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世の中にはどん底、悲惨の人生を頑張って生きている人たちがいますが、

世の中にはどん底、悲惨の人生を頑張って生きている人たちがいますが、 その人たちは何が原動力になっているのでしょうか? 漠然としていますが、個々の原動力になっていることを教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tinya
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回答No.12

信じる心だと思います どん底でも這い上がれると信じる 悲惨でもいつかはと信じる まずは自分が自分を信じてあげるのです 自分の力を信じれなくなっているときは這い上がれません とことん落ちていくのだと思います でもやり直しはきくのです 例えば病気で人に理解されなくて孤独を感じて生きる気力をなくしている時などは 確かに辛いです ですが理解してくれる人に出会えるかもしれないと信じるのです 周りにそういう人がいなくてもすべての人がそうだとは限りません まだ出会ってないだけなのだと、いつか出会えるかもと思うのです それが生きる原動力になると思います 私はどん底に追い込まれたときは自分に言い聞かせていました 「私にも頑張る力はまだあるはず」だと 「生きる意味は必ずある」のだと そして這い上がれたときに自信に繋がりそれがまた原動力になると思います

その他の回答 (11)

noname#122859
noname#122859
回答No.11

この質問を読み、思い出した事ですが… 中学の時に、自動車事故で実感した事があります。 それは「生きたい人が助かる」という事です。 当時、学校や家庭で問題があり、私は精神的に疲れきっていて 事故の瞬間「もういいや」と身体が動かなかったのです。 きっと、その時に動いて脱出出来る人や 生きたい人は助かるのだと思いました。 私は幸いにも助かりました。 人間は死に直面すると本当は自分がどの様に生きたいのかを実感します。 普段どんな風に過ごすかは実はとても大切な事です。 不意の時に普段の考えが命を左右します。 また、家族を守る事など使命感を持って生きていても 疲れきっていたり鬱状態だったりすると判断を誤る事があります。 生きる事を人に譲って亡くなった方もいるかもしれません。 個々の考え方が命に反映されているとも考えられます。 >世の中にはどん底、悲惨の人生を頑張って生きている人たちがいますが  その人たちは何が原動力になっているのでしょうか? きっとその人達は普段からどん底、悲惨の人生を生きているからこそ 常に、自分が何故生きたいかを繰り返し実感し それが原動力になっているのだと思います。 私はどん底、悲惨な人生ではまだないと自分で思っているのですが そういう人がいたら、そう考えているのではないかと思い回答しました。 あまり答えになっていなくて済みません…。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.10

どん底だから・・・もう後がないから・・・必死に頑張るのだとしたら、受身的動機なのできわめて弱いですね。 追い詰められなければ必死になれないような生き方は、あまりに後手に回った生き方です。 では、そうでない動機があるとしたら、先手必勝のきわめて主体的な動機でありましょう。 それは、ただ一つしかありません。愛を動機とした場合です。 何故ならば、愛が愛らしくあるためには、どちら側にいる者にとっても、必死にならざるを得ないからです。 頂点にいる者も・・・どん底にいる者も・・・ ただ、どちらが難しいかといえば、頂点にいる者の方が、ともすると愛を見ないうちに境遇や結果自体に満足してしまう分だけ、本末転倒な自己満足で終わる可能性があります。 であるならば、苦労や地獄を買ってまで愛を顕現させた側の勝ちです。 愛は勝つというヒット曲がありましたが、これ以上ない主体的生き方、主体的原動力の生き方があるとすれば、愛が勝つのではなく、愛を勝たせる生き方ということになるでしょう。 即ち、自分以上に愛の価値が高いということになります。つまり、愛が愛らしくあるために・・・愛を勝たせるために、自分は死んで本望だというわけですから、最高度の主体性になります。 そこには、生き抜かなければならないというどん底の悲壮感は全くありません。 愛を勝たせるためならと、死が恐怖ではなく、喜びなわけですから・・・ 愛が愛らしいというのは、命よりも愛の価値が高いことを証明することに他ならないわけですから。 愛というテーマをかけて、自分のこれ以上ない生き方を如何に創造して見せるかなわけですから。 死とか苦痛とか地獄なんて目じゃない・・・こうなるわけです。 何故ならそうしてまで愛を見つけたら、死が死じゃなくなるし、苦痛は苦痛じゃなくなるし、地獄は地獄じゃなくなるからです!! かなり、難しい話になっちゃったかな・・・ごめんなさい! 言葉じゃなく、ニュアンスが伝わればいいのですがね。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.9

他の方も回答していますが、それはもう「なんとしてもここから這い上がりたい」という意志が強いからですよ。溺れているときに考えていることはたったひとつ、「呼吸をしたい」でしょ。そういう人に「なぜ呼吸をしたいんですか?」って聞いても愚問です。 這い上がりたいと頑張る人は、そこから這い上がらないと自分の人生が終る、死んだことと同じになると思っているのですよ。 ただ、その這い上がる原動力については「貧乏から脱出するため」「子供のため」「失恋の喪失感を克服するため」など人それぞれだと思います。

noname#132068
noname#132068
回答No.8

今の自分のどん底! どこがどん底なんだ! 甘ったれるな! 生きていることが精一杯の人がいる そんな人に 「今私はどん底です」 なんて言えますか! 私はいつも辛くなると 自分なんてまだまだかわいいもんだ 明日を迎えられない人もいるってこと 自分より辛い人っていっぱいいる みんな頑張ってる 私もこんなところでくじけるもんか! って思って乗り越えてます

  • KLeezon
  • ベストアンサー率21% (51/235)
回答No.7

そもそも、まず自分の人生を、どん底、悲惨の人生とは思わないことが一番だと思いますよ。 どんな人生にだってそれぞれの苦しみと悲しみがありますから。 苦があれば楽もある、一つ悲しいことがあったら、また次の嬉しいことの為に頑張るんです。 どん底、悲惨な出来事は結構あっても、 本当にどん底、悲惨な人生というものは、なかなか自分で認識できるものではないです。 (自分でどん底、悲惨な人生、とかいってる甘ったれの若者は一杯いますけど) というか、自分でそう思った瞬間、やる気なくなってくると思います。 自分が幸せになって始めて、子供の頃の私は不幸だったということに気づいた、とか、 不満ばっかり言っていたけど今思うとあの頃が一番幸せだった、とか、 そういう話はよく聞きますけどね。 実際に体験しないと比較できませんから。不幸を知っている人は幸せも知っている人です。

回答No.6

y-mami2010 さん、こんにちは。 このテーマには二つの意味があるかと思います。 どん底、悲惨の人生が本人がどう受け止めているかという事です。 次に、どん底、悲惨に対して本人が取り組む姿勢が生き様なのかと思います。 だれとて、生病老死という苦しみにいつかは取り組まなければいけません。 そんな時、様々などん底、悲惨が生き方の支援をしてくれるのかと思います。 私も、まだまだ不安で一杯ですが、しょうがないです。

noname#246720
noname#246720
回答No.5

多分…どん底で、もう明日をも知れぬ命という状態の方が、頑張れるのだと思います。 火事場のくそ力ってやつでしょうか。 他の回答者さんも仰っていましたが、乞食でも全てのプライドを捨てれば生きていけるのだと思います。 この例えはどうかと思いますが、戦火の中に生きる子供たちが驚くほど明るい笑顔を見せることもありますし。 厄介なのは、ある程度恵まれているのに自分の思い通りにならないからと言って「自分の人生は悲劇だ」と言っているような人です。 そういった人の多くは、悲劇に陥れているのは自分自身であることに気付いていません。 この状態になると自ら死を選んでしまったりするのですよね…まだ逃げ道があるのに死んだ目をしている。 この事がいつも、不思議だなあと思います。

  • vsm42952
  • ベストアンサー率27% (111/398)
回答No.4

こんばんは 私はドン底から這い上がってきた人間です。 今だって安定第一主義の方々からみたら信じられないような境遇でしょうが むしろ何事も自分の意志で決断をして行動する自由は何ものにも変えがたいです。 どんな目に遭っても切り抜けてみせるという自信があります。 そこまでする原動力ですが 私には這い上がってやらなければならないことがあるのです。 まだ途中でなしとげられていません。 それは複数の方々の前で誓ったことです。 ドン底から這い上がるとなると、関係ないところに色々寄り道をせざる得ません。 でも、どんな経験も必ず意味があり、自分の力になります。 そこを理解し、権力や法や根拠のない常識や習慣に屈せず つきすすむことができるかが、別れ目になるでしょう。 ドン底から這い上がってきたという経験はものすごい力になります。 とても予想できないような手段も使うため、相手をする側には驚異になります。 色んな局面を切り抜けてるためには、いちいち知恵を絞り 時には際どい駆け引きも必要になります。 相手が警察だろうが、首相やアメリカ大統領であっても決して怯まない覚悟が必要です。 こういう人間もいることが励みになれば幸いです。 また、這い上がらなくても、その境遇で心の平安を保つ知恵もあります。 それを理解するには、自分自信と世界の成り立ちについて思いを 廻らす必要があります。その過程を経ずしてその知恵の理解に至ることはないです。 どちらにしろ、たち向かわなければなりません。 世間か、自分自身か、あるいはその両方にです。 打ち勝った者には、ドン底の経験がない者では到達できない境地があります。 長文失礼いたしました。幸あらんことをお祈りいたします。

noname#122335
noname#122335
回答No.3

ある人が言っていましたが乞食は人目を気にしなっかたら これほど楽なことは無いといっていました。 首都圏には糖尿病の乞食もいるそうです。 何がどん底で何が悲惨かはその人の価値観の問題です。 意外と原動力とかそんな難しいことは考えていないと思いますよ。 ふざけた回答みたいで申し訳ありませんが 人生いろいろだと思います。

noname#155097
noname#155097
回答No.2

>その人たちは何が原動力になっているのでしょうか? 原動力・・っていったって 頑張らなきゃ文字通り死んじゃうから 考えている暇はないのでは。

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