- ベストアンサー
お礼の文には、質問者の本質が表れやすいものですか?
お礼の文には、良きにつけ悪しきにつけ、その質問者の本質が表れやすいものだと感じることがありますか?
- みんなの回答 (13)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
感じます。 たとえ短い文章であっても、そこにはなにかしら書いた人の本質が見えるものです。質問文はそれでも、一応儀礼的にも丁寧な文章にまとめようとする、それはことに日本人に共通したひとつの本質だと思うのです。 ところが同じ文章でも、お礼ともなると、まず幾分気が緩みます。なぜなら、書き込む内容がかならず寄せられた回答に対してのものであるために、書き込む側にとって書き込む内容があらかじめ明快に頭に浮かぶからだろうと思います。 まして、質問や回答の書き方には結構厳しい管理スタッフの目も、なぜかお礼の文章にはあまり規約に拘泥していないようにさえ見うけられますから、自然、書き込む内容も、そして文体も、さらには誤字脱字や誤った言葉遣いなどにも、全体に気楽さが、言葉を変えれば、スキが滲み出るものです。そして、そこに、書いた本人の本質、つまり、知性や性格、社会性やマナー意識、そして思い込みや思い入れなどと、いわゆる…人となり…が透けて見えるのだと思います。
その他の回答 (12)
- ライフ *゚+。(σ‐σ)。+゚*(@InTheLife)
- ベストアンサー率54% (338/622)
質問も回答もしたことがある者です。 私の場合、お礼の文章には自分の本質が現れているし、また現れやすい方だと思います。 本質というより、素の自分…といった表現が近いかも知れません。 回答を書き込む場合は、目指す質問内容という「対象」を予めハッキリさせた上で、推敲にも自分の好きなだけ時間を割けます。 だけど、お礼の場合、予め想定しえない回答内容への感想を、回答者をなるだけ待たせないよう配慮しながら文章にしなくてはなりません。 だから、身構えるだけの精神的・時間的余裕があまりない分、わりと普段の自分の姿が文面に出てしまうのかな?と思います。 ここでいったん投稿した内容は、規約違反でもない限り自分の意思では消すことができないし、お礼は回答者のメールBOXにも届いてしまうものなのだから…と自分に言い聞かせてるんですけど、つい我を忘れて投稿してしまうことが多いです。 自分が書いたお礼は恥ずかしくて読み返せません。 (//∀//) 最近の傾向として、受けた回答に対し、お礼の場面ではそれとなくやり過ごしておきながら、他の質問や回答を通してチクリチクリ意見表明する(ように見えてしまう)質問者のかたもわりと目につくように思います。 だから、個人的には「お礼に」というより、「質問を閉じた後の言動に」その質問者の本来の姿に近いものが現れやすいかな?と感じたりもします。 ここで質問していると、書いた質問内容を変に深読みされてしまい、質問文に書かれてもいないニュアンスからの回答(すみません、私自身よくそういう回答をします)が届き、困ってしまうことも時にはありますよね。 何気なく質問しただけなのに、なんだか殺伐とした雰囲気の中、お礼の言葉を考えなくてはならない質問者の立場は、それこそたまったものではないだろうなぁ…と、傍で見ていて同情したくなることもあります。 そんな不本意な場面でも、冷静に言葉を選べる忍耐力を持ち、質問し終えた後も恨み言ひとつこぼすことのないユーザーさんを私は尊敬します。 日頃から相手の立場に立った言動を癖付けていない限り、こういうサイトであってもなかなかできない心配りだと思うからです。 私は、質問者のそうした人間性も「本質」を物語るひとつの材料として数えています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「本質」というよりも「素の自分」という言い方の方が、この質問には合っていそうですね。 お礼の場合には、回答と違って、あまり長過ぎたり話を広げたりするのも考え物ですし、「お礼」という趣旨からしてもサラッと書くのがいいのかもしれませんが、それはそれで素っ気ない感じにもなってしまいますし、悩ましいところです。
- hs1510
- ベストアンサー率27% (443/1640)
有ります。 一応質問文は、不特定多数の方に対して書きますので特定の感情が見られない場合が多いと思います。まあ、中には、最初から挑戦的であったり、悪意の存在している物有りますがね。 一方お礼はその回答(回答者)に対して書きますので、何かしら感情が入り込んでしまうと思います。 そういった点で、質問よりお礼の方に本質は現れていると思います。 どんな失礼な回答に対しても丁寧なお礼(簡単な一言の場合も)を書く方もいれば、売られた喧嘩は・・・ではないですが、同じ様に失礼なお礼をしてしまう方も。 又は、真摯な回答に対してさえ揚げ足取り、批判、難癖、罵詈雑言、誹謗中傷と目を覆いたくなるものも有ります。 ネットだからどんなことを書いても大丈夫と思ってその様な事をするのでしょうから、やはり其処に「本質」が現れていると思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問の段階では、どのような人にどんな回答をいただけるのかが分かりませんし、普通は感情を出すところまではいかないでしょうね。 それが、回答をいただいた段階で、その人との個々の関係が生じるので、感情が出てくることになりますか。 普段の生活では、そのような個々の関係での応答の場合でも節操を守る気持ちが大きいのですが、このような文章でのやり取りでしかも相手との関係が続くわけでもないとなると、そうとは限らないように見受けます。 たとえ隠している本質を出してもそれで本来の生活に影響がない場合に表れてくるものは、実はその人の本質なのではないかと思えてきます。
こんにちわ♪ わかります。 良きにしても悪しきにしてもお礼文で質問者さんの感情があらわれてる事があるので・・・ 本質又は感情が少しもれているのかな?ってお礼文を見かけます。 実際私も質問して同じように感じた人がいるとついつい嬉しくて感情もれてしまう事あります(笑) 逆に失礼な回答だと そっけないお礼文してしまう事も・・・回答ありがとうございました。の一言で終わる事もあるので・・・(汗) 中には質問もお礼文も変わらない人もいますけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問と違い、お礼には何らかの感情が込められやすいものですね。 そして、感情が込められると、それは文章に表れてくると・・・ 質問者にも回答者にも、当然ながら感情はあるもので、その感性が一致すると嬉しくなるのですが、逆の場合はそっけなくなったりします。 時に自制心をなくして、みっともない論争になっている例まで見かけます。
- wret615
- ベストアンサー率34% (133/386)
本質とは思わんなあ。その人の一面。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 「本質」とお書きしましたが、もちろんこのような場所でその人の「本質の全て」が表れるはずもありません。 当然のことながら、「その人の本質の一面」が表れやすいという質問にほかなりません。
皆さん、おっしゃるように、質問は普通なのにお礼の文ではがらりと変わる、という人もいらっしゃるように思います。ただ、それが「その人の本質が現れた結果」か?というと、私にはそうは思えません。それはただ単に「そのときの感情が現れた結果」にすぎないように思えます。 人間ですから、とても楽しい時もあれば苦々しい時もある。腸が煮えくり返る時だってあるでしょう。それがたまたま表に現れたからと言って、「そらみろ、お前の本性なんてそんなもんだ」といわれたのではたまらないでしょう。 もちろん、人によって、カッとなりやすい人もいれば、ぐっとこらえて冷静に書く人もいるとは思います。けれど、それがそのままその人か?というと、そいういうわけでもない気が……。例えば、ここで、つまらぬ悪戯をする人も、生まれてこのかた、ずっとそんな生き方をしてきたわけでもないでしょう。普段は真面目なのに、こういうところではハメを外したくなる人もいるでしょう。わざと普段と人格を変えて演じている人だっているでしょう。 普段はごく普通の人に見えるのに、ここでひどい態度を取る。その同じ人があるときは誰かのために必死に何かをしたりする。人間というのは、そういう矛盾したところを合わせ持つものだと思うのです。ですから、ここで見せる顔は、あくまでその人の一面に過ぎないと思っています。そしてどんな人も、その他に多数の顔を持っているはずと思うのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問は普通なのにお礼の文ではがらりと変わるのは、「その人の本質が現れた結果」ではなく、それはただ単に「そのときの感情が現れた結果」にすぎないように思えるというご意見ですね。 人間が社会生活を送るにあたっては、自分の本質をさらけ出すことは滅多にありませんし、気に触ったりカッとしたりしても、殆どの場合にそれを「法律・儀礼・マナー」といったことで包んでしまいます。 でも、そのタガが外れてしまうと、口論や喧嘩や果ては犯罪ということになりかねません。 その綻びから、その人の本質の一端が出てきてしまうものだと思っています。 もちろんそれはあくまで「本質の一端」であって、「、「そらみろ、お前の本性なんてそんなもんだ」ではなく、「そらみろ、お前の本性にはそういう部分があるもんだ」ということなのではないかと思います。 >普段はごく普通の人に見えるのに、ここでひどい態度を取る。 その点についても、とても興味を持ちます。 と書いた私のこのお礼文は、さて本質の一部が見えるのかその時の感情が強いのか。
- 誠治(SEIZI・SAGE)(@romanda201)
- ベストアンサー率10% (293/2677)
>皆さん来ているので、チョットお邪魔しますね!? お礼に心を込めています 意外かも知れませんが、未来型です 心配な時はドンと書く様にしています 御免なさいと思いながら書く事も 有るんですよ・・?
お礼
ご回答ありがとうございます。 心を込めたお礼文は、回答した側には嬉しいことですし、そのように気遣いが出来るお方なのだというように思うことになります。 御免なさいと思いながら書く場合に、その気持が伝わるようなお礼文だと、それも本質の部分として受け取られそうです。
- cucumber-y
- ベストアンサー率17% (1846/10420)
質問「広く色々な意見を求めています」 お礼「お前のような捻じ曲がった回答はいらんわ!」 質問「乱文乱筆、拙い文章ですがお願いします」 お礼「もっと、文章を読み理解する努力をしろ!」 質問「なんでも気軽に答えてください」 お礼「気軽って言ってんだからなんでも書くなよ!」 カメラマンの近城勇氏が「人間の本質が最も現れるのは怒りの感情を持ったとき」と言っていた通り、お礼のほうが本質だと思います。 いや、私の場合、本質が見たくて怒らせているわけでは無く、ただ単に私の性格が悪いので怒られうことが多いだけですが。^^;
お礼
ご回答ありがとうございます。 また、お礼をしたつもりが漏れておりまして、ご不快になられましたら申し訳ありませんでした。 質問文では寛大な態度であったり、或いはへりくだったりしている方でも、お礼になると豹変するという事例はよく見かけます。 それは当然ながら、回答文の内容に対して不満があるからでしょう。 不満を感じたり怒ったりすると、こういった場所でなくともその感情を隠すことは、たとえ普段は気取った人でも、かなり難しそうです。 「人間の本質が最も現れるのは怒りの感情を持ったとき」とは、事実そうであろうと思います。
それはありますね。 文面のちょっとしたことで、「お役に立てた」かどうかの「満足度」が伝わります。 「どうなんでしょ」といってような内容は、要注意。 場合によっては、「品性」を疑われることもしばしばあります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問文では表れにくいですが、お礼文には回答に対する「満足度」という感情として表れて来る場合もよく見受けます。 その感情の度合いが、使う言葉一つによっては、その人の「品性」という本質に結びついてしまうこともあるので、気を付けたいです。
- kei811
- ベストアンサー率10% (312/2867)
表れやすいかは分かんないけど、表れたりはします。 特に他の似た感じでお礼できるQ&Aサイトでも同じだけど、最後の回答者へのお礼でまとめてお礼することとか。 これにおいては質問者の本質が表れる以外に、お礼の通知がこないと確認しない人多いからそういう人にはお礼できてないことにもなってよくないしね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一つ一つのお礼文の内容ということ以外にも、お礼の仕方にその人の本質が表れることがある分けですね。 >お礼の通知がこないと確認しない人多いからそういう人にはお礼できてないことに という点は、私も気が付きませんでした。まとめてお礼をしたことはありませんが、そういった面にも配慮が必要ということに気が付かされました。
- localtombi
- ベストアンサー率24% (2911/11790)
それは非常にあります。 諸氏の方も言っていますが、質問は丁寧なのにお礼は敵意や悪意がむき出しということがあります。 自分の意に沿わない回答は、トコトン攻撃する感じがあります。 ジキルとハイドですね。 私は敵意や悪意ということはめったにありませんが、そっけないお礼に反省しきりです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 質問の段階から感情的な場合には、お礼文がそうでも成程なのですが、あまりにもその変貌が激しいことがあります。 質問の時には出さない本質面が、自分の意に沿わない回答を見ることでハイド氏が目覚めてしまうのでしょうか。
- 1
- 2
お礼
ご回答ありがとうございます。 人にものを尋ねるのですから、質問文はその尋ねたいことを書くし、そこにはあまり感情を入れないということでしょうね。 手紙文での時候の挨拶もそうですし、討論会での最初のテーマ説明でも同じように儀礼的に始まりますから。 その次に回答をもらうと、回答文に対して感じたことが加わるので、例え「お礼」という項目ではあっても、それだけに留まらない感情が、その人の本質から表れてしまうのも無理からぬことでしょうし。 気が緩むということは、本質を隠そうとする防御機能が緩むことでもあり、いろいろな「人となり」が出やすくなりますね。