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創価学会について

私は3年前に結婚し、旦那と義父、息子の4人で暮らしています。 義父は創価学会に入っていて、熱心に信仰しています。 私は無宗教。お正月に初詣に行くくらいです。 旦那は子供の頃入らされていましたが、自分の意見を持つようになってからは全く信仰していない・・むしろ信仰宗教を嫌ってる人です。 私は義父が宗教熱心なのは構わないのですが、朝晩、お経(?)のようなものを読み上げる声の大きさと、鐘(?)を鳴らす音がうるさくてたまりません。 子供が生まれて数ヶ月の時に、あの音で目が覚めてしまう事が何度かありました。 旦那に子供が起きてしまうので、もっと小さい音でやってもらうように注意してもらったら、夜の経読(?)は夕方、私達が出かけている時間にやってくれるようになりました。 しかし朝はあの音と声で起こされます。 小さい家で、防音設備も逃げる部屋もありません。 そこで質問です。 あの経読はそんなに声を張り上げて読まなくてはならないものなのでしょうか? 小さくしてもらうには何と言えばいいでしょう? それと、義父は「信仰していれば幸せになれる」と言いますが、私は今まで自分が不幸だったと思いません。むしろ幸せです。信仰している方々はみんな本当にそう思っておられるのですか? 私は家族円満でいたいので、この質問で少しでも義父の気持ちを理解したいと思っています。 長くなりましたがアドバイスお願いします。

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  • noribou11
  • ベストアンサー率45% (143/314)
回答No.4

私は学会員でもなければ公明党員でもありませんが、誤ったイメージで特定集団を差別することが大嫌いなので書き込みさせていただきます。 これは創価学会について云々という問題ではないように思います。No1の方が言われたように勤行は大声でおこなわなければいけないというわけでもありませんし、人に黙読よっては勤行される方もいるようですしね。 したがって、この問題は創価学会がどうのこうのというよりも、義父様の生活習慣の問題ではないでしょうか。となると、考えなければならないのは、その生活習慣を何十年も続けてこられた義父様を尊重されるべきか、あくまでも現在の一家の大黒柱であるご主人を尊重されるべきかということになると思います。 あくまでも世代間による生活習慣の違いから、朝の勤行を小さくしてほしいという要望されることが筋ではないかと思います。そういった意味で、tan-tanさんの最後の質問は、創価学会に限らずあらゆる宗教を信仰されている方々に対して無頓着すぎると思います。 どうも日本人の宗教観は「神頼み」に捉われすぎていて、信仰している人を「心の弱い人」的に扱うところがあると思います。「信仰していれば幸せになる」それでいいのではないでしょうか。「信仰していれば不幸になる」というならば理解できますが、現に義父様がいままでも幸せで過ごされてきたのならば、何の問題があるのでしょうか。なんとなくtan-tanさんの書かれようを拝見すると、無宗教でも幸せだから、宗教に意味がない、といった印象を受けます。私は宗教に人を幸せにする力などないと思っています。しかし、宗教によって幸せになる人はたくさんいるとも思っています。私にとっては「無宗教でも幸せ」というのは、無宗教という宗教を信仰していることと変らないように感じます。というわけで、本人がそれで満足し、かつ、家族にそれを強要してもいない段階では、問題を宗教に当てはめず、単なる世代間の生活習慣の違いから解決策を模索されてはいかがでしょうか。

tan-tan
質問者

お礼

すみません、確かに私は宗教に関してかなり無頓着です。 義父がそのように、何度も何度も言った事があったので”そういう教えなのかな?”と自分の中で納得していました。 宗教によって幸せになる人・・義父はまさにそれに当てはまると思います。 「これを信仰していると幸せになれる」という義父の言い回しが誤解を招いたのでしょうか。 「これを信仰していれば自分は幸せだ」と言ってくれていたら、もう少し違った理解の仕方をしていたと思います。 あとは生活習慣の違いですね。 これについては旦那とよく話し合ってみたいと思います。 noribou11さんのアドバイスで義父の見方が変われそうです。 偏見の目で見ずに、ちゃんと理解してあげられそうです。 どうもありがとうございました。

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その他の回答 (3)

  • otoraku
  • ベストアンサー率30% (104/341)
回答No.3

創価学会と指定しないで宗教一般の定義として個人的独断で回答します。経典を読み上げる時に大声を出す必要はありません。読み上げる時に波動というか言霊というかエネルギーを宇宙に向けているのだと思います。義父さまはまだエネルギーの調節がうまくできないだけだと思います。 確かに会合などがあると全員で読み上げる時に声が大きくなりやすいですが自宅で明け方早くや夜中に行う場合は声を出さなくてもエネルギーを向けることができます。義父さまの勘違いを正すには徳の高い人に悟らせる必要がありますね。 宗教は「幸せになれる」ではなく「精神修行で徳を高めること」です。逆に苦しいことの方が多いでしょう。人として生まれて何をすべきか?私たちの次世代(子供が成人になったとき)にどんな世界にしたいか?相手はどんな気持ちで何を言いたいのか?等いろいろ考えて皆で話し合い少しでも良い現世と来世が進むべき道を進んでいるかを考え実行していくことです。あなたは今幸せだと思っています。でも幸せは子供たちは勿論日本中いや地球規模で幸せになりたいですよね、社会をよくするのが政治家や国家であれば人間自体を良くするのは一人一人が良くならないと無理です。勿論簡単ではありません。一人一人が少しずつ良くしようと思っても「魔がさす」「つい」などの甘えも含めて徳を積んだ人でもまた階段を何段が下りてしまうのです。その繰り返しの中にひとつの手段として「宗教」があるわけです。だから宗教に入らなくても実行して行けば良いわけです。また、「宗教」では普通の人間が持っていて当たり前のことも教えてくれます。学校でも社会でも「当たり前のこと」ができない人が増えています。親の教育が悪いとか学校の先生が悪いとか言いますが、逆に言えば本人が「当たり前のこと」を心から理解していないからできないだけなんです。それを教えてくれるのも宗教修行の一環としてあります。これも自分自身で実行できれば宗教に入る必要もないわけです。うちの家族は特に宗教は入っていません。それでも皆、自分のことより他人のことを心配する人に育っています。家は貧乏です。私も小学校時代からバイトをして大学まで行きました。子供も皆バイトをしながら学校に行っています。家で働いていない人は誰もいません。服も着たきりすずめだけど皆明るく過ごしています。貧乏でも心が豊かで徳を積んで行ければ誰かの役に立つと思っています。それが現世では無理だとしてもかまわないし、人が進化していく過程で必要だと思うからそうしているだけです。宗教家もある程度近いものがあると思います。ただ、組織になると上と末端では考え方が変わってしまうのが宗教の悲しいとこです。宗教家は利は求めていないのに、中間が利を求めてしまいます。その中で本分を見極め修行をすることも大切ですけどね

tan-tan
質問者

お礼

組織の上と末端の考え方の違い・・・ 義父はそれに当てはまるような気がします。 私も時には「当たり前の事」が出来ていない事があります。私もまだまだ修行不足です。 自分自身を磨けばもう少し他人の気持ちも分かるようになるのでしょうか? 家族だけではなく、もっと他の誰かの事もよく考えた方が良さそうですね。 アドバイスありがとうございました。

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  • kyu_chan
  • ベストアンサー率31% (262/827)
回答No.2

やっかいな方々と家族になってしまわれましたね。 唯一の救いは、旦那さまが信仰していないという事ですね。 私の場合、家族ではないのですが 隣に同じような人がいて近所中の迷惑でした。 あなたの義父さんのように、時間をずらすような 融通性もなく、本当に迷惑しておりました。 その時言ったのが、あなたに信仰する生活が あるように、私たちも朝、ゆっくりする権利が ある。という内容で話したと記憶しています。 また、「人に迷惑をかけるのが学会の人間なのか」 と、責めたところ、わかってくれたようでした。 ですから、お父様にははっきりと 「朝の大声は迷惑です。これが続くようなら 別居を考える」と伝えたら? ま~~何にせよ、融通が利かなく 他力本願し、非常に偏った危険な団体です。 あなたははまることないように、、、、

tan-tan
質問者

お礼

最初は「お義父さんばかり幸せになる訳にいかないから・・」と、入信を勧められました。 私には全くその気がなく、あまりにもしつこかったため旦那に言ってもらったら、そのような事がなくなりました。 「自分の病気が信仰のおかげで良くなった」と話しているのを聞いた時「そんなにスゴイ宗教なら病気にならないでしょう?」と思ったし、風邪を引いたと聞けば「そんなにスゴイ宗教をやっているのなら風邪なんて引かないんじゃない?」って感じていました。 でもまるっきり信じ込んでいるので旦那がやめさせるために何を言っても聞く耳持たず(^^; まあ、本人にとっては生きがいですのでやらせておく事にした訳です。 旦那にとってはたった一人の親ですし、男手一つで育ててもらった親を捨てる訳にはいかないので”宗教にハマってるから”と敬遠しないで、もう少し自分も理解してあげなければ・・と思っています。 でもあの声と音だけには参りました(涙) アドバイスありがとうございました。

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  • mujinkun
  • ベストアンサー率16% (336/1986)
回答No.1

学会員です。 大きな声で、しかも朝っぱらから読経する必要は全然ないんです・・・・。 常識の範囲で、人に迷惑がかかるようなことなく、というのは基本です。 個人の信仰は、人に我慢してもらって行うものではありません。 それでは誰が修行しているのかわからなくなってしまいますよね・・・! お年寄りにはそういう会員が多いことも事実です。 「祈れば幸せになれる」と。 正しくは 「祈りながら、自分が家族や他人を幸せにしていく努力をする」のです。 参りましたね。 ご主人に説得してもらうしかないとは思いますが、私からは「参りました・・・」としか言えません・・・。 誰か学会の中で目上の人が(お義父さまが言うことをきくような)注意してくれればいいんですけどね。 みんなお義父さまよりも年下の人が増えてしまっているでしょうから、なかなか難しいかもしれません。

tan-tan
質問者

お礼

ありがとうございます。 義父は来年70になります。 多分私が宗教に関して口を開くとモメます。 だから何も言わないようにはしてきました。(でも態度には出ていたかも・・・) 私は誰が学会の上の人か分からないのですが、どのように調べれば分かるのですか?

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