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教師が好きになれない教師。向いてないのかな。
私は小学校教諭をしています。 子供は好きですが教師はどうも好きになれません。学校という世界には失望しています。 学校は所詮きれいごとと教師の自己満足の世界です。同僚の先生たちは皆優しくていい人たちです。でも子供のため子供のためと言いながら自分の価値観を子供に押し付け、それに何の悩みも疑問も抱かず、自信たっぷりに教師を天職だなんて言える姿を見ていると、教師とは単なる説教好きの偽善者に思えてきます。 子供に正しい生き方を教えられるほど、自分は立派な生き方をしてきたんか?!教育について自信をもって語れるほど自分は立派な人間なのか?!子供を洗脳することが教育なのか?!って突っ込みたくなります。職員会議なんてひどいもんです。くだらなすぎて意見を言う気にもなれません。 もちろん教室で子供の前に立つ以上、教育に対するある程度の信念と自信がなくては、少なくてもそういう振りをしなくては子供を引っ張ることはできません。私も子供を叱ったり説教したりします。でも常に自分が絶対正しいなんて思っていません。そこまで私は偉い人間ではありません。子供も気に入らないときは私に「気に入らない」って言います。時には子供と喧嘩しながら、正しいと思われる答えを一緒に探していこうって思っています。 子供のことは本当に好きだし、子供を信頼しています。でも教師がどうしても好きになれない。先生と呼ばれたくないし自分を教師だと名乗りたくない。 こんなひねくれた私はやっぱり教師には向いていないのでしょうか?転職を考えたりする今日この頃です。ご意見アドバイス、何でもかまいませんのでお願いします。
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- sponta
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小学校3年生の娘を持っている父親です。 ばかのたわ言と思っての発言をお許しください。 ☆学校は所詮きれいごとと教師の自己満足の世界です。同僚の先生たちは皆優しくていい人たちです。でも子供のため子供のためと言いながら自分の価値観を子供に押し付け、それに何の悩みも疑問も抱かず、自信たっぷりに教師を天職だなんて言える姿を見ていると、教師とは単なる説教好きの偽善者に思えてきます。 問題は、自分の価値観を他人に押し付ける傲慢さではなく、自分の確たる価値観を持っていないこと。 もしくは、指導書や教育委員会などの傀儡となってしまって、目の前の子供と対峙しないことです。 教員がマクドナルドの店員と同じように、マニュアルで動いている。そういうことを感じることがあります。 ☆子供に正しい生き方を教えられるほど、自分は立派な生き方をしてきたんか?!教育について自信をもって語れるほど自分は立派な人間なのか?!子供を洗脳することが教育なのか?!って突っ込みたくなります。職員会議なんてひどいもんです。くだらなすぎて意見を言う気にもなれません。 人間は死ぬまで何かに向かって悩みつづけ、努力をしつづけるもの。 ですから、自分の拙さを捨象して他者に教育をしてもいいのです。 ただ、自分が拙い人間であるということをこどもに伝えるておくことが人間としての誠意だと思います。 人が人として、人と接する。そのことを忘れてしまうと、洗脳になるのでしょう。 ☆もちろん教室で子供の前に立つ以上、教育に対するある程度の信念と自信がなくては、少なくてもそういう振りをしなくては子供を引っ張ることはできません。私も子供を叱ったり説教したりします。でも常に自分が絶対正しいなんて思っていません。そこまで私は偉い人間ではありません。子供も気に入らないときは私に「気に入らない」って言います。時には子供と喧嘩しながら、正しいと思われる答えを一緒に探していこうって思っています。 子供のことは本当に好きだし、子供を信頼しています。でも教師がどうしても好きになれない。先生と呼ばれたくないし自分を教師だと名乗りたくない。 こんなひねくれた私はやっぱり教師には向いていないのでしょうか?転職を考えたりする今日この頃です。ご意見アドバイス、何でもかまいませんのでお願いします。 わたしは、教育においても重要なことはコミュニケーションだと思います。 つまり、教育が情報の伝達だとしても、そこで最も重要なことは、情報の内容そのものではなく、感情情報だと思うのです。 娘が3才の頃、1足す1は2? それとも3? という問題を出しました。 それに対して娘は、それを算数の問題としてではなく、2と答えれば親が笑顔を見せるということで、答えを出しました。 つまり、教育においても、重要なのは叱ることではなく、怒ることだと思うのです。 しかし、相手とコミュニケーションがとれている確信がなければ相手を怒ることなどできません。 子供を愛することがまずあって、その先にさまざまなコミュニケーションがすすんでいく。 そういうことなのだと思うのです。 結局のところ、こどもを愛すること。そのことの欠如が教員たちの振るまいのすべての根源であると思えてなりません。 池田小の事件についても、問題は学校に部外者を入れないとか、防犯システムの問題ではなく、最初に犯人に接した女性教員が逃げた。そこに被害者を増やした原因があるのです。そのことに振れずして、防犯システムや護身術を習う。 求められるのは他者を愛すること。そして、他者のために生きることだと思うのです。 では、なぜこどもたちを愛せないのか。 それは、自分の人生を愛せていないから。 と。 誠実な生き方。潔い生き方。 そういう生き方になかなかめぐり合えないもの。 教員という仕事が人間の営みにおいて根源的なものであるからこそ、そういう人間の薄さが見え隠れしてしまうのでしょうね。 どんな職場にも薄い生き方をしている人はたくさんいること。 そのことを承知の上であれば転職するのもよいかもしれません。 そのこと
こんにちは。 私は,来年子供が小学校に上がるのですが, いろんな先生がいて欲しいです というか,いろんな先生がいると思います 先生という りっぱなお面を被ってる人もいるでしょうし, 普段どおりの自分の生き様をぶつけてくる先生もいるでしょうし. 自分が堂々としていれば, 先生といわれようと,教師といわれようと, 00さんと名前で呼ばれようと,いいとおもいます 私の学校でも,「正義」,が口癖だった先生が不倫してたり, ひき逃げみたいな事をしたり,そういうことありました。 教師同士のいじめがありそうなのも,子供は気がついてましたよ. 先生=聖職者だなんて本当に信じてもいなかったんじゃないでしょうか。 子供は意外に見てます.ごまかせないです。 子供と真剣勝負ができたら,それでいいんじゃないかな?と思うのですが.それは わたしが、部外者だからかもですね. ちなみに,私は,『若い(?)お母さん』です. しょっちゅう,「全くいまどきの若い母親は」というフレーズを耳にしますが, 自分のこととは思っていません.当てはまる指摘だけを聞きますが,後の的外れな決め付けに惑わされると損だと思うので. 蛇足ですが,先生にいろんな人がいても良いんです, その代わり,子供も一人一人違うんだという事を認めて欲しいです. 親として先生に求めるのはそんなところです.
お礼
ご回答ありがとうございます。「教師にはいろんな人がいてもよい」その通りだと思います。教育の成果って形に残るものじゃないので、結局、誰のやり方が良いとか誰が優れた教師であるとかって判断するのが難しいんです。塾だったらテストの成績だけで判断できますけど学校はそうもいかない。厳しい先生のクラスで子供は一見素直な良い子に見えても陰で悪さをしていることもあるし。だからみんな自分のやり方に絶対的な自信をもっていて、それが本当に良いかなんてことに迷いも疑問も抱かない。そこが不思議なんです。なんでみんなそんなに自信があるんだろうって。結果なんて誰にもわからないのに。職員会議だって妥協するってことをしないから延々続きます。話し合いなんていうより、自分の意見の押し付け合いに近いです。難しいですね。
まず、子供ってそこまでアホじゃないんで、「洗脳」しようとしてる先生ってのは ちゃんと嗅ぎ分けるんじゃないですか? 洗脳って言葉をあえて使えばですけど。 ただ、くだらない先生がいる→子供に教えられる立場か→自分も同じじゃないか っていう思考の流れはちょっと早計かもしれませんよ。 先生がたくさんいて、それが全部自分の理想に適わないのは当然で、そんなごちゃごちゃ したなかからおのずと子供一人一人の人格が出てくるんでしょう。理想的な先生に囲まれて純粋培養されたような 子供なんて今日び珍しかないですか? 大事なのは自分がどうしたいのかを実行することだと思いますよ。 職員会議だってちゃんちゃらおかしいと思うなら、そう発言しなくちゃ始まらない。 たぶん、生徒の立場からしたら明らかに理不尽なまでに おかしい先生じゃなければちゃんとそこそこの距離でつきあってくでしょう。 あくまで生徒に一番重要なのは生徒であって、先生じゃない。先生なんてそこそこで当たり前。 だからこそ「恩師」ってのが際立った存在になるんじゃないですかね。
お礼
ご回答ありがとうございます。低学年、中学年の子供のとって先生って存在はまだまだ絶対的です。簡単に洗脳できます。子供って無条件に先生のことが大好きですから。怖いくらいに。洗脳っていうと言葉は悪いですけど、教育なのか洗脳なのか区別が難しいところです。高学年になるとあの先生は好きじゃないとか悪口も言えるようになるのでいいんですが。反抗したりするんで疲れるっていえば疲れますけど。別に私がどうしたいってわけではないんですけど、教師が何の迷いも疑問も抱かずに自分が正しいって子供の前で教師をやれることが不思議なんです。中学生や高校生相手ならもっと気が楽かもしれません。
- otamasaki
- ベストアンサー率35% (12/34)
yukari178さん、まだお若いとお見受けしました。学校という世界に失望、転職を考えているというのが気になります。こういう時は、初心に帰って考えるのが一番でしょう。yukari178さんは、教師のために教師になろうとしたのではないと思いますよ。教室で子供の前に立つ以上、教育に対するある程度の信念と自信がなくては、少なくてもそういう振りをしなくては子供を引っ張ることはできませんという教育信念も持っておられる。文面からは、そういう人こそ教師として必要な人材だと思いますよ。考え方を前向きに持って職にあたりましょう。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。確かにまだ若いです。私が教師になろうと思ったのは、悩んでいる子、弱い子、くじけそうな子の力になってあげたかったからです。私自身がそういう子どもだったので。物事を一方的にしかみようとしない偉そうな教師が子供の頃、大嫌いでした。今の職場の先生たちはみんな基本的には良い人です。でも学校という世界を斜めに見てしまう自分を変えられない。そんなひねくれた自分がちょっと悲しいです。
- massie
- ベストアンサー率17% (46/265)
yukari178さん、あなたの文を読んでいると、あなた自身もそうなってしまっているんじゃないかと感じますよ。「やさしくていい先生」の中から学ぶべき何かを見つけ出せませんか?「洗脳するのが教育なの?」と思うのだったら、その気持ちを先輩にぶつけてみたらどうですか?なぜあなたがそう感じたのかをきちんと説明すればきっと答えてくれると思いますよ。 教師というのは人が変わることを信じる仕事じゃないんですか?子どもは信じられるけど、大人はダメ。あなたが信じた子どもたちも大人になっていくんですよ。あなたにあこがれて教師を目指す子も出てくるでしょう。そのときその人に何ていうんですか? 「意見を言う気にもならない。」なんて斜に構えて冷めていないで、もっと自分をぶつけていったらどうですか?あなたがぶつければ必ずそれ以上のものが返ってくると思います。今のあなたは、どこかで「自分だけが正しい先生」と思っているんじゃないですか?それでは子どもたちに「価値観を押し付けている教師」と同じです。 価値観も持たず、上の言うことばかりきいて、子どもよりも自分を優先する・・・。そんな教師ばかりの学校もありますから。「子どもが大事」が大きな流れになっている学校なら、きっとあなたの思いをしっかり受け止めてくれますよ。
お礼
早速のアドバイスありがとうございます。まさにあなたのおっしゃる通りです。同僚の先生たちが決して嫌いなのではありません。純粋に子供が好きって人たちばかりですから。学ぶこともありますしとてもお世話になっています。でも、あなたの言うように、学校という世界、教師という人たちを斜めから冷めた目で見ている自分がいるんです。そしてこういう自分はやはり向いていないんだろうなと。他の先生たちのように熱く純粋になれたらどんなに楽なのにって思います。でもこれは性格や育ってきた環境によるものなので自分では仕方ないかなって思うんですが。メリットがあるとすれば、同じように斜めに見ている子供たちの気持ちを分かってあげられることかな。
- slippinegg
- ベストアンサー率36% (423/1150)
酒好きは、いい酒屋とは言えないそうです。 酒に酔ってしまっては、商売にならない、という事でしょうね? その代わり、酒が飲めない人よりは、 酒屋に対しての愛情も深いでしょう。 悪い面があるとしたら、そこに拘りや、固定概念が強くあると思います。 酒嫌いは、酒に対しての愛情に限れば、酒好きよりは悪いかと思います。 でも、酒を売る、という職業を、冷静に、客観的に見る事ができるでしょうね? 自由な発想もしやすいでしょうし、酒に固執してしまった人間にできない事ができるでしょう。 その代わり、酒好きにしかわからない、酒の薀蓄は、語れないというデメリットがあるでしょう。 どちらがいい酒屋か、と言われれば、 それは私にはわかりません。 それが自分の旦那で、 商売が生活に結びつくなら、 後者がいいな、と思いますし、 自分が酒が大好きで、 そういう心意気を感じられる店で買いたい!!と願えば、 前者の酒屋が遠くとも、 足しげく通うかもしれません。 正しい、とか、適している、なんて、 誰にも判断できないと思います。 そういう考え方や、選択肢を増やしてあげられるのが、 教師という職業なんじゃないんでしょうか? 相反する意見も、偏った意見も、 子供の頃は、それがなんなのかさえ、理解する事ができません。 大人にとっては当たり前になってしまった、 善悪、常識が、すべて公平な目でしか、捉えられません。 それが良い方向に傾く事もあり、 悪い方向に傾く事もある。 それに気付いてあげられるのも、教師なんではないでしょうか。 酒を好きでないからこそ、画期的な経営ができる酒屋さん。 私はいてほしいですけれども。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。的を得たアドバイスにすごく頭の良い方という印象を受けました。教師になる前は「私みたいに冷めた教師が一人くらいいてもいいじゃないか。教師らしくない教師を目指そう。」ってそれなりに張り切っていたのです。でも実際なってみると、学校を斜めに見てしまう自分、教師集団の中に溶け込めない自分がちょっと辛く、他の先生たちみたいに熱く純粋になれたら楽なのにな~って思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。職場の先生たちはみんな子供のことが好きだと思います。まあ、子供のために命を落とせるほど好きかどうかは分かりませんが、それでも好きじゃなければとてもやってはいけないです。子供はまだ未熟なもの。だから物事の善悪を教師や大人が教えていく必要はあると思うんです。だけど子供の前ではたとえ偉そうにしていても、自分だって完璧な人間じゃない、自分の価値観が必ずしも絶対ではないということを教師はみんな忘れてはいけないと思うんです。だけどほとんどの先生たちはみんなそのことを忘れてしまって自分が正しいと心から信じている。みんなと仲良くなんてできるわけないのに、みんなと仲良くしましょうって子供に教える矛盾に気づきもしない。私もそのうち慣れてしまうのかな。。