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フジTVアナが被災者に失礼極まりない質問?
ニュージーランドで発生した地震で右足を失った被災者に対し、フジ大村正樹アナウンサーが失礼極まりない質問をしたとして視聴者から抗議が殺到しているようです。 『右足が切断されると知った時どんな気持だったか』 『もうスポーツができなくなることについては、どんな気持ちか』 と本人に質問したことが人々の怒りを買っているようです。 ですが。。。 そんなに怒るような質問でしょうか。 本人や家族が怒るならまだしも、なぜ部外者が怒っているのでしょう。 彼はこれから否応でも片足で生きていかなければならないのです。 片足という現実から逃避するのではなく、片足であることに面と向かいあい、受け入れ、前向きに生きていくべきで、卑屈になったりイジケたりする必要は無いのです。 ですので、当たり障りの無い質問をする必要などなく、大村アナのようにストレートな質問をしても問題ないと思います。むしろ妙な気を使わずに質問するというのが、片足を失った彼に対するやさしさだと思います。 怒っている人たちは、片足になったことを気の毒に思っている、哀れんでいるから怒るのだと思います。 「哀れみ」は裏を返せば「蔑み(さげすみ)」です。 普段から障害者を蔑む気持ちがあるからこそ、片足を失ったことを気の毒に思うわけで、それが今回の怒りになっているのだと思います。 逆に言えば大村アナには障害者を蔑む気持ちが無いからこそこのような質問ができたわけです。 大村アナと怒っている人たちのどちらが酷い人間なのかを良く考えて欲しいと思います。 と私は思いますが皆さんはどう思いますか。
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- altelroom
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「人の不幸は蜜の味」という言葉を知りませんか? 日本人は世界的に見てもこの傾向が強いと思います。 大村さんは足を切断した学生の不幸を自分の仕事のネタにしようとした。 これは不幸を利用しています。 他人の不幸が大好きなんですね。 また、ネット上で大村さんを叩いている人たちも、 失言をしてしまった大村さんの不幸に群がって蜜を吸っているのです。 みんな他人の不幸が大好きで仕方ないんですよ。
- P180
- ベストアンサー率30% (149/487)
放送は見ていませんが、被災直後の色々な面で気持ちの整理が付いていない時ではタイミングが悪い質問だと思います。 No.5さんの回答にあった様に、片足が無くなったことを本人が現実として認め、受け入れ、消化できた時になって初めて出来る質問でないでしょうか?
お礼
ありがとうございます 例えば、 彼は周りが思っているほど絶望していなかったとします。 ですが、周りの人間が彼が絶望していると勝手に決め付け「かわいそうに」とか「たいへんねぇ」とか同情され続けていると「ボクはかわいそうな人間なんだ」と感じるようになりやがてイジケていくのではないでしょうか。。要するに彼を絶望させ不幸に貶めるのは足の切断ではなく周りの人間の同情なのだと私は思っています。 不幸に感じるようになりやがて諦めがついたときが、あなたの言う消化できたときなのではないでしょうか
- Lupinus2
- ベストアンサー率26% (1802/6710)
私も身体障害者です。 とは言うものの、関節を人工の物に取り替えただけで、見た目も生活も普通なので、そこまで切実ではありませんし、 受傷からサイボーグ化まで時間があったので、気持ちを整理する時間もありました。 そのインタビュー、番組は見ていませんが、ニュースで前後の文を読みました。 腹が立ちましたね。 突然の不幸で足を失って、笑ってられる人はいないでしょう。 インタビュアーは、彼を泣かしたかったんじゃないですかね。 そこで号泣でもしてくれれば、番組的においしいとでも思ったんじゃないですか? 嫌がらせとしか思えませんでした。 災害被災者を、メダルを取り損ねたオリンピック選手か何かと勘違いしているんじゃないでしょうか。 バラエティー番組の芸人とでも思っているんじゃないでしょうか。 被災者をいじって楽しいのか! 本気で気分が悪いですね。
お礼
ありがとうございます 私には被災者を笑いものにしようとする意図は感じませんでした。
- kagidfigiskwho
- ベストアンサー率29% (33/111)
私はその時のニュースを実際に見ていました。 確かに質問自体も被害者にとったら酷なものだと思います。傷をえぐるような。しかし、アナウンサーと言った仕事上、そういった質問をすることは仕方がないとも思います。 それより私が気になったのは口調と態度でした。『辛いだろうけどごめんね。話してもらえるかな?』といった態度ではなく、ただ質問する、『あ~そう。』と言った返事など冷たい態度でした。 もう少し相手の気持ちを考えて言葉や態度に表してほしいと思いました。 確かに部外者ですが、被害者やその家族の方の気持ちを考えると…怒るのもわかる気がします。 もう少し言葉を上手くつかっていたら、態度から申し訳ない気持ちが伺えたら、同じ質問でもまた印象は変わっていたと思います。
お礼
ありがとうございます 彼が片足を失ったことで絶望し不幸に感じているのであれば、今回のインタビューは確かに不適切だったと思います。 しかし、彼は絶望していると言い切れるでしょうか。 どうして絶望していると決め付けるのでしょう。 絶望していて欲しいのでしょうか。。。 私には足を失った人の気持ちを簡単に想像することはできません。 想像はできませんが、絶望していて欲しくないと願っています。
- wret615
- ベストアンサー率34% (133/386)
何やらヘンな記号が入ってもうた。 違う?て書こうとしたんやけど、しくじったわー。すまんのー。
お礼
ありがとうございます
- wret615
- ベストアンサー率34% (133/386)
ほうかのー。怒るんは、被災者の彼に共感しはったためと思うけどなあ。 つまりな、私が片足失ったらどないな気持ちになるやろ感じて、えらい悲しくなったとこで、アナウンサのブシツケな質問にカチンときた。そんなんと違う? みんな何かしら不健康な部分持ってるもの、五体満足て自覚もないように思うで。そないに自信ある人少ないのと違う>」せやから、五体満足の上から目線で憐みて、違和感あるなあ。 前の回答の書き起こしはほんまもんかね?書き起こし読んでも、気配りの足りん聞き方やと思うなあ。ジャーナリストは聞き難い質問も聞かなあかんいう使命感を持ち過ぎて、心遣いどっかに置き忘れた人のようにも思えてしまう。 たぶん生放送やろ、瞬間で言葉選べんかったかもしれへん。ただ、瞬間に出てくる言葉て、その人の根っこが見えることあるもの。 どちにしても、その放送を直接見てへんもの、憶測で話すよりないなあ。
お礼
ありがとうございます 共感とは、絶望している彼に共感する、と言うことですよね そう考える人たちにとっては、インタビュー内容は絶望している人に向けて聞くような内容ではありませんので、失礼極まりないと感じるのは当たり前のことです。 しかし、彼は絶望していると言い切れるでしょうか。 どうして絶望していると決め付けるのでしょう。 絶望していて欲しいのでしょうか。
質問文にある、 『右足が切断されると知った時どんな気持だったか』 『もうスポーツができなくなることについては、どんな気持ちか』 というような淡々とした感じのインタビューだったら、 あっさりしてるので、 それほど嫌味でもないかなと思ったけど、 No.1さんが書いてる、 実際のインタビューの様子を読むと、 「ちょっと失礼かも。。」と思ってしまいました。 あと、私は健常者なので 実際の障害者の人の気持ちはわからなかったけど、 No.5さんの回答を読み、 「そうなんだ。。」と、 新たな発見がありました。
お礼
ありがとうございます 私は逆に、たんたんとしたやりとりから、彼は視聴者が期待していたほど絶望はしていないと感じました。
大村某って フジの社員じゃないけどね フジテレビに怒られるんじゃないの?あなたの書き方は。 どういう流れで あのインタビューになったのか わからないので 正確なところは知らないけど たかがワイドショーのインタビューで 聞く必要のない内容だとは思うけどね。 あなたはあの質問に対して何かメリットを感じるのか? >「哀れみ」は裏を返せば「蔑み(さげすみ)」 そんなもん 私見に過ぎない
お礼
ありがとうございます 私はあのインタビューにメリットなど何も求めていません 違和感は感じないといっているのです。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
片足の無い障害者(偶然ですが彼とほぼ同じ部位で切断です。)です。 正直な所、ご質問者さんと件のアナウンサーさんに「無神経だな」と感じました。 片足が無くなったことを本人が現実として認め、受け入れ、消化できるまでは他人が軽々しく触れるべきではありません。 片足が無くなったことは気の毒なことです。 私だって無くなって「わーいヽ(^o^)丿片足がなくなったぞ!」と喜んだりはしゃいだりはしませんでした。 一本無くなれば確実に身体能力は下がります。 他人が簡単に「向き合え」「受け容れろ」「ポジティブに考えろ」などと言っていいとは思いません。 昨今の論調で「障害者を特別扱いしない」が正しいみたいになっていますが、これは私的には「何もしない連中の言い訳」だと思っています。 蔑んでいるから哀れむではありません。 相手が足に障害を抱えているなら歩みの速度をゆっくりにする。 これだけのことができない方が「私は障害者を特別視しない」と言っているのを見ると滑稽に感じますね。 そのくらい多くの男性は彼女とのデートの中で「彼女のほうが歩幅が短いから」と蔑んだり哀れんだり特別視することなく、自然に持ち前の優しさだけで実行しているというのに。。。 想像力の無い健常者にならないで困っている人を見たら自分を正当化するための小難しい論を考える前に手を差し伸べることができる人になったほうが人生楽ですよ。
お礼
ありがとうございます 私の考えをストレートに書きますと、 インタビューが無神経だと感じる人は、彼が片足を失って絶望していると決め付けているのだと思います。というよりむしろ彼が絶望し不幸になっていることを願っているのではないかと感じています。他人の不幸は蜜の味ですから。 そう思っている人たちにとっては、インタビュー内容は絶望している人に向けて聞くような内容ではありませんので、失礼極まりないと感じるのは当たり前のことです。 私は足を失った人の気持ちを簡単に想像することはできません。 想像はできませんが、絶望していて欲しくないと願っています。 何しろまだ若いのですし生きて帰ってこれたのですから。 そう考える私にとっては、腫れ物に触るような当たり障りの無いインタビューのほうがむしろ違和感を感じます。 また、 仮に彼がそれほど絶望していなかったとします ですが、周りの人間が彼が絶望していると勝手に決め付け「かわいそうに」とか「たいへんねぇ」とか同情され続けていると「ボクはかわいそうな人間なんだ」と感じるようになりやがてイジケていくのではないでしょうか。要するに彼を絶望させ不幸に貶めるのは足の切断ではなく周りの人間の同情なのだと私は思っています。
こんばんは。 現実に起きている状況をTVで見ている人・私も含めこんな状況だとわかっていて、良くそんな事が聞けるなっていうのが本音なんではないでしょうか。 配慮に欠けると捉えての抗議の電話だと判断しているからでしょうね。 ただアナウンサーに求めるものは何か、ここが今回難しいとこなのではないですか。 必ずしも今回のケースだけで無く、ワールドカップでPKをはずした選手に対して、インタビューするキャスターには、批難や抗議の話をあまり聞かなかったのは何故なんでしょうね。 そういう状況になってもキャスターは、真実を伝える仕事として捉えているからだと思います。 本人はこころの中では聞きたくないことも気持ちとして持っていても、インタビューせざるを得ないという事も現在の放送業界では日常茶飯事だと感じています。
お礼
ありがとうございます。 確かに報道のありかたについても重要だと思いました 片足を失って絶望していて欲しいと願っている視聴者に迎合するのであれば、当たり障りの無い質問をするのだと思います。
お礼
ありがとうございます それに加え、彼が絶望感を味わっていて欲しいと思う視聴者も、他人の不幸が大好きなのだと思います。