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親の死が乗り越えられない
昨年の9月1日、父が59歳で他界しました。突然倒れてから4日後のことでした。まもなく1年がたちますが、8月に入ったあたりから、とても精神的に不安定になってきました。父が亡くなってからもしばらく何も出来ない状態でしたが、当たり前のように時は流れ、昼間はいいのですが、たまに寝る間際になると父が亡くなる前の病室の様子が頭を駆け巡り、泣きながら眠りにつきこともしばしばあり、夜がくるのが、いやだと思うときもありました。 そして、まもなく命日がきますが、最近そのことを考えたくない自分がいて、父の死を乗り越えていない自分をなさけなくも思ってきました。 現在、母も入院中で(父がなくなる前から入院しています)実家には弟夫婦と子供たちが住んでいますので、 足も遠のいています。(私の帰る場所はもうないと思っています) 30にもなって、また人の親でもある自分がこんなふうで自分自身が情けなくて仕方ありません。 ご両親をなくされた方は、この悲しみを どのように乗り越えてきましたか?
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五十にして天命を知るとは言いますが、人間(この場合は孔子)、五十にもなって、やっと親の死によって命というものを知れるという意味だそうです。 意味のない前フリになるかもしれませんが、結局、何が言いたいのかというと、命は、あなたに受け継がれているということです。 結局、あなたが生まれたときから、親父と、母親の命を越えて、生まれてきているということです。 三十にもなって、五十でやっと、というよりも、生まれたときからもう、親の命を越えているんです。 だから、親の死というものを乗り越えるというのは、あなたが生きていることなんじゃ、ないかな。 でも、先立った大切な者との思い出が風化するのには、時間がかかる。 そして、幾ら時間がたっても、ふっとしたときに、蘇ってくる。 絆って言うのは、案外強いんですね。 どちらかが先に逝っても、切れないもんです。 絆というのは、死を乗り越えています。 そういう風に、できてる。大切な者との、親父さんとの絆を纏って、生きていってください。 しがらみと絆、同じ繋がりでも随分違う。 しがらみは人を拘束し追い詰めるけど、絆は人を強くする。 親父さんとの絆は、切れてないですよ。 >(私の帰る場所はもうないと思っています) 帰らなくても、親父さんとの絆をあなたが持っている限り、どこにいてもそこで、省みることができる。 あなたには、それができる。 それは、けっこうラッキーなことなんです。
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私の母が亡くなって三年になります。 亡くなってからしばらくは心にぽっかりと風穴が開いたようで何を食べても美味しく感じませんし悲しいというより亡くなったことに実感んが持てない苦しみという感じでした。 でも母の死から一年経つか経たないか位から原因不明の腕や足の痛みに苦しみ始め、病院で各種の検査の後、心療内科の受診を薦められました。 カウンセリングに通ったりしてなんとか体の痛みは無くなって来ましたが、、、たまに母に似ている老婦人を見かけると悲しくなることもあります。 私など40歳代後半ですよ。 いくつになっても親は親です。情けないなんてことはありませんよ。 自分の親の死は避ける事が出来ない事ではあります。 その心の傷はゆっくり時間が治してくれます、きっと。 こればっかりは「時間が薬」です。
- myu2001
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私の父は、今年の4月に他界しました。 今年は初盆です。 私の場合は、入院して半月くらいでした。 今考えると、自分を創っていた気がします。 別の自分を創って、悲しさを乗り越えた気がします。 また、自分に疑問を投げかけました。 『死』は全てが後ろ向きな物なのかなぁ~?と。 前向きな死(ちょっと表現おかしいかもですが。。)が あっても良いのではないかと自分に言い聞かせました。 今は楽しく父で冗談を言ったりしてます。 生前の父もそんな人でしたので♪
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