が言いたいのか分からなくなっています。 一点だけに絞って再確認させていただきますと、 >>それでも彼の今の気持ちがよく分かると言い切れるのですか。 >言い切れません。 >幾百もの彼の心情を想像することはできます。 要するに、彼の今の気持ちがよく分かるのでしょうか、分からないのでしょうか、どっちなんでしょうか。
- white_catcat
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#15です。 お礼回答いただきましたが、反論が飛躍しすぎていますね。 >彼が片足を失って落ち込んでいて欲し い、絶望していて欲しいと思ってはいませんか。 私のコメントのどこからこんな考えが読み取れますか? 結局ご自分の意見が幼く誰からの受け売りだから、反論もズレたものになるのです。 私が彼に共感しているかどうかも、ここでは関係のない話です。 彼の心情がどうこうではなく、アナウンサーひいてはあなたの考え方が押し付けがましいといっているのです。 人は落ち込みたいときは落ち込めばいいし、前向きになれるなら前向きになったらいい。 そういう心の自由を持っているのです。 あなたは聞いたことがありませんか? 「頑張れ」という言葉が時にひどく人の心を傷つけるという話を。 結局相手の心情を考えず自分の気持ちを押し付けているだけなのです。 それを受け止めなければいけない人間の心持、考えたことがありますか? アナウンサーの質問は、そういうものをすべて無視した大変失礼なものだと思います。 だから叱責されて当たり前なのです。
お礼
あなたの本音をお聞きしたいと思っていますので 多少言い回しが失礼になることはご容赦いただくとして 下記で違うのであれば、何がどう違うのか教えてください。 インタビューに腹立たしく思ったそうですが、それは、インタビューの質問が足を失って絶望している人間に聞く内容ではない、と思ったからではないですか? 彼が絶望していると思っていたということですよね? どうして絶望していると決め付けたのでしょうか。 それは、あなたの心の奥底に、彼が絶望していて欲しいというダークな願望があったからではないですか?
NO4です、お礼拝見しました。 >ありがとうございます。 >確かに報道のありかたについても重要だと思いました >片足を失って絶望していて欲しいと願っている視聴者に迎合するのであれば、当たり障りの無い質問をするのだと思います。 あの、一言言わせていただくとしたら、私はあえて過激な回答にならないように配慮して回答しました。 それで今新たに思ったのは質問者さんの >片足を失って絶望していて欲しいと願っている視聴者に迎合するのであれば これはどういう意味なのでしょうか。 どこのだれがその事故で片足を失い悲嘆にくれているという未来ある若者に、 なぜ >片足を失って絶望していて欲しいと願っている視聴者に迎合するのであれば こんなことを考えたりするのでしょうか? あなたがもし同じ立場になれば、初めてその若者本人の気持ちが理解出来るのではないですか? またご家族や今回の地震で被災した人の気持ちがわかるのではないでしょうか? あなたやあなたの身内が同じ目にあったとして、同じようなインタビューを受けて、はいそうですと思うのでしょうか? どれほど勇気を振り絞ってインタビューを受けたのか、その気持ちをあなたはわからないのですか? わかるにはあなたも同じ目にあえば痛いほどわかりますよ。
お礼
本音の部分を聞きたいと思いますので多少失礼な言い方になるかもしれませんが。 >片足を失い悲嘆にくれているという未来ある若者に・・・ そこなのですが、何故、彼が悲嘆にくれていると決め付けるのですか。 それはあなたの勝手な想像ではないですか。 自分に置き換えて考えれば、本当に分かると言い切れますか。 あなたと彼は、生い立ちも違えば育った環境も違うし性格も価値観も違うし、会った事さえないのに、本当に彼の気持ちが分かるのですか? 私には、他人の気持ちが分かると平気で言い切る人の気が知れません。 あなたが超能力者で人の心が読めるというなら話は別ですが。 悲嘆にくれている人間がTVの取材に応じると思いますか? あなたが思っているほど彼は悲嘆にくれていなかったということではないでしょうか。 どうして、分かりもしないことを勝手に想像して決め付けるのでしょうか。 それは、あなたも気づかないあなたの心の奥底こにダークな願望があるからではないですか?足を失った彼が悲嘆にくれていて欲しいという。。。 そうした視聴者に迎合するTVインタビューをするのであれば、当たり障りの無い質問をするのだと思います。
- wret615
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よう分からんけど、絶望とか決めつけて挑発するよなお礼を、コピペで連発されてもなあ。
お礼
>絶望とか決めつけて・・・ では彼が絶望していないと思っているのですか? そう思うのなら何故インタビューの質問が失礼極まりないと思うのでしょうか。 絶望していると思い込んでいるからこそ、失礼極まりないと感じたのではないですか?
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
#5です。 お礼を折角頂きましたが、ご質問者さんの想像は私という経験者が実際に感じたものと全くの逆のものでした。 「他人の不幸は蜜の味」と簡単に考えるのはご自身の気持ちの表れではないですか。 私が出会った多くの他人は私の気持ちが落ち着くまでそっとしておいてくれましたよ。 (1人や2人といった少人数の話ではありません。) >何しろまだ若いのですし生きて帰ってこれたのですから。 本当に想像できないのですね。 私は当時、「立ち直りが早い」と名が一部で売れていたため同じような怪我をされた方のご家族に頼まれて、何人かの障害者となった方とお話させてもらったりしていましたが私が訪ねる前に足一本で絶望して命を絶った方もいました。 あと、私と彼の似た点がもう一つあって二例とも切断の瞬間に意識があったことです。 私の場合は既に千切れた足一本を自分の意思で、自分の腕で抱えて救急車で運ばれながら心中では「この肉塊はもう元に戻らないだろうな」という諦めが確かにあり、彼もそこで切断を自らが覚悟しなければならない状況だったと聞いています。 無意識のうちに失ったのに比べるとショックは幾分少ないそうです。 ただ、その修羅場を経験し既に彼が絶望を感じていないとすれば、その後に続くご質問者さんが想像する彼の心情は彼を侮辱した非常に失礼なものです。 それだけ強い心を持った彼が自分を気遣ってくれている人間に対して「同情している」などと卑しい見方をするわけがありません。 むしろ、気遣ってくれる優しい心を持った方にも早く楽になってもらおうと考えるでしょう。 彼が他人の言葉でいじけるなどと、五体満足で安全地帯から見下しているご質問者さんに言って欲しくありません。 想像力の欠如、健常者の弱い部分が大きすぎると感じました。
お礼
突っ込んだことをお聞きしたいので多少失礼な言い方になるかもしれませんが、 違うのであればどこがどう違うのか教えてください。 例えば 足を失ったあなたに対し健常者の知人が知った顔で「分かる分かる。つらいよね。うんうん」と言った場合、 この知人は本当に分かってくれているんだな、と思うのですか。 勝手に分かった気になって同情されることについてどう思いますか。 あなたは何か勘違いをされて私に怒っているようですが、私は彼が絶望していないとは思っていません。絶望しているかどうかは分からないが絶望していて欲しくないと思っているのです。 自殺を考えるほど絶望している人間がTVのインタビューを受けるでしょうか。 足を失った直後はそっとしていてほしいと思っていたあなたの目から見て、TVインタビューを受けた彼は奇異に写りませんでしたか? あなたの経験からの想像と、彼のとった言動はかけ離れていませんか。 それでも彼の今の気持ちがよく分かると言い切れるのですか。 あなたが思っているほど彼は絶望していないのではないですか。 あなたの心の奥底には、足を失った彼が絶望していて欲しいと言うダークな願望があるからこそ、そう思ったのではないですか。
お礼
ありがとうございます 挙げておられる例は、いずれも同じ時間をすごした人同士の話ですよね。 あなたがNZの地震で同じ建物の瓦礫の下で彼と同じ時間を過ごしたというなら、例としては成立しますが。 こうした無関係な例を挙げてしまうのは、後付で理由をこじつけようとしているからではないでしょうか。 要するに 「彼の気持ちは正確には分からないが、近似の経験を持っていれば持たざる者よりは分かると思いたい。」 ということだと思いましたが違うでしょうか。 なぜ理由をこじつけてまで否定したいのでしょうか。何を恐れているのでしょうか。