- ベストアンサー
勝ち負けの心情と人間関係
- 勝った選手が負けた選手に謙虚な笑顔で握手をする一方、負けた選手は悔しさを押し殺し笑顔で謙虚に握手する。人間関係において、特に勝負事に生きる職種では、自分は勝ちをたたえながらも相手を思いやる人間だと述べている。
- 一方、心の中で悔しさを抱え妬みを抱く態度を取り、再戦に備えるパターンもある。ただし、勝負に負けるような態度は成功しないとしている。
- 他人の不幸を喜ぶことはなく、成功者に嫉妬する自分も認めているが、その感情を態度に出すことは負けを認めたことになると述べている。プライドが高いが、それが自分の居心地をよくしているとしている。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ノーサイドという言葉もありますしね。 試合を競う競技者は同じ競技を愛する仲間でもあるわけです。 これは(1)に当たりますね。 昔テレビでアメリカンフットボールの選手のインタビューを見た事があります。その方は守備の選手で試合の一週間前から自分が担当する攻撃の選手の事を心から呪うと言っていました。相手を殺すとまで言っていました。現実の試合で彼に大怪我を負わされた選手が沢山いたそうです。これは(2)に当たるでしょうか。 やはり、勝負の世界に生きる人間の世界は地獄ですよね。フィギアスケートのような採点競技も並みの精神では耐えられない地獄の世界だと思います。価値を計って差別するとこの世界は地獄に変わってしまうのです。(1)でも(2)でも地獄の世界を生きる人間には勝利にしか価値はありませんよ。 そういうところから離れなければ、別の違った価値を感じることは出来ないかも知れません。 プライドは高くて良いのです。そのプライドが誰かの助けになる事に繋がれば、これ以上に美しい出来事はありませんね(*^_^*) ご参考までに。
その他の回答 (1)
- 漢字の苗字☆ 平仮名の名前☆(@minaotehon)
- ベストアンサー率9% (193/2098)
他人の不幸は…心配味 他人の成功は…笑顔になれたありがとう味 (1)(2)どちらが悪いか…どちらも悪くない人間らしいから。
お礼
他人の成功は・・・笑顔になれたありがとうですか。 確かに、親密な関係の場合ありますよね。 成功報酬を、おすそわけして頂きたいという、妬み心でありがとうと言う人間もいますよ。 他人と言わず、知人の成功や家族の成功を喜ぶのは、その嫌らしい心からくるものでもあると思います。 むしろ他人からは、たかれない(道徳的に?)ので、成功に対し、ありがとうという言葉がでないとも思います。 結局自分は、他力本願な面が多い半面、回りが気になる。それが怒りに変わるのでしょうか? 求めるから、期待はずれだと、怒るのでしょうかね? 求めず、我が道を行けば、他人の成功も不幸も空気としか、考えられない。 しかし、そうなると(そういう生き方を極めると)冷たい人間になる様な気がする。自己中と言うべきか >他人の不幸で・・・心配味 自分もそうです。人によっては様を見ろとなりますが(悪人) 心配するからこそ、自分の不幸で心配しろと、言ってるようなもの。 やはり人間というべきか、自分は貧乏症というべきか、輝く人では無いような気もします。
お礼
自分は、毎日が戦場の職業、商人なのです。 公務員でもなく(ここにも当然リストラなど競争はありますが) 毎日が、勝負なのです。 大手の社員でもなく、中小でもなく、ちっぽけな血縁継ぎと自分の決めた道です。 自分はライバル視してない人間も、勝手にライバル視してるのです。 人は本当に汚い生きもので、どんな職であれ、結局報酬の対価でしか、価値感を語れない人間もいます。 そのような日々で、おのずと、スポーツに当てはめてしまうのでしょうね。 (1)の人間です自分は。 負けても涙も人には見せません。 怒っても基本笑ってます。 しかし、自分の恐ろしい点は、涙が出たら止まらない、怒ると止まらない。 生き方としては(2)のほうが、いいのでしょうか? 双方、違法でもなく、罰せられませんが、皆さんの生き方として正しいと思う(1)と(2)どちらかを知りたいです。(知っても結局生き方変えず意味が無いと言われればお終いですが) ましてや、自分が(1)なので、(1)に誘導、洗脳したいのかな?とも自分を見つめ汚いな、と思う始末です。 プライドで誰かの助けになる事・・これは間違いないです。 所詮は金銭ですが。 心のゆとりかな。