観音様について
大変胡散臭い質問ですが、よろしくお願い致します。
私は、とあるお寺に月に1~2回程度、お参りをしています。
お参りの詳細を記述しますと大変長くなるので、割愛しますが、
そのお寺の和尚さん(と呼んで良いのかわかりませんが)が、
お参りに来られた方達、おひとりおひとりの悩み事をじっくりと聴いてくださいます。
そして、ここからが胡散臭くなってしまう話しになるのですが、
その和尚さんは、えー、何と云いますか、
不思議な能力を持たれていて、悩み事を打ち明ける参拝者おひとりおひとりに
丁寧に、且つ的確な助言を下さいます。
私自身も何度か悩み事を相談した際、
和尚さんにはまったく話しをしていない事柄を何度も指摘され、
「あれ?なんで、そのことを知っていんだろう??」と
大変驚いたことがありました。
もっとも、こういった類いの話しの中には、
相談者の性別や年齢、既婚か未婚か等の情報を知っていれば、
統計学などを用いて適当に答えても、解釈の仕方によっては、
相談者は、「うわ。すごく、当たっている」と感じる場合もあるでしょう。
でも、この和尚さんに関しては、そういうことはまったくありません。
それに、この和尚さんはお金は取りません。
無償で「見て」くれるのです。
そして、ここからが本題なのですが。
つい先日、そのお寺にお参りに行きました。
そのお参りの中で、御不動様(不動明王)が降りてきて(?)、
その和尚さんを通して、参拝者おひとりおひとりに
助言を下さるのです。
その際、私の名前が呼ばれた後、
「安心してよいぞ。観音様がそなたの右肩におるぞ。安心してよいぞ。
安心してよいぞ。観音様がそなたの右肩におるぞ。安心してついていくがよいぞ。
怖がらなくていいぞ。安心してついていくがよいぞ」
と、話しをされました。
その話しを聴いていた私は、
「あれ?なんか、いつもと違う助言だな」と印象に残りました。
いつもなら、それなりに具体的な助言があるのです。
例えば、「玄関にこれから30日間、お塩を撒くがよいぞ」とか、
「その考え方はいかんぞ、素直になれ、荒ぶる時は、
こころの中で手を三回叩くがよいぞ」とか、
それなりに具体的なのです。
でも、先日のお参りの際は、上記のように抽象的で、
意味が分からなかった訳です。
でも、ひとつ、心当たりがありました。
私は、この3ヶ月程、非常に体調が芳しくなく、
昨年の今頃に比べると体重が13キロ程落ちており(現在、体重55キロ)、
また、食欲が無いに等しい毎日を過ごしています。
睡眠時に見る夢の中には、他界した母が頻繁に登場してくるし、
懐かしい友人、他界した友人、会いたい友人、
離婚した元妻、元妻が育てている別れた娘など、
多くの人達が夢の中に登場してくれます。
なので、あっちの世界から呼ばれているのかなあ・・・
と考えたりしていました。
そんなことが頭をよぎったので、
そのお参りの後の「自由時間(?)」に
和尚さんに、いつものように相談をしました。
先程、和尚さんは私のことについて何と仰ったのですか?
ちょっと意味が分からなかったのですが・・・
と訊ねると、和尚さんは
「何と云ったかなあ・・・。憶えていないなあ・・・」と
仰るのです。
いつもは、「さっき言ったのはな、これこれ・・・」と
説明をしてくださるのですが、この時は、
「ううん、何と云ったかなあ・・・」と妙にとぼけるのでした。
でも、別れ際、和尚さんが
「日々、感謝を忘れずに、過ごすことが大切やぞ」と声を掛けてくだいました。
それで、和尚さんには、私の未来が見えているけど、
その事実を私には、まだ話さないように、伝えないようにしているのだな・・・、
と妙に納得してしまいました。
観音様が私の右肩にいつも居る。
それを思い出すと、私はいつも涙がこぼれてしまいます。
私は、まだ(もう?)、43歳です。
まだまだ、取り組みたい仕事がたくさんあります。
観音様は、私を迎えに来てくださっているのでしょうか。
私が、センシティブになり過ぎているだけなのでしょうか。
私の考え違いであって欲しいと考えつつも、
そろそろ、人生に区切りをつけてもいいのかなあ・・・、
と諦めて(あきらかに極める)いる精神状態にもなっています。
極めて胡散臭い相談(と云いますか、ただの悩み事の記述なっていますが・・・)、
どんな些細なことでも結構ですので、教示くださると幸いです。
極めて胡散臭い記述を最後までお読みくださり、ありがとうございます。
何卒宜しくお願い致します。
お礼
ご回答ありがとうございます。 歴史的なものじゃなくオブジェの意味合いが 強いということなのでしょうか。 もうあの辺一帯は完全閉鎖されてしまっていて 散策する事も出来なそうですね。。。 どうもありがとうございました。