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映画「サイコ」を観て気になったこと
最近、遅ればせながらA・ヒッチコック監督のサイコを鑑賞しました。 評判どおりの素晴らしい映画でしたが、劇後一つ気になった点があります。 作中、アーボガスト探偵がノーマン青年を尋問するシーンがありますが、 部屋を見たいということになってモーテルの受付から場所を移す際、 探偵が館の窓辺に人影を目撃しています。 しかしノーマン青年は部屋を案内するべく探偵を先導しているわけで、 物語の結末に従えば、その時館には誰もいなかった筈です。 又、アーボガスト探偵からの連絡が途絶えた事に心配したサム青年とライラ嬢でしたが、 サム青年はライラ嬢を待機させ、一人でモーテル・ベイツに向かいます。 サム青年が到着した時、ノーマン青年は沼に死体を沈め終わって、一人佇んでいました。 サム青年が遠くで探偵の名前を叫ぶのを、ノーマン青年は聞いています。 故にこの時モーテルには誰もいない。筈ですが、サム青年は帰ってきた後こんな発言をしています。 「モーテルには誰もいなかった。館を尋ねたが、出てこなかった。」(館には人の気配があった?) アル・チェンバース保安官にこれ以上自分は何もしてやれないと言われた後。 「あの人影は見間違いだったのかもしれない。」(サム青年も人影を目撃している?) 結末で、全てはノーマン青年の一人二役だったと明かされる訳ですが、 それだけでは説明できないシーンがあったような気がするのです。 始めは、結末に至っても解決されない謎を残すことで観客に創造の余地を残す、 作劇上のテクニックだったのかな、とも思いましたが、WEBの映画関係サイトを巡ってみても、 上述の件について触れた記事が見つからず、どうも腑に落ちません。 ひょっとして、私は何か勘違いをしているんでしょうか。何か重大な点を見落としている? それとも、映画の内容が内容なだけに、ねじの回転のような効果を狙った ヒッチコック監督の確信犯的トリックだったんでしょうか。 ご指摘お願いします。
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- octfest
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サイレント時代の数作品を除いて、ヒッチコックの作品をすべて見ました。あれは、母親の死体ですね。映画中に、ノーマンの母親の死体が墓から掘り起こされたことを保安官が言っています。あと、分かっているかとは思いますが、「全てはノーマン青年の一人二役」ではなく「多重人格」です。(ノーマンが自分の意思とは関係なく自分の中に母を作ってしまい、その母が罪を犯した。)
私自身の主観ですが、人影は、お母さんの遺体だと思いました。 お母さんのミイラ化した遺体が二階にありましたよね。 あるいは、お母さんの幽霊だとか・・。 映画を見たのがずいぶん前なので、うろ覚えですが。 だから、連続殺人事件のストーリーに、心霊的恐怖も取り入れてあるのかなって思ったのですが・・・。 どうでしょう??
お礼
早速の回答ありがとうございます。 そうですね。ひょっとしたら、ノーマン青年が母親の遺体を 窓際に立たせていたのかも知れないですね。 あの映画の中で、殺人事件だけでなく、霊的現象もしっかり 起こっていたんだ、という解釈も個人的に魅力を感じるんですけどね。